戦略を考えよう

今日は戦略の話をしてみる。

戦略と戦術の違い

こういったことを書くと、「戦略」と「戦術」の違いをわかって書いているのかという輩が現れそうなので、まず先にそれを定義しておく。

 戦略…長期的な計画

 戦術…局地的・具体的な方策

人によっては色々な分け方があると思うし、個人的には重なり合うところがあると思うので、厳密に使い分けをしているわけではないのだが、こうやって定義してみると、どちらも非常に大切なことのように思える。

ただ、今日の主題は戦略だ。

長期的に君は任されているチームをどのような形にしたいのか、まずそれを考えなければならない。

そして、それを実現するためには何をすべきなのか、を考えていく必要がある。

前者が戦略で、後者が戦術だ。

(個人的な感覚としては、後者の中にも戦略と戦術が混じっているような気がするけれど)

上辺だけの信念は部下に見透かされる

信念やポリシーがマネージャーには求められる。

君が思っている以上に、部下は君のことを見ている。見透かしている。

日々の言動と行動の1つ1つから君がどれだけ本心で言っているのか、はたまた上辺だけの綺麗事なのか、君は吟味される。吟味され続ける。

そして一度その評価が部下の中で定着すると、それを覆すことは非常に難しい。

なので、最初が非常に肝心だ。

当然ながら、新しく着任した場合であれば、君のパーソナリティを部下は殆ど知らない。

どのような人間が新しくマネージャーとして来たのか、部下たちは戦々恐々かつ興味津々で見ている。

興味がないように装っている部下も、君がいない場では情報収集に努めている。

だからといって、何も偽る必要はない。

ある程度「演じる」必要はあると思うけれど、本来の自分から離れすぎてしまうと、そこに潜む欺瞞を必ず部下達は嗅ぎ分ける。

そしてそれは恐ろしいくらいに正確だ。

発言するときには自分の考えを必ず入れよう

だから、君が思っていることを必ず混ぜて発言するように心掛けよう。

全て本心である必要はない。

組織で働いている以上、意に沿わない仕事はたくさんある。

それを命令しなければならないことだってたくさんある。

でも、そこに君の意思を混ぜ込もう

直接的に言わなくとも、部下はきちんとそれを嗅ぎ分けてくれる。

君を感情のない、言われるがままのロボットではなく、心のある人間だと思ってもらえるように。

中間管理職はともすれば非人間的になりがちだ。

僕はそういう人をたくさん見てきた。

自分が部下だった時にも、現在も。

そしてそうはなるまいと僕は思ってきた。

上から言われたことをただ伝えるだけの偉そうな人間には僕はなりたくない。

(もしかしたら、いつかこういう信念がへし折られてそうなってしまうのかもしれないけれど…)

戦略を自分の言葉で言語化しよう

戦略を語る前に大事なことはもちろん分析だ。

君が会社から求められている目標に対して、どのような筋道を辿れば効率的にそこに向かえるか、それを必死に考える。

数字も大事だし、感覚も大事だ。

そしてそこには何らかの論理や信念がなければならない。

上司に言われたままの状態では、そこには魂は宿らない。

君が君自身の言葉でそれを考えなければならない

でも、信念を曲げてしまうマネージャーもたくさんいる

これが多くのマネージャーはできない。僕はそう感じる。

みんなここを疎かにし過ぎだ。

いや、そんなことやっている、と多くの反論があるかもしれない。

それでも、僕はやはりこう思うのだ。

たいていの人は、これができていない、と。

なぜ、それができないのか?

それは途中で心が折れるからだ。

なぜ、心が折れるのか?

