権利の主張と義務の履行
権利はより多く、義務はより少なく
マネージャーになって気づいたことの1つに、世の中の人というのは権利を「より多く」主張して、義務を「より少なく」負おうとするものなのだな、ということがある。
そしてその順番も、権利が先、義務が後、というように考えているのだな、と否応なしに気付くことになった。
「そんなの当たり前じゃないか?」
そんな声が聞こえてくる。
確かにその通りなのかもしれない。
コストパフォーマンスという概念
僕は現代というものを切り取る為に有効なツールとして「コスパ」という概念を用いることが多いけれど、この議論もその範疇に入るものであると思う。
賢い消費者は、できるだけ良いものを、できるだけ安く手に入れようとする。
賢い受験生は、できるだけ偏差値の高い大学に、できるだけ勉強せずに入ろうとする。
賢い労働者は、できるだけ高い給料を、できるだけ働かずに得ようとする。
より少ない労力でより多くのものを得ようとすること。
それ自体は何ら間違っていない。
個人の行動としてはむしろ合理的であるとすら言える。
でもこれが積み重なると(集団になると)、必ずしも「全体のコスパ」は向上しない。
今日はそんな話をしてみる。
合成の誤謬・囚人のジレンマ
このブログ内でも何回か書いたと思うけれど、このような概念を「合成の誤謬」という。
「囚人のジレンマ」と言ってもよいかもしれない。
個人として最適な行動が、社会としては最適な行動とは言えないものになること。
それが現代社会の1つの傾向としてある。
そして個々人はその自覚がない。
個々人の便益とチームの便益の相反性
先述したように、個人の戦略としてコスパを上げようとする行為自体に何ら問題は見られない。
(もちろん最短距離でないところに物事の「深み」みたいなものがあると僕は思うのだけれど、それは価値観の相違みたいなものであって、直線的に突き進む人に対して何かを言う権利なんて僕にはないのだ)
ただそれが集団になると(チームになると)、色々な問題が生じてくる。
マネージャーにとっては、個々人の便益よりもチームの便益を向上させることが大事であるので、結果としてそこに利益相反性みたいなものが生じてくる。
もう少し平たい言葉で言うのであれば、個人としては優秀でもチームには不利益である人物と、個人としてはイマイチでもチームに有益である人のどちらを評価していくか、という問題が生じてくる。
営業チームにはよくある話
これはとても難しい問題だ。
上手く言えないけれど、営業の世界では「数字を出すものが偉い」みたいな考え方があるので、個人として優秀な者の中にはだんだんと「調子に乗ってくる」者が出てくるのだ。
これはこれで別に悪いことではない(僕自身もそうだった)けれど、あまりにも行き過ぎると、「私は数字をやっているので他のことはやらなくていいでしょ!」ということを平然と言ってきたりするようになる。
特に「エース級」と呼ばれるような人にはこのような傾向が強い。
それをそのままにしておくと、「あいつは数字しかやらない(雑用をしない)」という主張と、「あいつは数字をやらない(仕事をしない)」という主張がチーム内に生まれてきて、それぞれ対立するようになる。
そして「マネージャーはどちらの味方なのか!」と詰め寄られたりするようになる。
チーム内での小さなコスパの高低に囚われると、チームは停滞する
僕の答えは「どっちもやるのが当たり前」というものだ。
世の中の多くの人は「二者択一論」が大好きだけれど、僕は「どちらも」という困難な道にこそ解があることが多いというように考えている。
確かにそれは一見「コスパの悪い」考え方であるように見える。
でも自分自身の経験から言えるのは、本当に高い成果をあげる為には回り道をしなくてはならない、ということだ。
チーム内でみんなが権利を主張し出すと、当然ながら力の方向性は内側に向かうことになる。
内側同士の競争に力を注ぐようになる。
その中における小さなコスパの向上に力を傾けるようになる。
こうしてチームは停滞していく。
人間というのは限られた範囲における相対的な優位に満足感を覚える生き物だ。
そういう意味において、目に見える同僚よりもコスパを高くしたい、という動機は消せるものではない。
でもそれを許してしまうと、チームとして高い成果を出すことは不可能だ。
義務を履行しない者には毅然と対応することも必要だ
僕は「権利か義務か」ということではなくて、義務を負うというのは最低限のものだ、と考えている。
スタートラインに立つためのチケットだ、と考えている。
それができない者は、そもそもその競争に参加することさえできないのだ。
それを履き違えてはいけないし、履き違えさせてはいけない。
僕は「エース」と言われる者に対してもそのような姿勢で臨む。
彼らが図に乗って、偉そうなことを言ってきたとしても頑としてそれを曲げることはない。
実際に人事評価上もそのようにつけることが多い。
それは単純にその方が(チームとして)高い成果を上げられるからだ。
マネージャーの仕事はチームで高いパフォーマンスを出すことであり、その弊害になる事項は徹底的に排除していく。
安易に「エース」に頼ることはしない。
迎合することはない。
義務を果たすというのは最低限の事項であり、権利の主張はその後だ。
そのような毅然とした態度が、チームの運営には欠かせない。
そして、それができれば合成の誤謬は防ぐことができる。
みんなの利己性がチームの力に変わってくる。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
必要以上に対立することを恐れるマネージャーが増えているような気がします。
もちろん昨今の社会的背景を考えれば、できるだけ事を荒立てず、穏便にやり過ごしたい、という気持ちは理解できます。
でも、時にマネージャーが毅然と対応しなければ、チームというものは纏まっていきませんし、表面上の仲良しチームでは高い成果を出すことはできません。
権利をより多く得ようとすることが当たり前である状況の中で、義務を負わせるのはとても難しいことではありますが、それもマネージャーの大事な仕事です。
何を言うかよりも、誰が言うか、が問われる厳しい時代です。
我が身を振り返り、自分に厳しく仕事をしていきましょう。