部下は育つのか?
部下の育成に関する残酷で消極的な結論
マネージャーの仕事の中で大事なものの1つが部下の育成だ。
そして育成論に関する本がたくさん出版されていることから考えると、皆それに悩んでいるということなのだろう。
僕の結論はこうだ。
- 部下の能力は伸ばせない。入社3年間を除いては。
- 伸びる人は(マネージャーの力を借りずとも)自力で勝手に伸びる。
- マネージャーが関与できるのは、能力の伸長ではなく、その活用の仕方だ。
基本的には、僕は人というのは成長していくものだと考えている。
だから、課長になりたての時は、それはそれはすごく育成というものに情熱を注いでいたものだ。
でも、今現在考えているのは、どちらかというと残酷かつ消極的な結論で、マネージャーが人の成長に関与できる部分はごく僅かだというものだ。
伸ばす、というのはやや傲慢でおこがましい考えだったのだろう。
どちらかというと、いつか勝手に「伸びる」ようにほったらかしておく、みたいな感じで僕は育成論を考えている。
伸びればラッキーくらいの、期待値0くらいの感じで。
部下の成長がなくても戦えるチーム作りを
その際に大切なのは、仮に部下の成長がなくても1シーズン戦い抜けるチームを作ることだ。
上に書いたみたいに、楽観的に成長を待つ為には、ある程度の数字を残しておかなければならない。
それができないなら、即刻解任されてしまうからだ。
だから、育成が後回しになるのもよくわかる。
大抵のマネージャーは部下の育成なんて過去の遺物だと思っている。
口では言わないけれど、僕にはそう見える。
だって、あまりにも忙しいから。
成果主義や生産性向上や働き方改革で、そこまで手が回らないから。
僕の立場はこういったマネージャーとは異なるものだ。
矛盾したような言い方になってしまうけれど、僕は育成を大事だと思いながら、「育成」というものを能動的な「教育」だとは考えていない、と言ったらうまく伝わるだろうか。
無下にはしていないんだけれど、積極的に関与するものでもないような気がしている。
以前よりも期待しなくなった、という感じだろうか。
夢を見なくなった、という感じだろうか。
現状の戦力における長所を組み合わせて「戦う」
僕は現実的に、現存メンバーの能力を測定して、その能力の小さな5角形の中で、何とか戦えそうな部分を抽出して、それに合う仕事を割り当てるようにしている。
当然ながら、その戦えそうな部分だって、絶対値から考えたら、圧倒的に足りていない。
例えて言うなら、5段階評価で(5が最高、1が最低)殆どの能力が(君の水準からは)1とか2しかない部下ばかりだとしても、何とか3の部分を寄り集めて、そこを重ねて合わせれば、全員では平均3になるよねという考え方だ。
各々の長所(というほどではないとしても)を合わせて、そこに焦点を充てて、何とか戦うという感じだ。
僕は最初の頃、1とか2の部分を何とか3以上にしようとしていた。
それが育成だと考えていた。
そして人というのはそういう可能性があると考えていた。
だけど、今の僕はもう少し冷めている。
自分でも言っていて嫌になるけれど、現実的にはそんな悠長なことを言ってられない。
少なくとも、1シーズンの間に彼らが全能力平均3まで成長することなんてない。
0%とは言わないけれど、非常に稀なことだ。
だから、僕は何とか今ある能力のちょっと尖った部分を探り当てることに力を注ぐ。
長所を活かすことが(回りまわって)育成の近道になる
そして時に人はそれを成長したと言ってくれるようだ。
僕は育成が得意だと上司に評価されることが時折あるけど、僕はちょっとそのニュアンスとは違った考え方を持っている。
多分僕の方が冷たく、リアリスティックなのだろう。
僕からしたら、能力それ自体は正直変わっていないと思う。
ただ、できることだけをできるように環境を整えているだけだ。
適材適所という程ではないけれど、できることをやってもらえるようにしているだけ。
でも、ここに弱小チームで戦っていく為の要諦があるような気もしている。
絶対値からしたらどうやったって戦える訳ない、このメンバーでは不可能、そういう言い訳をしているマネージャーは掃いて捨てるほどいる。
能力の総合値の合計ではどうやったって叶うわけない。
だから、育成だ、というのがよくあるマネージャーの間違いだと思う。
過去の自分もそうだったけれど、部下を育てれば来年はもう少しまともなチームになるはず、そうなればもう少し良い順位にいけるはず、というのは幻想だ。
