理不尽と腫れ物

面倒くさい人認定される方が有利な世界
世の中にはたくさんの理不尽がある。
でも、それを腫れ物扱いして、そのまま残置しておくのはやめにしないか?
それが今日言いたいことの全てである。
いつの頃からか、「面倒くさい人は何をやってもOK!」というか、「その人に注意すると大変なことになるからそっとしておこう」という状態が常態化し、理不尽なことが放置されるようになったと感じている。
そして、その結果、職場におけるモラールが低下しているとも感じている。
僕は常々優しさと甘さは違うと考えている。
優しさは持つべきだとは思うけれど、甘さを持つのは違うと思うのだ。
また、そのような甘さを持っていることによって、他の真っ当な人たちが割を食うというのはどう考えても不公平であるとも考えている。
会社として大切にしなければならないのは後者の人たちなのでは?
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
議論を呼びそうな話ではあるが…
どうしても会社に来られない社員がいるとする。
体調を崩し、そのまま長期間休みに入ってしまうような状況。
それはもちろん本人の責ではないし、同情もする。
でも、ただでさえ人が少ないこの現状の中で、それがいつまでも残置されているのはどうなのかとも思っている。
また、この話が捻れるのは、その長期間休養に入っている社員の働きぶりが休養前から問題があったということである。
元から十分に働いているとは見做されておらず、かつ人格的にも相応に問題があると見られていた社員。
同僚から「面倒な人」と認定されていた社員。
そういう社員であったとしても、我々マネージャーは守らなければならないのだろうか?
僕にはこの辺がよくわからないでいる。
正論と実際
もちろん、正論は違うだろうことは十分にわかっているつもりである。
体調を崩してしまうことは誰にだってあることであり、そこに追い打ちをかけるようなことをしてはならない、それはそうだろう。
でも、だからといって、その分の仕事を担っている他の社員は守らなくていいのだろうか?
それがいつまで続くかわからない状況の中で、善意によって支えて貰うことを許容することは望ましいことなのだろうか?
そこがいつもよくわからないのだ。
正しさの方向性
「会社に来ることができないのは体調の問題であり、それを責めることは非人道的である!」
その理路は正しい。
正し過ぎるくらい正しいと僕も思う。
でも、他の社員はどうなのだろうか?
それを許すことは甘えに繋がらないのだろうか?
そして、そのように思ってしまう僕は冷たい人間なのだろうか?
日頃の行い
結局のところ、ここでの問題は「普段の仕事振り」というところに還元されるのかもしれない。
普段からきちんと働いており、それが同僚にも認知されているのであれば、このような感情が湧くことはないのかもしれない。
そこにあるのは純粋な同情と、回復への祈りだけになるのだろう。
でも、そうでない場合はどうなのだろうか?
せめて対価を
凄くドライな言い方をすれば、せめてその仕事のカバーをしている社員の給料は上げて欲しいなと僕は思う。
カネが全てではないのは勿論であるけれど、カネさえ出ないのはおかしいことではないのだろうか?
また、そういうことを言う奴はおかしいのだろうか?
大前提として当然のことであるが…
「皆休まざるを得ない事情がある時があるし、それは許容すべきである」
それが大前提ではある。
でも、だからといって、それ以外の社員がそのまま放置されていい訳ではないとも思っている。
人の手当(増員)であるとか、カネの手当であるとか、そういったものが必要なのではないか?
そんな風に思うのだ。
善意として矮小化するなよ
もちろん、それは程度問題ではある。
ただ、ある閾値を超えた場合には、そのように対処することも必要であるようにも思うのだ。
これを「善意」とか「チームワーク」とかそういった言葉で誤魔化すのは違うのではないかと僕は思う。
もちろん、それは必要なことだ。
ただ、そこには「ある一定程度までは」という留保条件を付ける必要があるようにも感じている。
少なくともそれを支えている社員たちが理不尽だと感じる前に、何らかの手を打つべきであるように思うのだ。
ましてや、当該の社員が腫れ物扱いされている(た)のであれば、余計にこの話はビビッドに対応すべきだと僕は思う。
それをなあなあにするから、色々な問題が起きるのではないだろうか?
腫れ物戦略
職場における「腫れ物戦略」。
皆から面倒な人と思われることによって、仕事量が減り、結果的にコスパが上昇するような事態。
そこに何かモノを申すのはハラスメントなのだろうか?
ただ、理不尽を残置しているだけなのでは?
表面的な人道主義にはもうウンザリだ
表面的な優しさや人道主義。
でも、その裏にはそれによって割を食っている人間たちがいる。
しかしながら、その人たちに光が当たることはない。
それがどうにも解せないのである。
それを放置してきた成れの果てが現在なのではないか?
それが職場の規律を緩め、ひいては生産性の低下を招いているのでは?
何ともキナ臭い話になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
何とも論争を呼びそうな話になりました。
でも、この話はリアルなのかなとも思っています。
もちろん、ある程度のところまでは善意によって回収可能なのだろうと思っていますし、そうすべきであるのかなとも考えています。
ただ、それはあくまでも善意であって、雇用者側はそこに甘えてはいけないのではないかとも思っています。
少なくとも、腫れ物戦略が得になるような状況は改善すべきであるように感じています。
こんな僕ですが、引き続き読んで頂けたら幸いです。
