他人を糾弾することなかれ
できない人をできるようにするのが仕事
今回はチーム作りの話だ。
僕は営業課長という立場であるので、「数字」というものがどうやってもついて回る。
営業の数字には色々なものがあって、それぞれの項目に対して、メンバーから責任者(部門長)のようなものを決めて運営を行っている。
真面目なメンバーはこの責任感から、数字が上がってない同僚に対して、かなり強い言葉を使うことがある。
曰く「どうやったらできるんですか?」「できていないのはやる気がないからではないですか?」
そうやって日々追い詰めていく。
マネージャーによっては、こういう雰囲気を「競争意識が高くて良い」「みんなが真剣になっていて素晴らしい」なんて思うのかもしれないけれど、僕ははっきり言って全然良いと思わない。
ギスギスした職場で仕事をして何が楽しいのだろう?
他人を糾弾することで数字が上がるのだろうか?
そのできない同僚をできるようにするのが責任者の仕事ではないのか?
そんな風に考えている。
恐怖は原動力にはならない
恐怖によって駆動される動機には限界がある。
それはその恐怖から逃れるという目的を果たしたところで役目を終える。
結果として、最低限の水準に達したところでその動機は薄れてしまい、それぞれがそんな意識の状態であるのであれば、チームは停滞することになる。
とても下らないと僕は思う。
大事なのは「数字を上げること」
でも、この「他者を糾弾すること」を仕事だと思っている人はとても多いように感じる。
大事なのは「糾弾すること」ではなく「数字を上げること」だ。
糾弾することで素晴らしい成果が出るのであれば、それで構わない。
でもそれで数字が(長期的に)上がる組織を僕は見たことがない。
厳しい言い方をするのであれば、それはポーズなのだ。
「私はきちんと責任者としての役目を果たしていますよ」という演技なのだ。
舞台上でそれを大げさに表現する役者なのだ。
そのアピールに対して、マネージャーも一緒になって「そうだそうだ!」とやるのが良しとされている向きはもうやめにしないか?
そうやってしまったら「数字が上がっていないメンバー」は居場所がなくなってしまう。
チームに居づらくなってしまう。
多くの職場がこんな風だから日本の生産性は低いままなのだろう。
本当にうんざりする。
自分がいかにクズであるかをアピールする人たち
僕はいつも建設的であるべきだと考えている。
いかなる議論も、「じゃあどうするの?」というのが大事で、それを考えるのが管理者や責任者の仕事であると思っている。
できない部下がいるという現状は管理者や責任者の能力不足を露呈しているだけであって、「自分は人をモチベートできないクズです」と大声で叫んでいることと同義だ。
この感覚をチームに伝えていくことがとても大事だ。
糾弾することは簡単で、モチベートすることはとても難しい。
でもそれを考え抜くことなくして、成果が出るなんてことはない。
釣りをしている人に対して「なんで釣れねえんだよ!」と怒鳴ったって魚は逃げてしまうだけだ。
餌を変えたり、リールを変えたり、ポイントを移動したり、待つ時間を調整したり、色々な方法を提案してみる。
それで彼なりの釣り方みたいなものを身に付けさせる。
それはトップレベルには程遠いかもしれない。
責任者が満足するような段階までは至らないかもしれない。
でもそれで十分なのだ。
ミニマムなチームは自分達で自分達の首を絞めているからミニマムなのだ
他者への批難というのは必ず自分に返ってくる。
その批判を受けないことが目的となり行動するようになる。
常に怯えながら働く、恐怖に駆動される、とてもミニマムなチームが出来上がる。
ケージの中にいるラットのように、走っても走ってもどこにも行きつかないチームに未来はない。
そもそも働いていて面白くないことが「デフォルト」であるというのは異常なのではないか?
そしてその原因が自分達であること、そのつまらなさの片棒を担いでいること、自分で自分の首を絞めていること、に自覚はないのだろうか?
他者を非難することで自分は免罪されると思っているのだろうか?
大事なのは成果だ
こういうことを言うと、「甘いことを言うな!」という輩が必ずいる。
でも僕は違うと思う。
大事なのは成果だ。
その成果が出ていないチームに限って、このようなチームの雰囲気を金科玉条のように守りたがる。
視点を一つ上げれば、そんな成果に拘泥する意味などないのに、その些末な違いに一喜一憂したりしている。
僕が言っているのはもっと圧倒的な成果だ。
それも長期的に圧倒的な成果だ。
価値観の違いに過ぎない?
いや、そんなことはない。
明らかに出力が異なるのだ。
自分達で仕事を面白くする努力を
僕はリアリストなので、それで成果が出るのであれば、「甘いこと」でも何でも言う(僕自身はそれが「甘い」なんて微塵も思っていないけれど)。
繰り返し言うが、それが大事なことだろう?
その為に、「どうするべきか?」を考えなければ、仕事の面白さなんてないだろう?
仕事がつまらないと思っている人は、自分で仕事をつまらなくしていないか、を問うてみるべきだ。
そしてもし自分達で仕事をつまらなくしているのであれば、「せーの」でそれをやめてみるべきだ。
他者を批判するのではなく、対案を出す。
どうやったら、その人ができるようになるのか伴走していく。
それが僕たちの仕事だ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
僕は自分のことを徹底したリアリスト(成果主義者)だと思っています。
成果が出なければ、どんなことも戯言に過ぎない、そのくらい極端な考え方をした人間です。
だからこそ、他人を糾弾していることだけで満足している(それを仕事だと思っている)人に対しては違和感しか覚えません。
マネージャーの役割はチームでの成果を上げることであって、それができないのであれば、そのマネージャーに能力がない(つまりクビ)、それだけのことです。
もちろん現実的には部下の能力が低かったり、外部環境がイマイチだったり、色々な阻害要因があることは事実です。
でもその中で、限られた条件の中で、最大のパフォーマンスをすることを考え抜くことがマネージャーの仕事です。
自分の至らなさ・能力のなさを他人に転嫁することだけはないようにこれからも仕事をしていこうと思います。