目先のコストばかり考えてはいけない

目先のコストと長期的なパフォーマンス
コスパやタイパ。
そのような言葉たち。
それらを聞く度に少しだけ違和感を覚える。
もちろん、意味はわかるし、感覚にも共感する。
できるだけ最小のコストで最大限のパフォーマンスを得ようとすることは自然なことでもある。
ただ、そこで言われるコストというのが、あまりにも近視眼的過ぎるような気もしている。
コストとパフォーマンスというのは、今その瞬間だけで確定する訳ではない。
もっと長いスパンで吟味すべきことだと思う。
でも、多くのコスパ論者たちは、目先のコストをどれだけ下げるかに拘泥しているように僕には映る。
そして、それが必ずしも長期的なパフォーマンスに繋がる訳でもない(というか、パフォーマンスのことはあまり考えられていない)とも感じている。
今日はそんな話だ。
それでは始めていこう。
比率(レシオ)が上がればいいの?
コスパもタイパもそうであるが、「今ここ」のコストや時間を削減することで、その比率(レシオ)を上げようとする(上がると思っている)のが一般的であると感じている。
コストが下がれば、パフォーマンスは横ばいであっても、結果としてその比率(レシオ)が上がるから良いことだよね、と思われているというか。
そこに僕は2つの疑問を覚える。
1つはコストというものが超短期で考えられているということ。
もう1つは、パフォーマンスを上げるという概念が抜け落ちているということ。
それがいつも不思議なのだ。
コストが下がってもパフォーマンスが下がれば、レシオも下がるのでは?
若手やある種の人達と話をしていると、コスパという概念が判断基準の大きな比重を占めていることに否が応でも気づいてしまう。
彼(彼女)らは意識的なのか、無意識的なのか、そうやって物事を判断していく。
もちろん、その考え方自体はわからなくはない。
でも、片手落ち感があると僕は思う。
その瞬間のコストを削減することによって、どれだけのコスパという比率(レシオ)が上がったのだろうか、と。
もっと言えば、今この瞬間のコストを削減したことによって、長期的なパフォーマンスが下がり、結果的にその比率(レシオ)も下がってしまっているのではないか、と。
経験と機会の喪失
その対象は多岐に亘る。
例えば、目の前にある一見意味がなさそうな仕事。
それを「私の今後のキャリアにとって無意味である」と切り捨てることは簡単だ。
そして、彼(彼女)らはそれによってコスパが上がったと思っている。
確かにその瞬間にはコスパは上がっているのかもしれない。
でも、それによって彼(彼女)らはその仕事によって得られる経験を失っていく。
また、次の仕事が回ってくる機会を失っていく。
それでコスパが上がっていると言えるのだろうか?
僕には甚だ疑問である。
飲み会キャンセル界隈
これは人付き合いにも言える。
例えば「飲み会キャンセル界隈」のような言葉たち。
確かに職場の飲み会は面倒だし、金も時間もかかる。
そういう意味においては、コスパは悪いと言えるだろう。
でも、そのコストを削減したことによるデメリットについてはあまり吟味されていないようにも思う。
2時間の時間削減と5千円くらいの費用削減(と気疲れ等)による、コスパの上昇率とは如何ほどなのか?
僕はそのような行動に共感こそすれど、本当の意味では非常にコスパが悪いだろうなと思ってしまうのだ。
全員と個別の関係性を築くのはとても労力が掛かる
それはマネージャーになってから気付いた観点であると言えるのかもしれない。
仕事をするということは、それもサラリーマンという職種で仕事をするということは、面倒な他人と否が応でも関わらざるを得ないことを同時に意味する。
それも自分とは大きく価値観や考え方が異なる人達と。
そのような人間関係を円滑にすべく、それぞれの人達と個別にやり取りをするのはとても時間と労力が掛かるし、また現実的には不可能であるとも言える。
でも、例えば「ある種の仕事をしない」とか「飲み会には行かない」という行為は、そのような人たちとの人間関係を一度に悪化させる可能性を帯びていると僕は思っている。
もちろん、多くの人達はそのような行為をしても、敢えてダメ出しをしたり、露骨に無視をしたりということはしない。
「何でもないこと」のように装いながら、仕事は進んでいく。
ただ知らず知らずのうちに遠ざけられる、それだけのことである。
全体的な人間関係の悪化
そのような「全体的な人間関係の悪化」はとてもコスパが悪い行為だと僕は思う。
それは長期的なパフォーマンスを確実に下げる種類のものだと思うから。
コスト削減とコストパフォーマンスは違う
「いや、そういうことではなく、仕事は成果で評価すべきでしょ。人間関係なんて関係ないでしょ」
そのような考え方もよくわかる。
そして、たぶんマネージャーになっていなかったら僕もそのように考えていたと思う。
仕事は成果で測るべきだ。
人間関係なんて関係ない、それはその通りである
でも、成果が上がる可能性がその人間関係によって減じられるなら、それはとても苦しい戦いになることは簡単に予想できる。
それでもいいならいいと僕は思う。
ただ、その際には「コスパ」という言葉は使わないで欲しいなとも思う。
それはあくまでもコスト削減に過ぎないのだから。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
コスパという言葉が使われる時に考えられているのは、主にコスト削減のことだと僕は思っています。
そこにはパフォーマンス極大化という概念があまりありません。
そして、本文にも書いたように「コスパ=パフォーマンス÷コスト」という比率で物事を考えた場合、確かにコストを下げるとコスパは上がったように見えるかもしれません。
でも、そのコスト削減によりパフォーマンスも下がってしまうのではないか(それも若い頃であればその影響は甚大ではないか)と僕は思ってしまいます。
もちろん、職場には面倒なことがたくさんあり、そのような「コスト」は削減できるならそれに越したことはありません。
ただ、それはあくまでもコスト削減です。
パフォーマンスのことも併せて考えていきましょう。
