人間関係は誰かに良くしてもらうものなのか?

UnsplashThe HK Photo Companyが撮影した写真

人間関係は当人同士の関係性が重要

マネージャーになってから10年以上になるけれど、未だに馴染めないのが「チームの人間関係を良くするための責任はマネージャーにある」という考え方だ。

確かに言いたいことはわからなくはない。

職場環境を良くすべく、一定の責任はマネージャーにあると僕も思う。

でも、人間同士の関係というのは、あくまでその当人同士の関係性が重要であって、マネージャーがそこまで踏み込む必要があるのだろうかと思ってしまう。

AとBという人間がいて、それぞれ馬が合わない時、馬が合わないなりに何とかやっていくべく折り合いを付けるというのが大人の作法ではないか?

それをマネージャーがどうにかしなければならない、どうにかすべきである、というのにはイマイチ納得ができない。

というか、当事者が何の努力もしようとしないのであれば、人間関係が良くなるはずもない。

何だか言いたいことは言ってしまったような気がするけれど、今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

なぜ距離を詰めようとするのか?

性別のことはあまり触れたくないけれど、女性同士の関係性において今日の話は顕著であると僕は考えている。

僕の経験上、女性同士は表立って関係性を悪化させるような行動を取ることはない。

これはきっと原始時代(?)からの習性というか、集団内の輪を保たなければいけないというある種の本能(や文化的慣習)のようなものだと考えている。

それ自体は否定はしない。

そういうものなのだろうという認識である。

でも、それならそれで適切な距離を空け、できるだけ当たり障りのないようにやっていけばいいのでは?

そこに何か改善を求めること自体が間違っているのでは?

そんなことを思ってしまう。

仲違いをしている2人は、周囲からも面倒な人だと思われていることが大半

また、AとBという両者の仲が悪い場合、どちらかに一方的に否があることは稀であると僕は考えている。

それぞれがそれぞれに嫌われるというか、嫌がられる要因があるケースが殆どだ。

そういう意味では、この2人はそれぞれを忌み嫌い合っていると思っているけれど、その周囲の人間はこの2人とも面倒な人間であると認識していることが殆どである。

でも、当人たちは自分にも相応に大きな問題があるとは思っていない。

あくまでも悪いのは「アイツ」である。

というか、そのような思考形態であるから人間関係がよくならないのではないか?

そんなことを思う。

職場の人間関係は「普通」でいい

そして、僕はいつも不思議に思うことの1つに、「職場では人間関係が良好であるべきだ」という考え方が大勢であるということがある。

いや、誤解なきように言えば、確かに人間関係は良好であるべきだし、良好であることが望ましいと僕だって思う。

でも、残念ながら、職場には多種多様な価値観を持った人たちがいて、良好な人間関係を構築するというのはなかなか難しいのも事実である。

そういう意味において、現実的な着地点としては「普通」くらいになればいいのではないか、と僕は思っている。

ギスギスしているのは確かに問題であるけれど、仕事をする上で支障がない程度の人間関係であれば問題ない、そういう認識である。

ただ、多くの人はこれを「何としてでも良好にしなければならない」と考えているように感じるのだ。

そして、そうすべくマネージャーは行動すべきである、と。

「無理じゃね?」と僕は思う。

というか、大抵の場合、そのように進言してくる奴がガンになっているのである。

人間関係は職場以外の場所でどうぞ

いつも言う話で恐縮であるが、職場は学校ではないし、仕事はボランティアではない。

ドライな考え方だと言われるけれど、僕はそのように考えている。

適切な距離感を保って、あくまでも仕事は仕事として取り組めばいいのである。

人間関係は、それも良好な人間関係は、職場以外の場所で育めばいい。

もちろん、職場においても気の合う者はいるし、その人たちと良好な関係を築けばいい。

それを混同するから問題が起きるように思うのだ。

出来ない奴に限って多くを求める

学生時代の時も感じたことであるけれど、コミュニティの概念が狭すぎるのが問題であるように僕には感じられる。

たまたま学校や職場で一緒になっただけで、その人たちと仲が良くなれるはずがないと僕は考えている。

もちろん、(繰り返すが)良好な関係性を築くべく努力はすべきだと思う。

そして、このような主張をする人たちの大半は(僕からすれば)その努力を欠いているのにも関わらず、それを主張してくるのが僕にはどうにも解せない。

言い方は悪いが、「職場の人間関係を良好にできないのはお前のせいでもあるんだけどな」と僕は思ってしまう。

周囲に馴染もうという努力を欠いている人に限って、「アイツが悪い」と他責にしたがる。

その能力がないのであれば、「それなり」で満足すべきなのではないか?

僕はそのように思うのだ。

現実に対応することも必要

職場にはおかしな人間がいるのは確かである。

そういう人は排除すべきだと僕は思う。

でも、そうはならないのが現実である。

「それはおかしい!」

その気持ちは僕だって同様だ。

ただ、それが現実であれば、その現実に対応していくこともまた必要なのでは?

その努力なくして、誰かのせいにするのは違うのではないか?

愚痴めいた話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「誰かに何かをして貰うことが当然」と考える人が多すぎてウンザリしています。

人間関係を良好にするためには、本人のそれなりの努力が必要です。

それなくして人間関係が良好になることはありません。

でも、この種の人は誰かが何かをしてくれる(するべきだ)と考えたまま、努力をすることをしません。

そして、そのような態度が多くの人から反感を買っていることに全くもって気づいていません。

それならそれで大人しくしていればいいものの、それすらできないので、本当に困ってしまいます。

適切な距離を空けることも大人の作法です。

「普通」の人間関係を保っていきましょう。