分断を煽るな

誰かを下げないと上がれない人
自分への求心力を高める為に、他者との分断を煽る人がいる。
それもそれなりに多くいる。
そのことにウンザリしている。
確かにこれは政治の世界でも見られるように常套手段なのかもしれない。
でも、できるだけ手を出さないに越したことはない。
というか、もしその方法でしか求心力を高められないのであれば、たぶんその人はリーダーには向いていない。
誰かを敵視することなく、誰かを下げることなく、自分を信頼して貰う方法。
今日はそんな話をしてみようと考えている。
それでは始めていこう。
批判と対立ばかりの人たち
いつも誰かと対立していたり、そこまで行かなくても批判していたりする人がいる。
その理由が以前はよくわからなかったけれど、マネジメントという仕事に就いてから「ああそういうことだったのか」とわかるようになってきた。
それは「自分への求心力を高めたい」からである。
ここには「相対的に優位に立ちたい」というような願望も含まれている。
たぶんコミュニケーション・スタイルがそのような考え方に基づいているのだろう(本人が意識しているかいないかは別として)。
誰かを下げることでしか、自分の地位を上げることができない人たち。
そういう人は存外多い。
集団で落ちていく
ただ、このブログを読んで頂いている人においてはそれは辞めて頂きたい、というのが僕の願いである。
何と言うか、建設的でないからだ。
「集団で落ちていく」というような感覚が僕にはある。
その人はその集団の中で相対的に優位に立っているつもりなのだろうけれど、僕からすれば、その集団ごと落下しているように見えてしまうのだ。
相対値と絶対値
これは日本社会においてはよく見られる現象ではある。
内向きの論理。
集団内での相対的地位。
でも、絶対値はどうなのだ?
僕はそのように考えてしまう。
陰湿で幼稚で実に日本的だ
多くの人は集団における相対的地位について考えたがる。
それは我々人間においては自然な行動なのかもしれない。
そして、もしそれが避けられないとするなら、せめて誰かを下げるのではなく、自分が自力で上がる方法を考えるべきだと僕は思う。
スケープゴートを探し、その者を糾弾することによって、自分がそこで力を持っていることをアピールする?
とても幼稚だし、陰湿だ。
でも、マネージャーにおいても、こういう人はとても多いのだ。
そこにはきっと自信のなさが関係している。
他人からの評価を気にし過ぎでは?
僕からすれば、みんな他者からの評価に拘り過ぎなのである。
もちろん、マネージャーであるから、メンバー達からの評価が気になるという気持ちはわからなくはない。
でも、それは一方でどうしようもないものだと僕は思う。
メンバーからの評価はメンバーが行うものであって、それは僕が関与できるものではない。
ましてや、誰かをいじめたり、分断を煽ったりすることで、得るものではない。
書いてみると、誰だって「そうだよね」と納得すると思う。
でも、実際のところは結構やってしまっている人も多いのではないか?
仲間ではなく、怯えてるだけ
仲間を囲い込むような動き。
本当にそれが「仲間」だと共有されていればまだマシだと僕は思う。
そうではなく、権力による恐怖がそこに内在しているとするなら、その行為はとても不毛である。
でも、マネージャーという立場においては、これに気づけない場合がある。
自分は仲間意識でやっていると思っているけれど、ただ権力に怯え、従われているだけ、そんなことはザラにあるのである。
さて。
では、誰かを下げることなく、分断を煽ることなく、自分への求心力を高める為にはどうしたらいいのだろうか?
フラットな自分と向き合う
先程僕は、このような行動を取る背景には自信のなさがあると書いた。
だとしたら、その逆をすればいいのではないか?
でも、自信というのは勝手に湧き出てくるものではない。
何らかの経験や裏打ちがあってこそ、身に付いてくるものである。
とするなら、まずは誰かを下げることなく、分断を煽るでもなく、自然な状態で自分がどのくらいの信任を得られているのかを知るべきだと僕は思う。
フラットな状態において、どのくらいの信頼があるのかを知ること。
それがまずはとても大切なことである。
普段の行動を点検する
そこでもし自分が求めているほどの信頼が得られていないとするなら、日々の行動や言動に問題があるはずだ。
それをまた考えていく。
もしかしたら、無意識的なものの中にその要因が含まれているのかもしれない。
それを見極める。
disらない
そして、当たり前のことであるが、誰かの悪口を言ったり、陰口を叩いたり、そういう「dis」的な行動や言動はしないことが鉄則である。
これは逆の立場に立ってみればすぐにわかることだと思う。
誰かの悪口や陰口を言っている人に信頼が集まることはない。
これを更に進めていくと、自分に求心力が高まるような行動が何なのかというイメージが湧いてくるはずだ。
もちろん、それを露骨に狙っていくことはNGだけれど、そのようなイメージを持ちながら仕事をしていくことはとても大切なことだと僕は考えている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
対立するだけ疲れない?
僕は多くの人が対立したり、批判していたりするのを聞く度にそう思います。
そこまで拘る必要なんてある?
みな職場に何かを求め過ぎなのでは?
僕は他者への執着が薄いのかもしれません。
それはネガティブなことだと自認していましたが、こういう人たちを目の当たりにすると、そうでもないのではないかと思えてきます。
ありがとう、自信を与えてくれて。
自律した大人になれるよう、孤独と上手に付き合っていきましょう。
