「何事もないこと」を褒めてもいい

UnsplashPatrick Foreが撮影した写真

罰ゲームを履行し続けていることへの感謝

マネージャーへの感謝が足りないのではないか?

そんなことを思う時がある。

世間では「管理職は罰ゲーム」と言われているのに、そして、その罰ゲームを日々愚直に遂行しているのに、誰もそのことに有難みを感じていないこと。

そんな状況下、せめて自分くらいはそのことを褒めてあげてもいいのではないか?

それが今日の話である。

残念ながら、マネジメントという仕事は評価が難しい。

これは褒められにくいということを間接的には意味する。

その褒められにくさの中に、「何事も起きていないことが実は素晴らしいことである」ということを誰もわかっていない、ということがあるような気がしている。

でも、マネージャーだって褒めて欲しい時がある。

それが他者であれば最高ではあるけれど、そんなことは滅多に起こらないことなので、自分だけでもそのことを適切に評価し、慰めてあげてもいいのではないか?

というか、そういう気持ちがなければ、マネジメントという仕事を続けていくことはなかなか難しいのではないか?

何だか毒にも薬にもならない話になりそうだけれど、とりあえず始めていこう。

自己肯定感の低下

マネージャーという仕事をしている後輩から相談を受けることが時折ある。

その時に僕が思うのは、「自己肯定感が極端に減少してしまっている」ということである。

まあ気持ちはわかる。

褒められることは皆無で、日々ダメ出しばかりされるのがマネジメントという仕事であるから。

でも、そんなに卑下することもないのではないか、と僕は思う。

大過なく1日を終えることだってなかなか大変なことであり、それを毎日繰り返していることを認めてあげてもいいのでは?

そんなことを思う。

確かに仕事ではあるが…

多くの人は「仕事なんだし、そんなの当たり前だろ!」と言うのかもしれない。

確かにそれも一理ある。

我々マネージャーはそれで給料を貰っている訳で、そのことでつべこべ言うなよと言いたくなる気持ちもわからないではない。

ただ、そのような発言に耐えられないくらい弱ってしまう時だってある。

そのような時に、メンタルブレイクせず、何とか明日も会社に行けるよう、自分を慰撫してもいいような気がしている。

マネジメントという仕事において、何か具体的な「褒めるに値するような事象」なんてものが生じることは殆どないのだから。

マネジメントができていた?

働き方が多様化し、個人の価値観が尊重される世の中において、マネジメントの難易度は極端に上昇している。

でも、それを実際に体感している人は、偉い人たちの中には殆どいないのではないか?

そんなことを思う。

今現在マネジメントをやっている人ならいざ知らず、かつてマネジメントをやっていた人とはその難易度が大きく異なるのに、それを同じような尺度で判断するから、マネージャー達が壊れていくのである。

本来はそこに適切なフォローが必要なはずなのだ。

でも、そこにフォローが必要であることに気づいてすらいない。

なぜなら、自分たちはマネジメントができていたから。

いやいや、その当時とは状況が違うんですよ?

努力ではどうにもならない難しさ

もちろん、過去は過去で大変なこともたくさんあったのだとは思う。

ただ、その時の大変さとはまた違う大変さが現代にはある。

そして、その大変さは、残念ながら努力によってどうにかなるものではないような気がしている。

だから、管理職は罰ゲームだと言われ、誰も管理職になりたがらないのである。

それを少しでも是正しなければ、この先管理職になる人は極端に少なくなるのではないか?

というか、せめてそのような状況を理解しておくべきなのではないか?

そんなことを思うのである。

仕事+無理解

管理職罰ゲーム論の根底には、そのような周囲の(特に上司の)「無理解」があるような気がしている。

仕事内容の大変さはまだ何とかなる。

でも、それに加えて「無理解」が乗ってくると、更にキツくなる。

それを緩和する為の理解が必要なのだ、きっと。

せめて自分だけでも

ただ、そんなことは叶いそうもない。

だったら、せめて自分だけでもそこに理解を示してもいいのでは?

それが今日の話である。

自分と周囲の人間に優しくしてもいいのでは?

平穏無事であることには派手さがない。

褒めるべき内容が含まれていない。

だから周囲の人間はそれを褒めることができない。

そこに文句を言っても仕方がない。

ならば、せめて自分だけでもそれを認めてもいいのではないか?

そして、それができたら、周囲で同じようにマネジメント業を営んでいる人達への共感を示していくことが大切なのではないか?

少なくとも、僕は後輩から相談された時に、そのようなことを話すようにしている。

「毎日管理職という仕事をしている、そこで何も問題が起きず、日々平穏に過ごすことができている、その事実だけで素晴らしいことである」と。

甘えなのか?

そんなものは甘えに過ぎない?

まあ言わんとしていることもわからなくはない。

そして、厳密に言うならば、確かにそれは甘えという範疇に含まれる物事であるとも思う。

でもさ、というのが今日の話である。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

棘があり中身のない文章になってしまいました。

ただ思うのは、大過なく1日を終えられていることを言祝いでもいいのではないか、ということです。

そしてそれが他者からであることが難しいのであれば、せめて自分だけでも慰めてあげたら良いように思います。

「あなたはよく頑張っている」

少なくとも僕はそう思います。

大変な毎日ですが、何とかやり過ごしていきましょう。