管理職を支えなきゃ

UnsplashJoshua J. Cottenが撮影した写真

よくあるけれど、相談できない悩み

10年も管理職をやっていると、後輩のマネージャーから色々と相談されることが増える。

そして、大抵のことは「ああ、それ、オレも悩んだなあ…」ということばかりである。

そういう意味ではその悩み自体は大したものではないというか、まあありふれたものであって、そこまで深刻になる必要はない種類のものであるし、結果的にはそのように彼(彼女)らに話すことになる。

ただ、自分もそうであったけれど、そういうことを相談できる人は皆無で、その時はそれが一大事というか、重大なことであると捉えてしまうのもまた事実であるように思うのだ。

僕は以前から「管理職をサポートする人が必要なのではないか」ということをこのブログ内で主張してきた。

それは別に管理職が罰ゲーム的仕事だからそう言っている訳ではなく(もちろんそれもあるが)、彼(彼女)らが活き活きと働くことがマネジメントの強化に繋がり、それが結果的には日本の生産性向上に繋がると思うからである。

でも、その動きは全くと言っていいほど見られない。

「さて、どうしたものか?」というのが今日の話である。

結論めいたものは出ないかもしれないけれど、とりあえず始めていこう。

無言の圧力と呪縛

「マネージャーは何でもできて当たり前」

「君なら大丈夫でしょ」

そのような言葉。

それが管理職達を苦しめているような気がしている。

いや、言葉だけではない。

暗黙の了解・無言の圧力のようなものが、自分自身を縛ってしまっている(呪縛となってしまっている)ように思うのだ。

それに対して僕がこのブログ内や日常の業務の中で主張しているのが、「そんな訳ない」ということである。

限界があることを明言してあげること

「ある日メンバーからマネージャーに昇格したら、いきなり何でもできるようになっていました」なんてことは、当たり前の話であるが起こり得ない。

また、マネージャーを続けたからといって、不得意なものは不得意なものとしてそこに残り続ける。

もちろん、高みを目指すこと、努力を続けることはとても良いことだし、それを否定するつもりは更々ない。

でも、同時に限界もある。

それをきちんと明言してあげることが大事だと思うのだ。

それがきっと管理職に安心感を与える。

平気なフリをしているだけ

管理職という仕事をする上では、「ありのままでいい」訳ではないけれど、必要以上に自分を大きく見せようとしたり、その幻想のような自己像(理想像)に囚われたりすることは、かえって仕事に悪影響を及ぼす。

でも、そういうことを言ってくれる人はいない。

皆さも当然のように平気面で振舞っているし、そうあるべきだろと無言で主張している(ように見える)。

大丈夫だ。

誰もそんなことはできない。

それがどんなに管理職を救う言葉であるか。

本来は上司が為すべきことでは?

と、ここまで書いてきて、そのようなことを本来すべきなのはマネージャーの上司(例えば上級マネージャーなど)であると思い当たる。

でも、(少なくとも当社の場合)それが行われることはない。

そこに問題の根源があるような気がしている。

管理職は当然に自己管理すべき?

ここには「マネージャーなんだからサポートなんていらないでしょ?」という思想が隠れているように思う。

というか、上記したように「自分で何とかすべきだろ?」といった圧力が含まれている。

もちろん、その言い分もよくわかる。

管理職というのはそれだけのポジションであり、そのように自己を統制できなければ管理職など務まらない、それはきっとそうだろう。

また、ただの甘えとしてそのようなことを言う者がそこに含まれていることも否定はしない。

ただ、である。

もう少しサポートしていくという意識があってもいいのではないか?

少なくとも、マネージャーが困難に直面しているな、ちょっとメンタル的にやられているな、と感じる時には、そっと手を差し伸べるくらいのことはあっていいような気がする。

そして、ここまで書いてきて、そのようなサポートというのは、以前はある程度飲み会で為されていたんだよな、ということに思い当たる。

誰にも弱みを見せられない

そうなのだ。

何もマネージャーだけではない。

職場において、弱みを吐露するような場面が極端に減ってしまったことが問題であるような気がしている。

もちろん、飲み会にはたくさんの弊害がある。

というか、圧倒的に弊害の方が大きいのかもしれない。

でも、そこにあった少しの効用が明日の活力になっていたこともまた事実であるように思うのだ。

病んでね?

現代社会において、弱みを見せることは敗北に繋がる。

その隙を常に狙っている。

狙い合っている。

それって健全なのだろうか?

僕にはよくわからない。

ただの愚痴?

上級マネージャーが部下のマネージャーをサポートできないのは、単に時間がないとか余裕がないといった理由だけではないような気がしている。

そこにあるのは、仲間感というか、一体感というか、そういうものの欠如なのかもしれない。

誰かを支援していくことがマネジメントの本来業務なのではないか?

それなくしてよくぞ上級マネージャーなどと自称できるよな?

結局はまた愚痴になってしまった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

日本企業の強さとは何なのか?

というか、何だったのか?

そんなことを本文を書いた後に思いました。

そして、それはサポートなのではないか、ということに思い当たっています。

それが失われたから、競争力を失ったのでは?

もちろん、そこには無償の協力の強制という問題が底流しています。

また、「空気」の問題があります。

ただ、そのような弊害と競争力を天秤にかけた場合はどうなのでしょうか?

そんなことを思っています。

そして、そのような「ボランティア活動」をしている社員にそれなりの対価が支払われるなら、上記のような弊害は多少は緩和されるのでは?

そんなことを考えています。

こんな僕ですが、引き続き読んで頂けたら幸いです。