よきにはからえ
部下が指示待ちであるのは、マネージャーが指示をするから
「部下が指示待ちで困っている」という話をよく聞く。
それはマネージャーにも原因があると僕は思う。
部下が指示待ちであるのは、マネージャーが指示をするからだ。
マネージャーの指示を待つからだ。
「マネージャーなんだから、指示をするのは当たり前では?」
そういう反論が聞こえてくる。
今日はそんな話だ。
(もちろんどうやっても「如何ともしがたい部下」というのはいる。ここで話すのは「それ以外の部下」の話だ)
マネージャーなんていらない
極端な例であるけれど、マネージャーが指示を全くしない状態を想像して欲しい。
あなたのチームにおいて、それでチームは回っていくだろうか?
たぶん回っていくだろう。
僕は「マネージャーなんていてもいなくても同じ」という持論を持っている。
それは実際に僕が何もしていないこともあるのだけれど、そうじゃないマネージャーであったとしても、大きくは変わらないだろう。
部下には日々仕事がある。
それを適切に対処していけば、仕事は回っていく。
それだけのことだ。
仕事は部下に、責任はマネージャーに
マネージャーの仕事は、極論をすれば、「責任を取ること」だけである。
部下が勝手に行動してやらかした失敗の責任を取る、それがマネージャーの仕事だ。
それ以外のことは部下に任せてしまえばいい。
現場のことはマネージャーよりも部下の方がよくわかっているし、その微細な感覚というのはとても重要なことだからだ。
とても簡単なことだと思う。
だからもしあなたが「部下が指示待ちで困っている」のであれば、それはあなたが「部下に仕事を任せていない」のと同義のことを言っているに過ぎない。
情報は勝手に上がってくる
あれこれ指示したくなる気持ちはわからないではない。
でもそれは不要だ。
うまくいっている状態の時は、指示がなくても、「相談」という形で部下から情報が上がってくる。
もちろん部下のタイプによって本来の意味での相談なのか、ただ責任転嫁したいだけなのか、状況は異なるけれど、単独で自分勝手に動かれてしまう、というリスクは低いと僕は思っている。
部下に「仕事って面白い」と思わせるために
イメージとしては、マネージャーとメンバーというのは「同志」であって、「上司と部下」というような上下関係ではない、ということだ。
僕は相談されればアイディアは出すけれど、別にそれが「正しい」訳ではない。
あくまでも「アイディア」に過ぎない。
採用するかどうかは部下が決める。
よくあるのが、双方から出た「アイディアの芽」みたいなものを対話を通して育てていく、面白いものにしていく、という形だ。
自分に置き換えてみるとわかるとおもうのだけれど、納得できないことをやらされる仕事というのはとてもつまらない。
一方で、自分が納得できるやり方でできる仕事というのはとても面白い。
(蛇足になるかもしれないけれど、部下から「相談」を受けた時に、「お前はどうしたいのか?」ということを先に問うのはとても重要なことだと思う。
「できないタイプの部下」は自分の意見を封殺、もしくはそもそも自分の意見がない、ことが多いからだ。
それを問うことで、ポジションをはっきりさせる。
同時にマネージャーもポジションを明確にする。
これだけで、議論というのはとても建設的になる。
特に権威主義的な組織内においては、「上司の意見=正しい」と捉えられがちなので、「先に」部下に意見を聞くということをやってみて欲しい)
「よきにはからえ」と放任主義は違う
部下と様々な話をするなかで、僕も納得できる方向性であるのであれば、その細部については部下の好きにやればよい、というのが僕のスタンスだ。
それを「よきにはからえ」と僕は呼んでいる。
これも誤解されがちであるが、これは放任とは違う。
全体観・方向感をアジャストした上での作業を任せるということなので、概念としては大きく異なるのだけれど、日々細部を指示しているマイクロマネージャーからすると、この違いがわからないのだろう。
不確実性を混ぜ込むことでプラスαを生じさせる
創意工夫の余地がない仕事には「プラスα」は発生しない。
1の依頼に対して1を返すだけだからだ。
その正確性を競うことに血道を上げがちになるだけだからだ。
そのようなマイクロな競争に何の意味があるのか?
でもたぶんマイクロマネージャーには何を言っているのかさえわからないだろう。
部下に任せるというのは何かを手放すということではなくて、そこに不確実性みたいなものを混ぜ込むことだ、と僕は考えている。
不確実性というのは悪いものとして捉えられるのかもしれないけれど、それがなければ「プラスα」は生まれない。
システムを強固にしようとすればするほど、脆弱性は増していく。
カタいものほどモロい。
それがグニャグニャした弾性があれば、簡単には壊れない。
このイメージを持ってチームを運営していく。
チームは生き物だ
チームは生物に近いものだ。
そこにある可塑性みたいなものを大事に育てていくべきだ。
コントロールするという概念を手放して、リスクにさらしてみる。
そこに起こる化学反応を楽しんでいく。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
自分で書いていてなんですが、今回書いた内容で自分でもいいなあと思った箇所が、「不確実性を混ぜ込むことでプラスαを生じさせる」というところです。
自分がマイクロマネジメントに今一つ馴染めないのは、たぶんこれの反対概念であるからなのだ、ということに書いてから気付きました。
こういうことがあるので文章を書くことはやめられません。
マイクロマネージャーとって不確実性というのはリスクと同義であって、忌避すべきものであるのに対して、僕はそれを積極的に取り入れようとしている。
遺伝子の変異みたいなものを楽しもうとしている。
それが僕のマネジメントのキモの部分なのかもしれません。
進化論的にチームをマネジメントしていくこと。
それをこれからも続けていこうと思っています。
参考になる部分があれば幸いです。