課長業は不条理なことばかり
不出来な伝言ゲーム
ミドル・マネージャーには不条理なことばかりが襲ってくる。
どう考えても筋が通らないような事象が、さも自分の責任であるかのような体裁に整えられ、「お前が責任を取れよ!」と突然牙を向いてくる。
僕はそういう目に何度も合ってきた。
不出来な伝言ゲームのように、なぜこの話がそういう形で伝わって、解釈されるのかがわからない、というようなことは日常茶飯事である。
だから皆、責任を取られないような形での発言しか行わないのだろう。
言質を取られると致命傷になりかねないから。
そこで一発アウトになってしまうから。
今日はそんな憂鬱な話をする。
What the hell?
これは日本企業に限ったことではないのかもしれないけれど、リスクテイクが歓迎されない文化、というのが底流にあるような気がしている。
つつがなく終える、波風を立てない、ことが最重要視される。
そのくせ、口では「リスクを取ることを歓迎する」なんてことを平気で言っていたりする。
どっちなんだ? と日々思うことになる。
リターンを得る為にはリスクを取らなければならない。
これは基本的な話であると思う。
ただ、色々な経験を重ねて、様々な見えない壁にぶち当たっていくと、だんだんとリスクとリターンが合わないように感じてくるものである。
ハイリスク・ローリターン(もしくはノーリターン)。
そんな環境下で、誰がリスクを負うだろう?
日本企業が停滞するわけだ。
官僚的な言語運用が蔓延するわけだ。
だから我々は停滞し続けているのだ
梯子を外されるようなことが日常的に起きると、そして課長がそのような状況に置かれていることが頻発すると、部下もリスクを負おうとすることはなくなっていく。
失敗の責任を取るのはある種仕方のないことであるけれど、関与していない失敗ですら擦り付けられる状況では、誰だって自己防衛的な仕事の仕方しかしなくなる。
責任の範囲を最小限に留めること。
それによって、平穏に暮らしていくこと。
とても素晴らしい。
そうやってきっと我々はこの30年停滞し続けているのだ。
いっそのこと名刺の肩書を変えようか?
愚痴めいた話になってしまうが、本当に記憶喪失なのかと思うような、耳を疑うようなことが頻発するのでたちが悪い。
つい最近報告したことも覚えていなかったり(本当は間違いなく覚えているのだろう)、違う内容に解釈されていたり(本当は正しく解釈しているのだろう)、とぼける演技でアカデミー賞にノミネート(あくまでもノミネートだ)されるくらい上手に彼らは演じてくる。
僕はそういう大根役者たちを前に、淡々とその問題を処理していく。
押し付けられた責任を悉く始末していく。
汚い言葉で言うと、他人のケツを拭いてばかり。
名詞の肩書に入れたいくらいだ。
「ケツ拭き担当課長」
たくさんのFワードを
下品な冗談はさておき、それくらいしか自分の身を守る術はないと思う。
どうやっても無理な状況を、機転を利かせて、それこそ一休さんのように解決していく。
すると、またたちが悪いのであるが、彼らは簡単に手のひらを返す。
(職業的スマイルで)「いやあ、課長ならできると思っていたよ!」
反吐が出る。
でもこれが現実だ。
まるで違う世界線に迷い込んだように、彼らは何事もなかったかのように、親切な自分を演じてくる(今度はより下手な演技で)。
その度に僕はまた混乱することになる。
「あれは何だったのか…」と。
夢オチ、というのはチープな物語の典型的な話型であるが、まさにそんな感じで、悪夢の記憶を彼らは持っていないようですらある。
パラレルワールドの住人達にたくさんのFワードを。
彼らに幸あれ。
腕力をつければ身を守れる
愚痴ばかりを言っていても現状は変わらないので、同じように不条理な目に合っている人にアドバイスを。
身を守る為には「腕力」を付けるしかない。
寂しい気持ちになるけれど、これが現実的な解である。
不条理な状況に陥った時に、頼れるのは自分自身の力しかない。
誰かに頼ろうとしても、彼らは簡単に手を振りほどいてくるからだ。
そういう時に、自分のリミッターを外して、ある種のゾーンに入るくらいの勢いで、物事に立ち向かっていく。
その物事を「ねじ伏せて」いく。
それが僕からできる最低限のアドバイスだ。
日々淡々と筋トレを
僕はマネージャーになってから、本当に汚い人間達をたくさん見てきた。
それはそれで彼らの生き方、人生観であるので、僕がどうこう言う話ではない。
ただ、それに不条理にも巻き込まれた時、自分を守る術は身に付けておくべきであると僕は思う。
護身術というか。
ジャングルの中で、様々な肉食動物が跋扈している環境において、サバイブしていくには、それなりの身の処し方が求められる。
それでも、ダメな時はダメだ。
大人しく磔刑されるしかない。
そうなっても良いように、普段からどこでも生きているような力をつけておくこと。
会社に依存せず、適度な距離感を保ちながら、淡々と筋トレをしておくこと。
ハリネズミの憂鬱。ハリセンボンの孤独。
僕がドライで冷めているのは、単純に人間不信であるからだ。
誰かを信じるというのは、裏切られるリスクを内包する。
それなら初めから信じない方がいい。
そんな自己防衛的で、寂しい生き方を僕はしている。
ハリネズミの憂鬱。
ハリセンボンの孤独。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
処世術を身に付けている人であれば、今回の話のようなことに思い悩んだりはしないのかもしれないのですが、僕は性格上これが上手くできません。
もちろん以前に比べればだいぶ上手にはなったと自負しているのですが、それでも気が付くといつの間にか敵を作っていたりします。
たぶん誰にも阿らない僕が気に食わないのでしょう。
好き勝手に生きているように見えるのでしょう。
僕はある瞬間から「組織における上昇(出世)」よりも「いい仕事をする」方に興味の対象が移ってしまったので、彼らからすればきっと憎くて仕方ないのだろうと思います。
僕は彼らの掘った穴をかわし、トラバサミを軽々と振りほどき、アナコンダの首を絞め、ハイエナを手刀で倒しながら、ジャングルを歩いています。
いつか吹矢に塗られた毒が回って息絶えるのでしょう。
それまではもう少し頑張っていくつもりです。
お付き合い頂けたら幸いです。