自己評価と他己評価

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人の振り見て…

自分から見ている世界と、他人が見ている世界は異なる。

そんなものは当たり前の話である。

でも、意識しなければ実感としてそれは分かりづらいものでもある。

特に自分自身の評価であれば。

人の振り見て我が振り直せ、ではないけれど、部下の行動を見ていると、「やっぱり自分は可愛くて、自己を評価する目は節穴になりがちなのだな」ということを自らへの戒めのように思う。

自信を持つことは悪いことではないけれど、あまりにも行き過ぎるとそれは尊大となる。

今日はそんな話をしていく。

謙遜がテンプレ

部下との1o1を繰り返す中で、過去を含めて大体の部下というのは「いやあ、全然できてなくてすみません…」という振る舞いをすることが多い。

それは実際にできていてもできていなくても、そのように振舞うことが日本社会では良かれとされているからである。

謙虚である(謙虚に見せる)というのは、日本社会においては必要なポーズであって、そうでなければ、「あいつは生意気である」と認定されてしまうリスクがあるから、なるべくそうならないように行動する。

上司と部下という関係性であれば尚更である。

これが良いとか悪いとか、そういう話をしたいのではない。

ただデフォルトの構造として、恐縮する部下と励ます上司、というような感じでの1o1が多い、というのが僕の経験である。

現実歪曲フィールド

ただ、そうではない部下もいる。

できていなくてもそれができていない状態である、ということに気付かない部下である。

それが意識的なのか無意識的なのかはわからない。

ただ、いつも自分が正しくて、他が間違っている、というような話型を取りがちで、仮に自分の成果が低かったとしてもそれは自分の責任ではない、というような話し方をするので、僕には本心から認識がないように見えるのである。

これはなかなか厄介である。

もちろんこちらもある程度の経験値があるので、折に触れて「いやいや、そうじゃないでしょ? この成果ではなかなか厳しいよね」ということを伝えるのだけれど、現実がねじ曲がってしまうのか、僕が見ている現実と異なるのか、それがきちんと伝わらないことがとても多いのである。

自分は可愛い。それはわかる。

プレイヤーならまだしも、マネージャーとなるとこれは結構致命的だ。

マネージャーという仕事は、1人では成り立たない。

部下がいて、初めてマネージャーという仕事が成立する。

でも冒頭から申し上げている通り、自分を評価する物差しにはバイアスがかかっている。

それはある種避けられないものである。

ではどうするか?

折に触れて調整する、これしかない。

他者から見える自分が「本当の自分」

中学生に話すような内容になってしまうけれど、自分というのは「他者から見える自分」がその人を表すのである。

どんなに「本当はそうではない。本当の自分はこうなのである」ということを主張したとしても、実際に行動が伴わず、他者から違うように評価されているのであれば、それが「自分」なのである。

これは「他者の評価を優先しろ」であるとか「他者から見える自己だけ整えておけば内省はいらない」ということを申し上げたい訳ではない。

公的な、というか、外で仕事をしている時の自分というのは、「そういうものなのだ」ということを認識しておけばいい、ということである。

仮に他己評価が自己評価と異なり、それが気に食わないのであれば、変えるべきは他者ではなく自分である(というか、他者はそもそも変えられない)。

そして、これも「迎合しろ」であるとか「他者に合わせろ」ということではなくて、自分の望むように評価されたいのであればそうすればいいし、そうでなくても構わないのであれば今まで通り振舞えばいいのである。

他者は他者で、自分の見たいように世界を見ているからである。

正しいとか間違っているとか、そういう話ではなくて、「ああ、自分というのはそういう風に見えるのだな」ということをフラットに受け止める。

そこからどうするかは、また考えればいいのだ。

我が強くなければマネージャーにはなれないのかもしれないが…

冒頭の部下の話に戻るけれど、それに気付けないということは、プレイヤーの時にはそんなに問題にはならないが、マネージャーになれば大きな問題となる

というか、現にそのようなマネージャーがたくさんいる

営業という職種柄なのかもしれないが、プレイヤーにはそのような我の強さ自己認識の強さ、みたいなものが求められるのは事実である。

ただ、そのままで行ってしまうと、マネージャーになった時に苦労する。

面倒くさい人認定

「オレはこうだ! だからついてこい!」というマネジメントスタイルは、以前であればまあ時代適合的ではあったのだろうが、現代にはそぐわない。

カリスマ性があって、本当に実力があるごく少数の者を除けば、早晩メッキが剥がれて、部下から「面倒くさい人」扱いをされるようになる。

でも相手にすると「面倒くさい」から、本当のことは耳に入って来なくなる。

負のループである。

そうならない為には、繰り返しにはなるけれど、適宜目盛りを調整するしかないのだ。

それができなければ、マネージャーとしての成長もない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

本文とは逆のことを書く形にはなりますが、唯我独尊の人を羨ましく思うことがあります。

というのは、面倒くさい人はなまじっか関わると面倒くさいと思われているので、余計なことを言われずにスルーされる、ということが往々にして起こるからです。

そして本人はスルーされていることに気付いていないから幸せでもあるわけです。

いいなあと心から思います。

ただ、僕の性格上、そうはできそうにありません。

なので、罵詈雑言を浴びながら、今日も淡々と仕事をしていこうと思います。

同じような境遇の方がいたら、1人ではないということをご実感頂けたら幸いです。

共に頑張っていきましょう。