マネージャーはマネジメントだけを仕事にしよう

UnsplashKelli McClintockが撮影した写真

管理職は罰ゲームである。が…

マネージャーの仕事は多種多様である。

一方、マネージャーへの風当たりは強まるばかりだ。

その結果、「管理職は罰ゲームである」と言われるまでになった。

10年以上マネージャーをやっている僕も、確かに管理職は罰ゲームだよねと感じている。

それを否定するだけの材料はない。

管理職はどう考えても罰ゲームである。

ただ、その罰ゲーム加減を軽くする手段がないかというとそんなこともないと考えている。

罰ゲームは罰ゲームだ。

でも、その中でも軽い罰ゲームにすることは可能である。

そして、その方法の1つとして「マネジメントに特化する」ということがある。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

プレイングマネージャー論とはちょっと違う

「マネージャーはマネジメントだけを仕事にしよう」

書いてみれば当たり前の話である。

でも、これを敢えて書くということは、現状のマネージャーの仕事はマネジメントだけではないということを意味している。

そして、これは「プレイングマネージャーから脱しよう」ということだけを意味している訳ではない。

プレイングマネージャーよりももっと大変なこと

プレイングマネージャーが大変であるということは否定はしないのだけれど、本当に大変なのはプレイとマネジメントが混在していることではないと僕は考えている。

僕がかつてプレイヤーだったからかもしれないけれど、正直なところプレイとマネジメントを同時にやらなければならないことに対して、僕はあまり大変さを感じない。

いや、確かに時間的・体力的には大変ではあるのだ。

でも、管理職罰ゲーム論の本質はそこではないと思っている。

「父親的役割期待」がその本質だと僕は考えている。

以下、もう少し詳しく書いていく。

父親的役割期待

父親的役割期待というのは、文字通り父親のような役割を期待されるということである。

これは外国の企業ではどうなのかはわからないけれど、日本企業に勤める僕にはこれがとても重荷に感じられる。

マネージャーは父親であり、部下は子供であるという考え方。

子供を正しく導くべく、父親は父親らしくあるべきであるという概念。

それがマネージャーの仕事を罰ゲームにしている。

そんなことを思うのだ。

労働観や勤労観のようなもの

ジョブ型雇用なるものが一時期話題になり、結局のところそこまで広がっていないのが現在の日本社会なのかなと僕は考えている。

ここにはマネージャーへの父親的役割期待が関係している。

というのも、日本企業における仕事というのはジョブではなく、ワークに近いと感じるからだ。

マネジメントという仕事自体がジョブではなく、もっと広い概念として考えられている。

そこには「労働」や「勤労」みたいなものだけでなく、「労働観」「勤労観」みたいなものが含まれている。

それを自ら示しながら、部下に対しても唱導していくのがマネージャーであるというか。

それが重すぎるのではないかというのが僕の考えである。

マネージャーの仕事と人事部の仕事を切り分けて考える

要は、マネージャーの仕事の範囲が広すぎることが問題であって、それを狭めたらいいのではないかと僕は思っている。

もちろん、そうであっても管理職が罰ゲームであることには変わりはないけれど、その罰ゲーム度合いは少しは減らせるように思うのである。

そして、その際に重要なことの1つに「父親的役割期待」を放棄するということがある。

表現が難しいが、「部下がグレていること」に対しての責任はマネージャーが負うべきではなく、人事部が負えばいいのではないかと僕は考えている。

もちろん、ここには程度問題がある。

一定程度はマネージャーがその責任を負うべきではないか、という考え方を僕も完全には否定しない。

ただ、そこには臨界値のようなものはあって然るべきだし、それを越えた際には、その問題は人事の問題として対処すべきであると僕は考えている。

これを「マネージャーなんだからやるべきだ」と考えるからおかしなことになるのである。

部下がグレている責任はマネージャーにある?

その背後には「父親的役割期待」がある。

子供がグレていることの責任は親にある、というか。

ただ、子供と部下が違うのは、部下はもう立派な成人であるということである。

そして、賃金を対価として貰っている。

であるなら、部下がグレているかどうかの責任の大半は部下に帰属させるべきなのではないか?

そこに変にマネージャーの責任を問うからおかしなことになるのではないか?

僕はそのように思う。

監督責任の範囲とは?

繰り返すが、これは程度問題ではある。

部下の仕事振りが良くないからといって、権力を振りかざして減給したり、解雇したりすることを乱発するのは違うとは僕だって思う。

でも、明らかに求められている仕事の水準に達していないと皆が思うのであれば、その責任は基本的には部下に求められるべきなのではないか?

そこに監督責任みたいなものを持ち出すのはちょっと違うように思うのだ。

もちろん、マネジメントという仕事にはそのような要素が含まれていることは否定しない。

ただ、現状はそれが過剰であり、それがマネジメントという仕事の罰ゲーム的度合いを強めていると僕は思うのである。

変な話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

人事の問題とマネジメントの問題の分離。

それが日本企業にはないのかなと僕は感じています(外国企業でもないのかもしれませんが…)。

そして、その背景には「(過剰な)父親的役割期待」があるのではないか?

それが本文の主旨です。

僕はもう少しこの辺の話をドライに行うべきなのではないかと考えています。

部下の権利拡大は結構なことですが、その責をマネージャーだけに負わせるのは間違っているのではないか?

僕はそのように考えます。

マネージャーの仕事はマネジメントであるべきです。

やれる範囲の中で最善を尽くしていきましょう。