オーケストラの指揮者のようなスタンスで

マネージャーはパーツに過ぎない
課長とかマネージャーとかいう名称があるから、管理職は偉そうにするのではないか?
最近はそんなことを考えている。
僕はマネージャーというのはあくまでもチームにおける役割の1つに過ぎなくて、上下の関係性ではなく、対等な(横の)関係性であると考えている。
それはオーケストラには指揮者が必要だけれど、楽団員に比べて指揮者が偉い訳ではない(偉いのか?)というのと同じような意味合いだ。
「オーケストラ」というものを組成させるためには「指揮者」というパーツも必要である(というか指揮者がいないものはそもそもオーケストラという名称は付けられない)、というような感じに近いものだ。
もちろんその指揮者が有能であれば、自然にリーダーシップが発生するのだろうけれど、それはあくまでも動的かつ能動的なもので、楽団員に対して指揮者側から強要する類のものではないのは明白だ。
音楽の中に一体化していく
指揮者の例えが良さそうなのでもう少し続けてみる。
指揮者は楽器を持たないし、演奏を行わない、というのもマネージャーの役割として適切な感じがする。
奏でられる音楽の一部ではあるのだけれど、その音楽の音階の中には指揮者は含まれていない。
でもその音楽の中には指揮者の「指揮者性」みたいなものが現れる。
同じ譜面であっても、同じ楽団員が演奏しても、そこで現出する音楽は指揮者によって異なる。
そして外形的には(特に素人目には)同じようなことをやっているように見える。
指揮棒を振って、リズムを取る。
ただそれだけの仕事のように見える。
観客がコンサートで見るのは、その後ろ姿だけだ。
でも楽団員から見た指揮者はそうではない。
コンサートに至るまでの段階、コンサートにおける表情、そこに宿る人間性、みたいなものの総体として指揮者が存在する。
双方の間に信頼関係が生じる。
でもそれは必ずしも指揮者が一流のプレーヤーである(であった)からではない。
良い音楽という大きなものの為に、その一部になるという行為の気持ち良さに、自分も一体化していくというような陶酔感の中に、指揮者の存在は溶け込んでいく。
存在しているのだけれど、同時に存在していない。
演者であるのだけれど、背景でもある。
そんな感じだ。
指揮者が演奏するという滑稽さ
このイメージを持ってもらえると、いかにマネージャーがプレイをすることが愚かなのかがわかってくると思う。
指揮台に乗っている人間がいきないバイオリンソロを演奏し出すコンサートを想像してみて欲しい(それはそれで面白いかもしれないが)。
僕たちマネージャーがするべきことは、自分でバイオリンを奏でることではなく、楽器を使わずにその楽団の音楽を良くすることだ。
もちろん、かつて名プレーヤーであった場合には、バイオリニストの前で演奏してみたりすることはあるだろう。
でも演奏するのは観客の前ではない。
稽古場の中だ。
そして楽団の中に上手なバイオリニストがいなくても、楽曲を楽曲として成立させることはできる。
トレーニングによって楽団員が成長しなくても、楽曲の構成を変えたり、BPMを変えたり、見せ方を変えることで戦うことはできる。
才能がない楽団員だけでも、中古の楽器ばかりでも、素晴らしい音楽を奏でることは可能だ。
僕はチームマネジメントをそんな風に捉えている。
いい音楽を作れるかどうかを尺度にする
個性的な楽団員を纏める為には、もちろん自分の音楽性みたいなものも重要だけれど、それだけでは十分ではない。
もしかしたら、自分で楽器を演奏できるかどうかというのはあまり関係がないのかもしれない。
いい音楽を作れるかどうか、それだけの話だ。
いい音楽を作るためには、音楽理論をたくさん知っていたり、様々な楽器の演奏経験があったりすることも大事だけれど、感性や人間性もとても重要だ。
知識や経験によって楽団員をねじ伏せて言うことをきかせることもできるけれど、きっとそこで奏でられるものは窮屈なものになるだろう。
音の伸びは限られたものになるだろう。
残響の余韻の中で
もっと言うのであれば、必ずしも大ホールで演奏するのが良いとも限らない。
室内楽までいかなくとも、小さなホールで親密な音楽を奏でることが良い場合もある。
素人たちは大きなホールでたくさんの観客が入る音楽を素晴らしいと言うのかもしれない。
でも音楽の音楽性は観客の多寡で測れるものではない。
その楽団の能力を発揮させること、その場の空気を適切に把握することによって音楽は音楽となる。
マネージャーがチームに生じさせるのは、この音楽との一体性だ。
その音楽の一部に自分もなっているという有用感だ。
器用なものもいるし、そうでないものいる。
でも彼らはその音楽の貴重な一部だ。
そしてそこに漂っている残響を糧に、僕らは困難な次の道を進んでいく。
拍手が起こるまでの数拍の沈黙。
その儚い快感を味わいたくて、また次の楽曲の譜面をめくる。
息を止めて、指揮棒を上げる。
最初の音が揃う確証なんてない。
その音楽の行き先なんてわからない。
でも勇気を持って、楽団員たちを信じて、僕はその指揮棒を下ろす。
観客たちは後景へ引いていく。
そこには僕たちと音楽だけが残る。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネージャーがプレイをすることの欠点は、そこに客観性が失われることだと僕は思っています。
自分のプレイを客観的に判断してくれる人がチームにいなくなってしまう。
その弊害について自覚的である人はあまり多くないような気がします。
一流プレイヤー達に必ずコーチがいるように、チームにもマネージャーが必要です。
チームを客観的に見ることができる人間が必要です。
茨の道であることは承知の上で、マネジメントに専念していきましょう。