ビーンカウンターたち
豆を数えるだけの簡単なお仕事です
最近知った言葉にビーン・カウンター(bean counter)というものがある。
これは字面の通り、「豆を数える人」、つまり、そこにあるものの数を数えることに心血を注いでいる人物(そして新しいものは何一つ生み出さない)という意味だ。
日本語に訳すと「経理屋」とでもなるのだろうか(○○屋には侮蔑的な意味合いが含まれていることが多い)。
もう少し意訳すると、「官僚」とか「批評家」とかそんな感じになるのかもしれない。
要は、細部の数字を合わせることだけが仕事であるかのように振舞う人達(大企業病的な)を指す言葉だ。
そしてこのようなタイプの人は当然マネージャーの中にもいる。
というか、むしろ多いくらいだ。
今回はそのことについて書いていこうと思う。
低迷の原因に自分は含まれていない?
数字を基に議論すること自体は悪いことではない。
足元の状況を把握するのに、数字はその根拠になるものとして最適と言ってもいい。
でも、ここに体温が伴わないと、数字はとても冷たいものになってしまう。
ここで言う体温というのは感情面もそうなのだれけど、どちらかというと、主体性とか、具体性とか、そういった類のものを指す。
ビーンカウンターはその数字がその数字(低迷した数字)であることに自分が含まれているとは考えていない。
その低迷の一翼を担いでいることに自覚的でない。
他人事としてその数字を空中に浮かす。
後のことは、後のことだ。
他の人がやる仕事だからだ。
そして、その低迷している数字を見つけることにはとてつもない能力を発揮するのだが、それを具体的にどのように改善するか、ということには頭が回らない。
というか、上記と同じように、それは別の人の仕事だと考えている。
理想と現実の折衷点を探し続ける
冗談みたいな話だけれど、この種のマネージャーはとても多い。
出来ない原因は全て部下のせいで、自分はそこに含まれていないと考える人物。
僕には1ミリも共感できないけれど、このようなタイプの人物はどんどんと部下を追い込んでいくことをマネジメントだと勘違いしている。
自分は机に座って、その成果をただ待っているだけだというのに。
以前にも書いたことだけれど、マネジメントにおいて難しいのは、「べき論」ではない具体的なやり方を考えること、現状のメンバーで実施可能な効果的な手法を編み出すこと、だ。
理想と現実の摺り合わせと言い換えてもいい。
地平に立って「今日何をすべきなのか」を示すことができること。
それの反復ができること。
当然ながら外部環境の変化や、メンバーの心境の変化など、様々なファクターによって、今日為すべきことも変わっていく。
それを適切に調節していくこと(陳腐化させないこと)がとても大事だ。
でも多くのビーンカウンター達は、この意味がわからない。
理想論と、現状の冴えない数字を眺めているだけで、そこに具体性は何一つない。
そしてその冴えない現状を変えていこうという主体性も皆無だ。
自分もチームに含まれているということを体感としてわかっているか?
5年以上マネジメントをやってきて思うのは、大事なのは「看板」を掲げることや「風呂敷」を広げることではないのだな、ということだ。
もちろんビジョンや大義というものも必要なのだけれど、それがあまりにも現実とかけ離れていると、日々のメンバーの意欲を削ぐことにもなる、ということに気付いている人は少ない。
チームがある程度以上の状態になっていれば、そのような「看板」も効果的になってくるのだけれど、それ以前の状態においては、とにかくメンバーのコンディションを高い状態に維持すること、ここに特化した方が効果的だと僕は思っている。
その為には自分がこのようなビーンカウンターになっていないかを問いかけることが重要だ。
低迷している原因を他人事としていないか、自分もその低迷の一因であるということを体感としてわかっているか、そのような態度がチームの体温を上昇させる。
マネージャーもそのチームの部品の一つで、その責任も応分に負う。
メンバーと同じ痛みを感じる。
その意識のあるマネージャーから放たれる言葉は、ビーンカウンターの言葉とは浸透度合いが大きく異なる。
仮に全く同じ内容であっても、だ。
言葉を宙に浮かせない
言霊、というとだいぶ意味合いが重たくなってしまうけれど、言葉を宙に浮いたものとして扱わない、言葉を宙に浮かせない、ためには、そこに「自分も含まれている」という感覚がとても大事なのだと実感している。
もちろん全ての項目に対してマネージャーが責任を感じる必要はない。
でも、欠けているピースの1部に自分も含まれているかもしれない、という意識や感覚はチームマネジメントにおいては重要なものだと思う。
マネージャーが「豆を数え出した」時、他人事として数字を批判し始めた時、チームは確実に悪い方向に向かう(向かっている)。
例えマネージャーの上司がこのようなタイプの人であったとしても、それをそのまま部下に下ろすような態度は取ってはいけない。
面従腹背というか、テキトーにあしらっておいて、本質的なことに注力する。
「いやあ、いい豆ですね! 部長もこういう感じの豆をよくお数えになるんですか!」なんてことは口が裂けても言ってはならない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
主体性というのは想像力と関係しています。
もちろん自分は他人ではないので、真の主体性を持つことは不可能であるのは事実なのですが、その状況を想像できるかできないかではマネジメントの方向性は大きく異なります。
それが欠けた時、他人の為すことは文字通り「他人事」となり、そこには体温や手触りが失われていきます。
マーシャルを持ち出すまでもなく、僕らに必要なのは「冷静な頭脳」と「温かい心」です。
数字でお手玉をしないように、心掛けて仕事をしていきましょう。