監督論とマネジメント論
マネージャーの交代によって起こる変化は大きい
選手が同じでも、監督が代わると見違えるようにチームが良くなることがプロスポーツの世界では起こりうる。
プロスポーツと我々程度のビジネスを比較するのもおこがましいとは思うのだけれど、これはマネージャーにも起こる現象だ。
チームメンバーが一緒であっても、マネージャーが違うだけでパフォーマンスは大きく変わる。
それはなぜなのか?
それをずっと考え続けている。
能力ではなく人格や存在によって初めから決まっている?
そういう意味においては今回の論考は結論が出るようなものにはならないと思う。
でも、上手く言えないのだけれど、そこにこそマネジメントの本質があるような気がしている。
そしてその本質は、「能力」ではなく「人格」の中にあるという、努力のしがいのないどうしようもない結論に近いもののように考えている。
「存在」によって初手から決まってしまっている、そんなイメージだ。
動物としての感性
自分が営業経験が長いからかもしれないけれど、僕は誰かと面談を行うと、ものの5分か10分くらいでその人がどういう人なのか、がわかる。
もちろん第一印象というものは第一印象に過ぎない、という論理的な思考を付帯させて、その評価を補正しようとするのだけれど、時が経つにつれて、やっぱりその第一印象が正しかったことが証明されることが多い。
それはアナログな動物である人間の勘のようなものだ。
様々な感覚器を使って、僕たちは目の前にいる人間が信頼に足る人物なのか、そうでない人物なのかを、太古の昔から峻別してきたのだろう。
そしてそれができなかったものは進化の歴史の中で淘汰されてきたのだろう。
結果的に生き残った僕たちは、そのような感覚が研ぎ澄まされた動物としての能力を自然と備えている。
それは頭で考えるよりも体で感じるものだ。
この人についていっていいのか、そうでないのか、は本能的なものだ。
匂いやフェロモンやその他諸々の要素もきっと関係しているのだろう。
そのような総体として、リーダーのリーダー性は現前する。
この国にはリーダーとしての資質が欠けている人が多い
僕は社会人生活を相応の期間過ごしてきたけれど、今のところ本当に尊敬できる上司と呼べる人は2人だけだ。
そしてそのうちの1人だけがビジネスでも大きな成果を残していた(もう1人は残念ながらビジネス上の成果は乏しかった)。
本当にたくさんの人の下で働いてきたけれど、世の中の大半のマネージャーはニセモノだった。
それは自分自身の「若さ」のせいだと思っていたけれど、どうやらそうでもないようだ。
ある程度の歳を重ね、自分でもマネジメント業務をやってみて、体感としてマネージャーとしての資質が欠けている人が多い(もちろんその中には僕自身も含まれている)、というのが現在の実感だ。
たぶん母集団としてのリーダー人材が日本社会には不足しているのだろう。
それは教育の問題なのかもしれないし、民族性の問題なのかもしれない。
よくわからない。
でも、そこに手を入れていかないと、生産性の向上は望めそうにないことは確かだ。
トップダウン的にリーダーを育成する
たぶんリーダー(もしくはエリート)と呼ばれる人たちを育成するアプローチ方法自体が日本と他国では違うのだろう。
別にサラリーマン社長が悪いということではないけれど、日常業務の延長線上にマネジメント業務があるという考え方(ボトムアップ的な)が日本的なリーダー論であるような気がする。
立身出世的と言うか、秀吉的というか。
その内的(かつ同質的)な競争に勝ち抜いた人をリーダーと呼ぶ。
逆に他国では(特にヨーロッパ?)、初めからリーダーはリーダーとしての教育を施されている(そもそも異なるもの)というような感じがする。
そして、そのリーダーはリーダーであるがゆえに、社会的な責任(ノブレスオブリージュ)のようなものも負う。
もちろんそこには身分制のような弊害があることも事実だろうし、その負の面をあまりにも見ていないという反論があるのも理解している。
それでも、だ。
プロ・マネージャーの育成を本気で考えなければならない段階に来ているような気がしている。
部下を「管理する」のではなく、「賦活する」ような、そういう人材を意識的に「作って」いかなければならない(自然に発生するのを待つのではなく)ような気がしている。
ボトムアップだけでなく、トップダウン的にマネージャーを育成していく。
そんな時代が来たのではないのだろうか?
チームパフォーマンスの向上を第一義とする
その為にはマネージャーの評価の仕方も変えなければならない。
あくまでも重要なのはチームパフォーマンスの向上であり、その成果を第一義的に評価する。
それ以外のものは付帯事項に過ぎず、そのウェイトを下げる。
プロ監督が成績不振を理由に解任されるように、プロ・マネージャーにもある種そのような厳しさが必要だ。
そしてその評価はオーナーだけが行うのではなく、チームメンバーからも行うようにする。
マネージャーはマネジメント能力でチームに貢献する。
その貢献度合いで評価を行う。
マネージャーがメンバーを上から評価するのではなく、マネージャーはそのチームのパーツの一部に過ぎない、ということに自覚的になる。
それが最初の1歩であるような気がしている。
やっぱりまとまりのない話になってしまった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
プロスポーツの世界もそうですが、「裏側」をうかがい知ることはできません。
でもその「裏側」にこそ秘伝のレシピがあるのだと思います。
試合や、仕事で現れるパフォーマンスは、「完成した料理」であって、どのような材料をどのような割合で組み合わるか、それをどのような火加減で調理するのか、にはあまり関心が向かいません(少なくとも調理工程がインスタ映えすることはないでしょう)。
僕たちマネージャーの仕事はその「仕込み」の作業です。
地味で大変な反復仕事ですが、わかる人にはその違いがわかる、職人的な世界です。
誰に褒められなくとも、信じる道を進んでいきましょう。