心を殺す職場
プロセス重視のウェイトを下げる
楽しそうに働くことは害悪なのだろうか?
最近はそんなことばかり考えている。
僕は大事なのはパフォーマンスの成果であって、そのプロセスは正直どんな形であっても良いと思っている。
でも、日本社会(?)ではプロセスも重要視される。
というか、むしろプロセスの方が重要視される。
それがどのような心持ちでなされたのか、どのくらい真面目に取り組んだのか、その精神性みたいなものを尊ぶ。
それ自体は決して悪いことじゃない。
でも、ちょっとそのウェイトを下げてもいいのではないか?
今日はそんなテーマだ。
心を殺すことで生産性を下げているのでは?
心から真面目であったり、品行方正であったりするなら、それはとても素晴らしいことだ。
でも僕の目にはみんな心を殺して働いているように見える。
職場というのは「私」を抑えるのが「当たり前」で、そこに「人間性」や「個性」なんてものは不要であるというように。
もちろん職場というのはある種「公」の場であって、「私」を剥き出しにすべきではない、それは理解できる。
TPOというか、状況に応じて、我々は行動すべきだ。
それはわかっている。
でも、必要以上に自分を抑えて働くことで生産性も低下させてしまっているのではないか、というのが僕の疑問としてある。
苦しみの中から生まれるものこそ尊い、という自縄自縛
冒頭の問いに戻ると、大事なのは成果をどうやって高めるかであって、それに心を殺すことが適合的であるのであれば、僕に言うことはない。
でも僕には心を殺すことがまず先にあって、成果というのはその制約の中で生まれるものだというように考えられているように見える。
苦しみの中から生まれるものこそ尊い、というような。
空気に合わせることが最重要で、和からはみ出さないことが大事で、笑ったりふざけたりするのはご法度である、そんな窮屈な状態で働いているように見える。
それは僕ら日本人の民族的長所であり、短所でもあるのだろう。
別にアメリカのようにフランクでハッピーな感じが良い(固定観念過ぎるか…)とは思わないけれど、少なくとも自分の意見を言ったり、嫌だと思うことは嫌だと言ったりできるような環境は必要であると僕は思っている。
というか、それすらもできないのが当たり前っていうのはおかしくないか? と思っている。
グレーな職場環境が生産性向上を阻害しているのではないか?
ブラックな職場というのが時折やり玉に挙げられるけれど、多かれ少なかれ日本企業の内情はブラックな職場に近いものだと僕は思っている。
薄いグレーか濃いグレーかの違いくらいに過ぎない、と僕は思っている。
それっておかしくないか?
セクハラもパワハラもそうであるけれど、もう少しそのバーを下げたところでも、人間らしく働いているようには僕には思えない。
確かに職場というのは、そもそもそういったものを発露する場ではない、という考え方もあるだろう。
でも、繰り返しになるが、それで生産性は向上しているのだろうか、というのが僕の考え方の根底にある。
それは、もしかしたら日本の生産性を阻害しているのではないか?
僕たちがもう少し普通に心の内を吐露したり、軽口を叩けるようになれば、生産性は向上するのではないか?
僕はそんな風に考えている。
最短距離を走る為に
上手く言えないのだけれど、それは「お花畑的な発想」とは違うものだと僕は考えている。
「みんな仲良く」とか「楽しく働こう」とかそういうことではなくて、単純にパフォーマンスを向上させる為にはその方がいいんじゃないか、という功利的な理由で僕はそのように提言しているだけだ。
自分がマネージャーであることもあるのだけれど、僕は成果を出すことが最重要だと考えているし、その為の最短距離を走る為には単純にみんなの力を引き出した方が良い、それだけの理由だ。
別に、その方が正しいとか、人間としてあるべき姿だ、とか、そういうことを言うつもりはない。
ロボットのように感情を消して働く方がベストパフォーマンスが出るのであればそれで構わない、というくらい僕自身は冷たい人間であると思っている。
でもたぶんそれではベストパフォーマンスは出ないのだ。
それは僕の経験から断言できる。
人間は必ず壊れる
その手法は短期的には圧倒的なパフォーマンスを上げることは可能である。
でも続かない。
絶対に続かない。
どこかで人間は壊れるのだ。
僕はユートピア的な発想ではなくて、長期的に安定して高い成果を出したいので、そのような手法は絶対に取らない。
人道的な理由ではなく、単純にそうしてしまうと成果が出ないから。
これが本当に理解されない。
精神論に還元するのはもうやめよう
相撲取りの優勝インタビューのように、「私」を押し殺すことへの美学は僕も理解できる。
日本的な求道的な精神も大好きだ。
でも、それで成果が出ないのであれば、そこに何の意味があるのだろうか、とも思う。
内輪受けというか、井の中の蛙というか、島国的根性というか。
本当に不思議なことであるのだけれど、こういう職場においては成果が出ないことを精神性の欠如によるものとしがちで、「根性が足りないからだ!」というような精神論ばかりが飛び交うことになる。
順番が逆じゃないか?
そのように働いているから成果が出ないのであって、そのように働くことへの順応度合い(洗脳度合い)によって成果が出ない訳ではない。
その先に向かっても出口はない。
その道は隘路だ。
恫喝によって生産性が向上するなら僕もいくらでもやる。
でもきっとそれは間違いなのだ。
そんなことを考えながら、今日もまた僕は下らない冗談ばかり言っている。
そして高いパフォーマンスを出し続けている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
真面目に働いている人たちを見ていると、「疲れないのかな?」と僕は思います。
(いや、たぶん疲れているから、酒席でとんでもなく羽目を外したりするのでしょう)
僕自身は普段からある程度言いたいことを言っているので、心を殺しながら働いている人を見ると、尊敬と同時に「大丈夫かな?」という気持ちが湧いてきます。
本心からそれに納得しているのであれば僕がとやかく言う必要はないのですが、どうやらそうでもなさそうなので余計に心配になります。
本文内でも書きましたが、大事なのはパフォーマンスを高めることであって、それができないのであれば、無理に周囲に合わせる必要はないのではないかと僕は考えています。
パフォーマンスを高める手法はそれぞれ違って当然です。
同調圧力を排して、好きに働いていきましょう。