目立たない仕事に感謝を述べよう
自分で言った後で気づかされたこと
「ウエノさんのチームには心理的安全性が確保されているように見えますが、普段の行動の中で何か心掛けていることはあるのですか?」
人事部のとても優秀そうな人からそんなことを真顔で聞かれた。
その時はあまり上手く答えられず、モゴモゴそれっぽいことを話してしまったのだけれど、その言葉がずっと頭に引っ掛かっていて、それを言語化してみようというのが今回の話である。
僕が心掛けているのは、「目立たない(地味な)仕事をしている人に感謝を述べる」ということである。
これはある時から意識的に行うようにしている。
というか、ある部下のある行動に対して感謝を述べた時、それがチームにとってとても大事なことであるということに自らも気付かされた、という感じである。
良いチームの中には地味であるけれど、チームを確実に支えてくれている人が存在する。
その人の特定の行動にスポットを当て、きちんとマネージャーが見ているということを表明すること。
それはチームの心理的安全性を担保する上でとても大事なことである。
さて。
何だか言いたいことは言ってしまったような気もするけれど、とりあえず始めていこう。
「褒める」という行為にはリスクとリターンが含まれている
仕事の中には目立つものとそうでないものがある。
そして往々にして、皆目立つものに意識が向きがちだ(だから「目立つ」のだけれど)。
「マネージャーは部下を褒めるべきだ」とか「褒めて部下を伸ばそう」とか言った言説が広まり、それ自体は僕も賛成ではあるけれど、その中身というか、方向性についてはもう少し慎重に考えた方がいいのではないかとも感じている。
というのも、多くのマネージャーはそういった目立つ仕事にスポットを当て、それを褒めるということをしがちであるからである。
もちろん、それ自体が悪い訳ではない。
でも、「マネージャーは目立つ仕事を褒めるのだ」「目立つ仕事こそがいい仕事なのだ」という間違ったサインを送る可能性があることは意識しておいた方がいいと僕は思っている。
「褒める」という行為には、リターンだけではなくリスクも含まれている。
褒めるという行為が無条件で良いものではないということを知ること。
それがチームマネジメントにおいては重要であると僕は考えている。
そして、バランスを取る為にも、目立たない仕事をしている人に対して感謝を述べることを意識的に行うべきだと思うのだ。
人知れずプリンターの紙を補充すること
これはちょっとしたことである。
例えば冒頭に書いたある部下のある行動というのは、毎朝プリンターの紙を人知れず補充している部下の行動のことである。
誰よりも早く出社する彼は、毎朝部署の中にあるプリンターやコピー機の紙を黙って補充していた。
それは誰に指示された訳でもないし、誰かに褒められたいと思って行っている行動でもない。
単純にその方がチームが働き易くなるから、それだけの理由である。
もちろん、たまたま朝早く出社した僕がそれに気づいたように、彼にもいつか上司が気付いてそれを褒めてくれるだろう、という打算が全くなかったとは思わない。
でも、僕がそれをある1on1の中で指摘した時にはとても照れ臭そうにしていたし、そこまでの考えは働いていなかったように思う。
ただ、そういうちょっとした仕事というのは、チームにプラスの影響を与える。
やる方も、褒める方も打算はナシで
といっても、僕がその行動を皆の前で褒めたとか、そういうことではない。
彼1人に対して、1on1の中で感謝を述べただけである。
でも、そのようなマネージャーの行動は、彼に対して「この人はそういう仕事まで見ているのだ」という印象を及ぼすものだとも思っている。
それも当時の僕にそのような打算があった訳ではなく、事後的にそのような好影響を及ぼすのだということに気付いた、それなら積極的にやった方がいいのだろうなと思った、というのが本当のところである。
見かけの良さに騙されないこと
「心理的安全性」というワードは、僕からすればキラキラしているというか、アメリカ西海岸的な香りがする言葉であり、最近では金科玉条のように使われ過ぎであるとも感じている。
でも、本当の意味でそれをチームにもたらすのは、そんな煌びやかものではないと思っている。
もっと地味で、ある意味ではつまらないものだ。
でも、そのような地味さやつまらなさの中にこそ、「見かけの良さだけでこのチームでは行動を判断されないのだ」という本当の意味での安全性が生まれると感じている。
そして、そのような感覚を部下にもたらす為の責任の多くは、マネージャーの普段の行動に掛かっている。
派手なもの、わかり易い成果(だけ)に目を向けるのではなく、日々のちょっとした仕事に(も)関心を向けること。
部下にマネージャーを見くびらせないこと。
それがとても大事なことなのである。
ともすれば「言いたいことが言えること=心理的安全性」と捉えられがちな昨今の風潮に対して、僕はそんなことを考えている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
心理的安全性の日本化。
今回の話を要約するならそういうことなのかもしれません。
「コーチング」の概念もそうですが、アメリカ西海岸的な思想を日本で適用する場合、そこには何らかのアレンジが必要であると僕は考えています。
でも、多くの人は「オリジナルであること」を必要以上に有難がり、それをそのままの形で適用しようとする。
そこに僕と他の人との違いがあるような気がしています。
日本において「言いたいことが忌憚なく言える」という状況は、残念ながらあまり起こりにくいと僕は考えています。
それは国民性のようなもので、そこに理想を置くと本質からズレてしまう、そんなことを考えています。
人事の方が僕に注目したのはそういうことなのかもしれないな、と今になって思います。
日本的な心理的安全性は、巷で言われている心理的安全性とはちょっと違うはずです。
上手にアレンジしていきましょう。

