マネジメントにもパラダイムシフトを

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前向きな気持ちにさせる力をマネジメント力と呼びたい

日本社会に欠けているのは、指導層のマネジメント力なのではないか、ということをぼんやりと考えている。

ここで言うマネジメント力を、(どんな困難に直面しても)組織を継続的に発展させていく力、のようなものとして僕は捉えている。

組織を継続的に発展させていくには、ビジョンや理念や、それを適切に伝えられる力や、その人についていこうと思わせるような人間性、みたいなものが必要となる。

それが絶対的に欠けている

コロナウイルスのような未知の脅威に対しては、どの国にも「正解」はない。

手探りの中で、限られた資源と時間の中で、「これが有効なのではないか」と仮説立てて手を打っていく。

それを国民に説明する為に、言葉を駆使する。

駆使する、というのは、どうにか説き伏せる、ということではなくて、理路を説いて腹落ちさせる、前向きな気持ちにさせる(少なくとも後ろ向きではなく)、ということだ。

霧の中においても、取り敢えずじゃあこっちに向かっていこう、と人々を付いて来させることができること、それがマネジメント力だ。

それは会社レベル・チームレベルにおいても当てはまる。

ミドルマネージャーであっても、チームのメンバーを如何にして前向きな気持ちにさせるか、がとても重要になる。

ここでポイントとなる言葉は「腹落ち」だと思う。

「納得感」だと思う。

「率いていく」のがマネジメント?

今までの日本におけるマネジメントの概念は、皆を率いていく(付いて来ない奴は強制的に、それでも付いて来ない奴には容赦しない)、というものであったと思う。

リーダーシップという言葉もそうであるし、管理という言葉もそうだろうし、とにかく父のような存在として子供たちを率いていくようなイメージでマネジメントを捉えている(父権的マネジメントとでも言えばいいのだろうか)、と僕は考えている。

そしてそうである「べき」だと。

父は(マネージャーは)正解を知っていて、それを無知な子供(メンバー)に教え諭すこと、それをマネジメントと呼んでいたように思う。

それは時代適合的でもあった。

特にキャッチアップ型経済においては。

答えがわかっているテストにおいて、オールドエコノミーにおいて、最適化を行い、最短距離を走ることで、僕らはエコノミックアニマルと揶揄されるくらい成功した。

そうやって坂を駆け登ってきた。

でもその坂の上には?

答えのない時代における停滞

そこからのこの停滞だ。

もう30年停滞し続けている(本当にその凋落度合いが露わになったのは2000年代以降であり、20年と言った方が適切なのかもしれない)。

時代は変わったのだ。

答えはなくなったのだ。

もちろん一朝一夕に何かを変えることはできない。

そして国レベルのことなんて到底分かりっこない。

ただ、目の前のチームであれば、自分がマネジメントしている範囲であれば、それを変えることができる。

そんな風に僕は考えている。

粒が揃うこと(確実であること)は良いことなのか?

いつも書いていることであるけれど、僕はマネジメントに不確実性を導入することでパラダイムシフトを起こせると考えている。

不確実なものを人は毛嫌いするけれど、それがなければ大きな(それこそ指数関数的な)成長はない。

もちろん、どんなに若いメンバーであっても、自分の意見を述べるということに強い抵抗を覚える人達・ある種固定化されてしまった人達(たぶん学校教育が関係しているのだろう)がチームには集まっているのも事実だ。

それぞれがそれぞれの意見を封殺し合うことで、「粒の揃った」人達が量産されている。

そこからはみ出すものは構成員として認められない。

同じベクトルであることを尊いものとして扱う。

それをそろそろやめないか?

自分には世界はどのように見えているのか、をありのままに表現できる状態を

多様性、という言葉はとても滑らかで、綺麗な言葉であると思うのだけれど、ジェンダーとか国籍とか、そういうものももちろん大事なことだけれど、僕は「自分が考えていることを言う」「自分が感じていることを表現する」「そしてそれをありのままに受容する」「それができる環境が当たり前だよねという感覚を持つ」ということも同じように大事だと考えている。

その人の経験やフィルターを通して、世界はどのように見えるのか、どのような面白さがそこに潜んでいるのか、それを笑わずに、馬鹿にせずに、表現できるような状態。

学校教育におけるような、下らない嘲笑や集団同一化をやめること。

マネジメントにおける不確実性の導入は、そこに構成されている人達の個性をそのまま活かす、ということだ。

マネージャーの意に沿わない人を、無理やり従わせようとしない、ということだ。

身勝手な行動を前向きなエネルギーに

もちろん、組織に所属している以上、最低限のマナーはある。

ただ、それ以上のことは自由にさせてよいのだと思う。

それこそ風紀委員のように、何もかも取り締まるような態度は絶対に避けるべきだ。

マネージャーの仕事は、それぞれの思い思いの身勝手な行動を、前向きなエネルギーに転化することだ。

管理していないようで、大枠では管理しているような状態。

でも普段は意識されないような状態。

そうやって、僕はどんな外部環境であったとしても、メンバーが変わっていったとしても、継続的に発展していくチームを作っていきたいと思う。

綺麗事を突き詰めていくことでそれは実現できるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

婉曲表現や、主語のはっきりしない文法は、他人との摩擦を避ける上でとても有用なものだと思います。

島国に生きる我々の祖先にとって、それはなくてはならないものだったのでしょう。

和を以て貴しとなす、という考え方は、これだけ殺伐とした世界情勢においても誇るべき価値観であると思います。

でも、です。

たまには自分の気持ちをストレートに表現してもいいのではないか、というのが僕の提案です。

行間を読まずに、忖度をせずに、言葉をそのままの意味で届ける、ということができれば、僕たちの社会はもう少し生きやすくなるような気がしています。

僕は動物園のような、海賊集団のような、チームを作りたいといつも思っています。

ワイワイやっていきましょう。