相談に応えられること

相談に乗ると応える
相談に応えられること。
それが僕のマネージャーとしての長所なのではないか?
そんなことを改めて思ったので、それを文章化してみようというのが今日の話である。
そして、ここで大事なことは「相談に乗る」ということではなく、「相談に応える」ということなのではないかと考えている。
話を聞くことはもちろん大事であるし、その中で傾聴し、対話するということはマネジメントにおいても非常に大切なことである(それはこのブログの中でも何度も言及してきたことだ)。
でも、そこから一歩進むと、その相談に対して有効な回答をするというか、話を聞いた上で「ではどうするのがいいのか?」ということを共有できるような状態に持っていくことがより良いのではないかと考えている。
それでは始めていこう。
バリューをいかに出すか
話の中でバリューを出すこと。
意識的に行っている訳ではないけれど、事後になって「そういうことが大事なのではないか」と思うことが増えてきた。
結果、というか、お陰様で、というか、相談されることが増えてきたように思う。
とりあえず「乗る」
ここには「話を否定しない」という僕の特徴が表れている。
僕は相手の話を聞く時に、まず話を否定することはない。
これはテクニックとかスキルとかではなくて、単純に自分に否定するほどの確固たる信念がないからである。
また、相手の話を簡単に面白いと思ってしまう。
とりあえず「乗る」こと。
ツッコミはその後でいい。
それが僕の基本スタンスである。
傾聴
このようなスタイルで話をしていると、気軽に相談されることが増えてくる。
その内容は軽いものから重いものまで多岐にわたるけれど、その1つ1つに対してできるだけ丁寧に向き合うように心掛けている。
これが今までこのブログでもよく言及してきた「傾聴」ということである。
目の覚めるような回答をすること
「話を聴くスキルというのは、話すスキルよりも重要である」
それが僕が口酸っぱく言ってきたことであり、それ自体には何の変化もない。
相変わらず重要なことである。
でも、今日の話というのはそれだけではなく、話を聞いた上で目の覚めるような回答をすることに更に強い価値があるのではないか、ということなのだ。
そして、その回答というのは、僕からパッと出たものではなく、対話の中でその場に生じるというか、場に共有されるものだと僕は考えている。
もちろん、厳密に言えばそれは僕から出たアイディアではある。
ただ、そう感じさせるのではなく、あくまでも対話の中で生まれたものであるというような状態にできることが非常に大切なのではないかと考えている。
触媒としての役割
これは「触媒」みたいなものである。
相談内容を僕という触媒を通過することによって、回答に転化させていくこと。
そして、それが「共に作られたもの」だという意識にさせること。
そこが僕の強みであるような気がしている。
インスピレーションとインプロビゼーション
対話というのは、インスピレーションであり、インプロビゼーションである。
そこで偶然生まれたフレーズや展開を面白がって、乗っていくこと。
それが思いもかけないところに僕たちを連れて行ってくれる。
そして、それは再現不可能なものである。
このような感覚が非常に大切なのである。
準備は不要
でも、多くの人は「相談に応えられることが重要だ」というと、「ではそうできるように有効な回答を幾つも用意しておかなければならない」と考えるようだ。
これは大事ではないとまでは言えないものの、ちょっと方向性が違うのではないかと僕は思う。
もちろん、自分の中が空っぽで、どんな相談に対しても応えることができないというレベルであれば、まずは自分の中身を埋めていく作業は必要なのかもしれない。
しかし、有効な回答が幾ら手元にあったとて、それを適切な形で場に出すことができなければ、何の意味もないと僕は考える。
そういう意味においては、「準備」というものは不要ですらある。
というか、厳密に言うなれば、日々の仕事への取組みの総体が既に準備であり、面談の為だけに準備するという概念自体がおかしいのではないか、と僕は考えている。
そこで行われるものは、日々の行動の集積であるのだ。
それをきちんとやっていれば、敢えてその為だけに答えを用意する必要はないのである。
後は、それを適切に取り出す術を身に付ければいいだけだ。
自分ですらわからないようなこと
これは言うは易く行うは難しである。
僕だって、自分でなぜそのようなモノが自分の中から出てきたのかわからない時がある。
でも、それこそがインスピレーションであり、インプロビゼーションなのではないかとも考えている。
その時にしか出ない、不定形のアイディア。
テンポが違ったり、グルーヴが違ったりすれば、また違う答えが出てしまうようなこと。
それが大事なのではないかと僕は考えている。
ChatGPTにはグルーヴがない
これはChatGPTに相談することとは違うはずだ。
ChatGPTはとても面白いと僕は思うし、そこで何らかの示唆を得られるということがないとまでは言わない。
でも、グルーヴはない。
あくまでもノッているのは僕だけだ。
共振はない。
だとしたら、まだまだ僕がマネージャーとして仕事を続ける意味はあるような気がするのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
僕は音楽が好きです。
中でもライブが好きです。
それは再現不可能性があるからだと考えています。
音質や正確さだけで言えば、音源だけを聞いていればいい。
でも、多くの人はライブに行きたがります。
それはなぜか?
そこに今日の話のエッセンスがあるような気がしています。
そこにある偶然性やライブ感を楽しんでいきましょう。