厳しい言い方だけど、部下は伸びない。
総合値という意味では、殆ど変化しない。
悲しいことに。
「育成論」に対する幻想と欺瞞
うまく使う、というのが嫌らしいけれど適切な表現かもしれない。
欠点だらけに見える部下の中にも使える部分がある。
野球で例えるなら、バッティングは全然ダメだけど、こいつは代走だったら使えるとか、守備固めでは使える、とかそういう感じだ。
本当はピッチングとバッティングが良い選手がいればいいんだけど、バントと代走と守備固めだけが得意なチームで戦うみたいな感じだ、と言ったらうまく伝わるだろうか。
マイケル・ルイスが「マネー・ボール」の中で描いているように、弱いチームは強いチームと違う能力に着目しなくてはいけない。
この中では当時注目度が低かった出塁率や与四球率等に焦点が当てられて、そういったチーム作りをアスレチックスが行ったことで、金持ち球団を打ち負かしていく過程が描かれているけれど、僕はこういった考え方がとても好きだ(作中ではバントや盗塁は重要視されていなかったはずだから書き方としては矛盾しているかもしれない…)。
こういう一見常識だと思われている部分に疑いを持って眺めていく、そしてそこから作戦を練っていく(そしてできれば強者を倒す)、というのがマネージャーの仕事で楽しい部分だと思う。
仮説を立て、実際に部下を動かし、成果を得る。
結構快感だ。
育成論は僕は好きだし、その幻想に僕も溺れたい。
でも、現実はもっとシビアで辛いことが多い。
育成しているからと言って、結果が出なければマネージャーとしては失格だ。
でも両立はこのご時世ではとても難しい。
その離れ業ができるスーパー・マネージャーもいるのかもしれない。
でも僕には無理だし、それに期待するほどウブでもなくなってしまった。
だから、パズルゲームでもするように僕は得意な仕事に注力させ、弱点には目を瞑る。
(瞑っても、見えてしまうくらいの弱点ではあるけれど…。)
部下が伸びるのはマネージャーの力ではなく部下の力だ
と言っても、たかだか5年しかマネージャーをしていないので、この先、昔の部下から成長していく者が出てくるかもしれない。
でも、それは彼らの力だ。少なくとも僕の力ではない。
僕の仕事は彼らに自信を持たせること。
戦える部分では戦えるんだ、と思ってもらうこと。
だから、育成で結果が出なくてもがっかりしないで欲しい。
それは普通のことだから。
夢みたいなことは起きないから。
でもまだその幻想を捨てきれずにいる
だからといって、絶望する必要もないと僕は考えている。
弱小チームを任されたら、現実と向き合い、論理的・数理的に、もしかしたら功利的に、君は戦っていく必要がある。
そこにはもちろん希望がなくちゃいけない。
僕は半ば諦めながら、それでも部下が育っていくという夢を捨てきれずに仕事をしている。
その夢物語を心のどこかで抱えながら、今日も日々の雑務に追われている。
少なくとも、できない部下を追い込んで、結果が出ないことを部下のせいにすることのないように僕は仕事に臨んでいる。
結果が出ないのも、部下が育たないのも僕の責任だ。
全て完全に受け止める。
そういう言い訳がましいマネージャーにだけにはならないように僕は自戒を込めてこれを書いている。
君もその輪に入ってくれたら、こんなに嬉しいことはない。
だから、今日も彼らの長所に目を向けよう。
腹立つことばかりやらかすとしても、どこかしらきっと良い所があるはずだから。
目線を下げて、少しでも使えるところを抽出しよう。
そしたらいつの日か、君は育成がマネージャーの醍醐味だと思えるようになるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
編集後記
僕は人が成長していくのを見るのが好きです。
かつて自分が育ててもらったことに対する恩返しとして、僕も名伯楽になって、バンバン人を育てたいと思っていました。
でも少なくとも僕程度の器量ではそれはなかなか難しいようです。
それがわかってからは僕は「長所の活用」に重点を置くようになりました。
今持っている能力を存分に活かせる環境を作る。そこで思い切り暴れてもらう。
僕は最近そればかりを考えています。
遠く及びませんが「野村再生工場」みたいなイメージです。
育成論はともすると自己満足に陥りがちです。
その迷路を抜けて、現実的に戦いながら共に成長できるようなチームを作りたいと僕は考えています。