痕跡やリワードを求める時代

UnsplashBrands&Peopleが撮影した写真

証明書が欲しい世代

若手社員の指導を頼まれることがあり、自然とそういう世代と関りを持つことが増えている。

その時に思うのが今日のタイトルのようなことである。

彼(彼女)らはリワード(報奨)が欲しいのだ、と。

もしかしたらそれは無意識的なのかもしれない。

でも、そこには「証」を求める動機がある。

そんなことを思う。

仕事に対して前向きに取り組んだり、そこで充実感を得たりするだけではなく、その仕事に対して前向きに取り組んだ(もしくは充実感を得た)という「証明書」を欲しているように僕には思える。

それらをスタンプラリーのように集めていくと、ステップアップしているという感覚を得られる、というか。

それに対して、「気持ちはわからないでもないけれど、そんなものいらないのでは?」と僕は思ってしまう。

今日はそんな話だ。

それでは始めていこう。

わかり易く上昇しているという痕跡が示されないものに対しては興味を示さない

「上昇志向がない」

これは若手世代全体によく言われる話だと思う。

でも、必ずしもそうではないのではないか、というのが今日の話に繋がっていく。

僕の解釈では、「わかり易く上昇しているという痕跡が示されないものに対しては興味を示さない」ということのように思われる。

ここには「コスパ」的思想がある。

というか、意味のないことはやりたくない、報われないのであればやらないのと一緒、というような考え方が潜んでいる。

また、失敗への忌避感も含まれている。

不安感と安心材料

彼(彼女)らと接していて思うのは、人生は有限であり、その中でも若さは有限であるという強烈な感覚である。

そして、自分達が若いうちに、ある程度のスキルや知識を身に付けなければこの先どうにもならなくなってしまう、という不安感である。

でも、知識やスキルというのは不定形なものであり、第三者への証明が難しいものでもある。

だからそのスキルや知識を分かり易く証明できる証のようなものが欲しいのだ。

「努力が証明書に化けないなら、その努力は無駄だ」という思想

そこにあるのは「無駄な努力は何もしないことと一緒」というような考え方であると僕は思っている。

もっと言えば、「努力がわかり易い証明書の形に化けないのであれば、そんな努力はしない方がマシだ」という思想である。

そういう意味において、「痕跡やリワードを求めている」と僕は彼(彼女)らの行動を表現しているのである。

絶望感と諦念と不信感

たぶんここにあるのは絶望感だ。

というか、諦念という方が適切かもしれない。

「あなた達はわかり易い証明書がなければ、私たちが努力しているということなんてわからない(見抜けない)のだろう?」

そのような不信感

十把一絡げにされてしまうことへの恐怖にも似た感覚。

見抜けない大人達への防衛策

それは僕から言わせれば、とても舐めた態度であると思う。

見くびるなよ、とも思う。

でも、一方で多くの大人たちはきっとそのような違いを見抜けないのだろうなとも感じてしまう。

それに対する一種の防衛策。

それが彼(彼女)らの行動の根本にあるのだろう。

似たようなリワードばかり

ただ残念ながら、リワードの多寡や、その質の良し悪しによって、キャリアアップが約束される訳ではない。

そして、似たようなリワードを持つ者が増えれば増えるほど、そのリワードの価値は陳腐化していく。

多くの若手たちがコスパが良いと考える仕事というのは、そういう意味において長期的にはコスパが悪いものである。

皆似たような経験をし、その証明書を武器に戦おうとするのだから。

多くの者が最善だと考える防衛策は最善ではない

彼(彼女)らに欠けている観点はここだと僕は思う。

彼(彼女)らが考える「最善の」防衛策は、皆がそれを最善だと思えば思う程最善ではなくなっていく。

そこで得られる経験の証明書を得たところで、誰もきっとそれに関心を示さない。

それはありふれたものであるから。

前向きにモブになろうとする行為。

それを証明する為のリワード。

僕にはそれが何のための行動なのかよくわからない。

資格や学歴という痕跡

いや、確かに、何の証明書もないのは不安だという気持ちはよくわかる。

「資格」「学歴」というのは、それを分かり易く示す痕跡の一種だと思うし、それがあるかないかで実際にある程度選別されてしまうのが現実であるとも思う。

でも、それだけでは当然ながらダメなのである。

「資格」や「学歴」が素晴らしくても、使えない人たちは山ほどいる。

ましてや、それらが陳腐化しているなら目も当てられない。

そのような想像力(と射程)。

それが必要なのではないか?

今この瞬間に目を向けよう

僕はもっと「この瞬間」に意識を向けても良いのではないかと考えている。

あまり先のことや意味なんてことを考えずに、目の前の仕事に集中することが大切なのではないかと思っている。

没頭や快の感情。

それがたぶん彼(彼女)らには大いに欠けている。

リワードとは?

意味や目的、その他諸々のことに意識が向かい過ぎて、その事物や瞬間を楽しむこと自体が置いてけぼりになっている。

それはあくまでもリワードを得る為の材料に過ぎない、というか。

でも、その材料にこそ、リワードを超えるものが内在しているのだ。

過程にこそ意味がある

ショート動画ファスト映画のようなもの。

見るという行為よりも、見たというリワード。

その中で競うことは陳腐化するだけでは?

おじさんめいた話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

今日の話は読書体験にも似ているのかなと考えています。

本を読むという行為は、読み終えるということではなく、その過程に意味があります。

物語を通過していること自体に意味があるのであって、物語を通過したことははっきり言ってどうでもいいことです。

でも、多くの人はそれを読んだか否かで判断しようとする。

大切なことは「潜り抜ける」というその過程の中にあります。

そこで自分が体験する「そのもの」にこそ価値があります。

リワードはあくまでもオマケです。

今この瞬間を大切にしていきましょう。