無知の無知
言葉が通じない人とも付き合わなければならない
わからないことがわからない人がいる。
これを僕は無知の無知と名付けた。
かの有名なソクラテスへのリスペクトを込めて。
というのは冗談で(半分本気で)、マネジメントをしていると、「もしかして自分はおかしいのだろうか」と思う局面が度々訪れる。
自分が違う世界線に迷い込んだかのように思ったり、使っている言語が誤っているかのように感じたりする。
自分がおかしいというのは百も承知ではあるのだけれど、それを踏まえた上でも、このような違う言語話者に会うと、それだけで疲弊してしまう。
マネージャーでなければ、さっさとそういう輩からは逃げてしまうのだけれど、どうしてもこの類の人と付き合わなければならない時があるから、余計に厄介である。
今日はそんな組織のジレンマ的な話をしていこうと思う。
「僕がおかしい」というのは大前提の上で
世の中には様々な価値観がある。
なので、当然ながら自分の価値観が絶対的に正しい、ということは起こらない。
特に幼少の頃から周りの世界との違和感を覚えて育ってきた僕みたいな人間においては、そもそもの自分の価値観が世間からズレているということは十分に理解しているし、それはそれで仕方ないことだと諦めてもいる。
そしてそれを何とか適応させるべく、自分の中の調整つまみを回してきたわけだし、その程度のズレみたいなものは日常においても都度都度生じるわけで、それに対してどうこう言うつもりはない。
ただ、だ。
そんな僕でも時空が歪んでいるのではないかと思うような局面が、かなりの高頻度で訪れるので、マネジメント業というのは本当に奇妙なものだな、と思うことになるのだ。
エンカウント率の上昇
組織には魑魅魍魎とか妖怪みたいな人がいる。
マネジメントでなければ、そういう人達とは距離を置いて仕事をしていきたいのだけれど、残念ながら、自分の立場が上がれば上がるほど、そういう人達とのエンカウント率は上がっていく。
そしてあっけなく全滅する。
きっと彼らが正しいのだ。
いつだって僕はおかしいのだ。
わかっている。
でもさ、というのが今日の話の続きとなる。
勧善懲悪的な悪の親玉はいない
「組織というのはそういうものだから」という言葉を僕は何度も聞いてきた。
それもドラマの世界ではなくて、現実の仕事において、だ。
そしてそこで言われる「組織」というのは実態がないものなのだ。
皆の遠慮や忖度がふわふわと空中に舞い上がった結果、何というか輪郭のない「組織」というものが構築されていく。
さもその「組織」が言っているかのような言葉たちが、僕たちの仕事を様々な領域で制約していく。
それに対して文句を言ったとしても、立ち向かったとしても、そこにあるのは空気のような実体のないもので、子供向けのヒーローアニメみたいに、悪の親玉がいるわけでもないし、そいつを倒せば平和が訪れるわけでもないのだ。
勧善懲悪的な、単純な世界ではないのだ。
複雑に絡まった思惑だらけの世界。
そこにどんどんと絡めとられていく。
地面で痙攣する言葉たち
僕の言葉は、よくわからない時空に吸い込まれていって、まるで相手は僕が何を言っているのかわからない、というような表情を浮かべて僕を見る。
無垢さを装った、フラットな表情で。
僕は言葉を尽くして、理を尽くして、培った営業スキルを総動員して、彼らに説明するのだけれど、その言葉達は彼らに届く前に地面に落ちてしまう。
昆虫たちの断末魔みたいに、足をピクピクと痙攣させて。
日本語話者であるはずの僕が使ってきた言葉は、その効力をすっかり失って、僕は話しながらもどんどん自信がなくなってくる。
最近流行りのアクリル板に遮られるかのように、彼らの耳にはその言葉は届かないのだ。
一つの声明。一つの示達。
そして、僕が諦めた時、彼らはよくわからないことを話し始める。
僕はその意味を理解することはできる。
それが何を求めているのか、それはよくわかる。
ただ、そこには体温がない。
そして納得性がない。
言いたいことはわかるけれど、それをなぜやらなければならないのか、それがなぜ今なのか、それに対する納得的な説明は一切ない。
でも、その説明がないことに対する申し訳なさは微塵も感じられない。
それは一つの声明。
一つの示達に過ぎない。
抗弁も、議論も、そこには存在しない。
ただの一方的な通告。
アクロバットな言語運用でも不可能なこと
僕はその度に途方に暮れることになるのだ。
僕からすれば理不尽に感じられるその命令を、僕はチームのメンバーたちに説明しなければならないし、彼らを動かさなければならない。
自分でも納得していないことを、納得させなければならない。
サーカス的な曲芸。
アクロバットな言語運用による腹落ち。
それは不可能だ。
異空間の中で
組織の人間がそれを建前として、オフィシャルな見解として、僕らに話しているのであれば、まだ話は簡単だ。
僕だってそこまでウブではない。
ただ、どう考えても、本気で彼らはその言葉を信じているように僕には思えるのだ。
心の底から、彼らはその(僕からすれば見当違いの)言葉を発しているように感じられるのだ。
没交渉。
暖簾に腕押し。
糠に釘。
ことわざはたくさんある。
異空間に迷い込んだ僕。
その中で僕はまた音声にならない言葉を発し続けている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
頭が良すぎるとバカになるのかもしれない、と本当に思うことがあります。
これは何も彼らをディスっている訳ではなく、単純に足元が見えなくなるというか、実際に現場で働く人達に通じる言葉遣いができなくなるというか、そんなイメージのことを指しています。
想像力による架橋ができず、言葉が通じない。
そして通じていないことにも気付けない。
そういう人達をたくさん見てきました。
いや、正しく(辛辣に)言うなら、それができない人というのは頭が悪いということになるのかもしれません。
少なくともわからないことはわかる人間でありたいものです。
羞恥心を持って働いていきましょう。