課長は直接顧客を担当すべきか?

課長は「単独で」動くべきではない
営業課長をしている中で、未だ結論が出ていない事項がある。
それは「課長は直接顧客を担当すべきか?」という問題だ。
これはプレイングマネージャーの議論にも繋がるものだと思うのだけれど、ここでの話の要旨は、課長が「直接(単独で)」顧客を担当すべきかということになる。
敢えてこれをなぜ言っているかというと、プレイングマネージャーの「プレイ」の部分には担当者と「協働して」動いていくという意味合いが含まれているのに対して、今回のテーマは課長が「単独で」動いていくべきなのかどうか、という点に論点を絞りたいからだ。
結論を先に言うと、僕は「すべきでない派」だ。
異論は認める。
それについて今回は書いていこうと思う。
単純にプレーヤー業務は楽しい
営業課長であれば誰しも経験することだと思うのだけれど、チームの成績が上がらない局面における打開策の1つとして組織側から求められるのがこの「課長が直接営業すればいいんじゃない?」というものだ。
大体の場合、課長は営業成績の優秀さを認められて管理職になっているので、プレーヤーとしての実力は申し分ないことが多い。
だから、当たり前の話だけれど、課長が直接営業すれば数字は「上がる」。
でも僕が言いたいのは「それでいいのか?」ということだ。
自分でもよく思うことだけれど、マネージャー業務よりプレーヤー業務の方が圧倒的に「楽しい」。
マネージャー業務が曖昧で中長期的な射程の仕事であるのに対して、プレーヤー業務はわかりやすく短期的な仕事であるからだ。
契約を取るといったような、実力を外形的に示しやすい面が多分にあり、自尊心も満たされる。
自分が有能であることを端的に示すことができる。
でもマネジメントはそうはいかない。
紆余曲折を経ながら、それがマネージャー個人の力によるものなのかわからないまま、チームは進んでいく。
そして残念ながら、それを理解できる外部のものも少ない。
かくして、マネージャーはプレーヤー業務を無意識的に望むようになる。
チームがマネージャーに私物化されるリスク
そんな時に、組織の方から「チームの状況が悪いから、課長が何とかしろよ」という指示が来る。
願ったり叶ったりだ。
一度営業(プレーヤー)のカタルシスを覚えると、そこからまた地味なマネジメントに戻るなんて考えられなくなる。
顧客も課長のことを称賛してくれるし、数字も上がるし、言うことなしだ。
誰にも褒められることなどないマネジメント業務なんてくそくらえだ。
その気持ちも痛いほどわかる。
でも、たぶん、「それではいけない」のだ。
それはチームがマネージャーの属人性に左右されるようになるからだし、チームがマネージャーに私物化されるからだ。
もう少し詳しく書く。
本気でマネジメントに専念した人は少ない
理解している人は本当に少ないけれど、マネージャーの属人性によって向上できる数字というのは微々たるものに過ぎない。
チーム全体の向上によってもたらされる数字と比べたら、本当に雀の涙程度のものだ。
もちろん危機的な状況においてその涙は慈雨とはなるものの、あくまでも一時的なものに過ぎないし、むしろ一時的なものにすべきだ、と僕は思う。
たぶん、本気でマネジメントに専念したマネージャーというのは日本社会には少ないのだろう。
それによってもたらされる果実の大きさを体感としてわかっている人は本当にごく僅かなのだろう。
だから、「課長が直接営業すべきだ」なんて軽々しく言えるのだ。
自分にはその経験がないから。
自分にはその実力がなかったから。
強い言葉になってしまったけれど、僕は心からそう思っている。
荒野を顧みない「有能なマネージャー」たち
そしてその「勘違い」はチームの崩壊に繋がっていく。
マネージャーは自分の数字を上げる為にチームを使い始める。
良い顧客は自分に集中させ、どんな案件にも噛み込もうとし、自分よりも能力のある担当者を疎んじたりするようになる。
それも無意識的に。
漸進的な変化でもあるので、本人も周りもそれに気づくことはない。
でも担当者は窮屈さを感じている。
でもそれを暴君と化したマネージャーに直言することはできない。
自分も排除される可能性があるからだ。
組織の側も一旦それを求めた以上、そこに介入することは難しくなる。
現実的に目の前の数字は欲しいし、それを失う可能性は避けたいと思うようになる。
かくして、このような状況が継続する。
後に残るのは荒野だ。
でもその時にそのマネージャーはいない。
立派にご昇進されて、「有能なマネージャー」という肩書を得ている。
後に続く者も、評価する人事部もそれをロールモデルだと思っている。
同じようなマネージャーが再生産されていく。
それが本物のマネージャーが育たない日本の現状だ。
7回コールドでの大勝を
たぶん「すべき派」と「すべきでない派」は永遠に分かり合えないとは思うものの、僕はそれでも「直接担当すべきでない」と断言したいと思う。
僕はそれによってたくさん嫌な目にあってきたが、最終的に大きな成果を残せたのは僕のやり方の方だった。
自分で言うのもなんだけれど、圧倒的な大差だった。
7回(5回?)コールドくらいに。
それを評価してくれた「変わり者たち」のおかげで、僕は今でも何とかマネジメント業務を続けられている。
その人たちに足を向けて寝ることはできないし、だからこそ僕はこのブログを書いている訳だ。
ささやかなゲリラ戦を展開することで、少しでも働きやすい環境を構築しようとしている。
青臭い幻想?
それでもいい。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
コロナウイルスによって、「管理職=コスト」というような(短絡的な)考え方は更に広まっていくでしょう。
このような言説は現状における大抵の管理職に当てはまることは事実であるものの、個人的にはそのような人たちと十把一絡げにされるのは納得できないなと思っています(もちろん個人がそのように思ったところで抗えないもの事実であるのですが)。
表面的には確かに管理職というのは「利益」を生んでいるようには見えませんし、その貢献度合いを可視化するのも困難です。
だからといって、「管理職も(自分で)稼げよ」というのはちょっと芸がないのではないか、と僕は考えています。
というか、「管理職」に「稼がせる」いうのは自家撞着であるような気すらしています(それならプレーヤーとして出来高制に戻して欲しいと僕は思います)。
長く組織に属していて僕が思うのは、どんなに頭が良い人でも、実際に現場に下ろすようなレベルの指示というのは、その程度のものに過ぎない(パラダイムシフトではなく、現状の延長線上にしかないもの)のだなということです。
負け試合であるのは承知の上で、僕は自分にできる範囲で、圧倒的な成果を出していきたいと思っています。
それが自己満足に過ぎなくても。
それがただの思い込みに過ぎなくても。