2つ理由がある。

1つ目は、部下が君の話を聞いてくれないこと。

2つ目は、組織の方針と君の信念は往々にして異なること。

部下は話を聞いてくれない

まず、1つ目について。

僕がマネージャーになって一番驚いたのは、部下は全然話を聞いていないということだ。

100回言って、ようやく1回分聞いてもらえたかなくらいのイメージ。

何度言っても君の信念など全く浸透しない。

「あ、そういえばそんなこと言っていましたっけ(笑)」みたいなことを平然と言ってのける。

それにもめげずに言い続けるためには、自分が本当に思っていることも混ぜなければ無理だ。

自分でも思っていないことは、10回くらいは言えても流石に100回は言えない。

というか、100回言えば、言うだけボロが露呈する。

そしてそれだけ君は信頼されなくなるということだ。

組織の方針とマネージャーの信念は往々にして異なる

2つ目は、組織の方針と君がせっかく考えた戦略は異なることが多い、ということだ。

時に組織というものは、めちゃくちゃなこと、理不尽なことを現場に要求する。

そして理不尽なことを部下にやらせようとすると、部下も反発するし、自分もだんだんと疲弊してくる。

なので、自分で考えることを放棄して、組織の言う通りにチームをマネジメントするようになってしまう。

もちろん組織に属している以上、その望みを叶えなければプロフェッショナルとはいえない。

だけど、そのアプローチの仕方は異なっても良いはずだ。

なので、君自身の言葉で組織のやるべきことを言語化しよう。

オレはこう思う、こういうやり方が良いと思う、ということを恥ずかしがらずに言おう。

いや、むしろ、恥ずかしがりながら言おう。

そこに君の人間性が立ち現れてくる。

人間性が立ち現れてくると、部下たちは君をちょっと違う奴が来たな、と思ってくれる。

それが反転の第一歩だ。

負け癖を払拭しよう

結果の出ていないチームは概して負け癖がついている。

誰も他のメンバーを信頼していないし、当然ながらマネージャーなんて論外だ。

できないことはすべて他の何かが悪いからだ。

全て他責

そしてそれが当たり前だと思っている。

結果が出ないことは必然の結果であり、少しでも改善するなんてことは想像すらできない。

だから、君が新しいことを言うと、もの凄い反発が生まれる。

自分を飛び越えて、不満の声が君の上司まで届く。

君はその上司に個室に呼び出され、もっとうまくやれよと叱責される(実際に何度も僕はこのような目にあってきた)。

でも、そこで折れちゃいけない。

その為に必死になって戦略を考えたのだから。

もちろん、ただ単に我を通すのではなくて、そこでのやり方と折り合いをつけながら、着地点を探ることも大切だ。

でも安易に妥協しちゃいけない。

大抵の人はここで信念を曲げる。安きに流れる。

誰だって嫌われたくない。嫌われるようなことは言いたくない。僕だってできれば皆に好かれたい。

君が必死で考えた戦略は、概してそういう反発から始まる

この人員構成で、この市場環境で、この能力での戦い方はこれしかない、というところまで突き詰めて考えて、君が熱く語ったとしても、誰の賛同も得ない。

新しい課長が、事情もわからないのに、理想論を語っていると片づけられる。

すぐにお前もわかるよ、という冷めた目が君を待ち受けている。

僕はこういう状況を何度も潜り抜けてきた。

そして結果を出して、そいつらを黙らせてきた。

前も書いたけれど、人はそれを運と呼ぶ。

でも、僕はそう思わない。

見えない部分にどれだけの挫折と、苦労があるか。屈辱があるか。

それがわからない奴には結果なんて出せない。

僕に言わせれば、覚悟が足りないマネージャーが多すぎるのだ。

断固たる決意で戦略を貫き通そう

だから、多くのマネージャーはこれができない。

戦略を考えていない訳ではないのだけれど、それを実現させる前に心が折れてしまう。

それは痛いほど僕はわかる。

だから、上からのメッセージを伝えるだけの機械に成り下がるのだ。

そうすれば自分は守られるから。

プライドは傷つかないから。

みんなから嫌われなくて済むから。

どんな反発があっても、非難の下に置かれても、これしか方法がないというくらい戦略を練ろう。

そしてそれを君の言葉で説明しよう。理由を語ろう。

君の言葉が経験に裏づいていればいるほど、地に足が着いていればいるほど、それは徐々に浸透していく。

部下達は君の言うことに一目置くようになる。

もちろん、それはもう少し先の話だ。

そして今はまだ机上の空論みたいに嘲笑われる君のその戦略を実現するのが、個々の戦術だ。

次回はそれを話そうと思う。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


編集後記

新しいことは概して反発から始まります。

誰だって現状の方が心地良いし、変化というものは煩わしいものだからです。

そしてそういった反発に合うと、人は本当に脆いものです。

理想に燃えてマネージャーとしての一歩目を踏み出した僕は、このギャップに散々苦しめられました。

今振り返ってみると、それは理想論的過ぎたのだと思います。

経験を経た今はもう少し現実的なアプローチを取ることが多いです。

理想には向かっているのだけれど、今やっていることが本当にそこに繋がるのかわからない、というくらい微々たる変化をつけることから、チーム作りは始まると思っています。

冒頭にも書いたように、戦略と戦術が入り混じって、チームは進んでいきます。

判断に迷ったときに、頼るべき軸となる指針が戦略だと僕は考えています。