プロフェッショナルとして仕事をするという感覚

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ぼくらは位置について…

今日のブログはスガシカオを聞きながら読んで頂きたい。

そして、もしかしたら、このブログのどこかをクリックすると、あの「テ―――ン」という効果音が鳴るかもしれない。

そんな冗談はさておき、プロフェッショナルとして仕事をするという感覚がある人とない人では、成長の度合いが大きく変わる、というのが今日の話である。

こうやって書いてみると「意識高い系」みたいになってしまうのでちょっと恥ずかしいのであるが、自分はもとより、人を育てていく観点で考えた時に、この感覚を持たせられるかどうかが決め手であるように僕は思っている。

「僕たちはサラリーマンではあるけれど、給与という対価を貰っていて、それは仕事の成果に対応するものである。良ければ上がるし、悪ければ下がる」という当たり前の感覚を持たせられるかどうか。

もう少し言うと、「モチベーションが上がらない」という部下に対して、モチベーションを上げようと努力するのではなくて、「知らんがな」と思えるか(そして言えるか)どうか。

結局のところ部下の人生は部下のものであり、僕の人生は僕の人生である、というドライな感覚。

今日はそんな感じで話をしてみようと思う。

部下のモチベーションが低いことにマネージャーは対応すべきなのだろうか?

以前の僕もそうであったけれど、部下の成果が上がらないのはモチベーションが原因である、と思っていた時期があった。

そこに手を入れて、何とか奮い立たせて、仕事に前向きに取り組ませれば成果が上がるようになる、そんな風に考えていたことがあった。

そしてその材料として、処遇であるとか、仕事内容であるとか、そのようなエサをぶら下げて、彼ら(彼女ら)を誘導しようとしていた訳である。

でも、ふと今考えてみると、彼ら(彼女ら)のモチベーションが低いのには、彼ら(彼女ら)自身の問題もあって、そこに介在する必要はないのではないか、ということに思い当たった。

これは職場環境であるとか、職場の人間関係であるとか、マネジメントとして対処すべき事項がモチベーションに影響を与えているのであれば、マネージャーがそれらに対応する必要があるのは変わらない。

今回僕が言いたいのは、それ以外の話である。

心の状態への関与の度合いは下げてもいい

「なぜ仕事を頑張らなければならないのか」であるとか「何となくやる気が出ない」というような心の状態に対して、そこまで関与すべきではないのではないか、というのが今回の趣旨となる。

もちろん完全に無関心ではない。

僕だって人の心はある。

ただ、関与の度合い(比重)はもう少し下げてもいいように感じている。

それはなぜか?

それは(冒頭にも書いたように)仕事というのは、「そういうもの」であるからだ。

やる気がない? 知らんがな

例えば、自分が応援しているチームのプロサッカー選手に対して、その選手が「何となくやる気が出なくて…」と言っていたらどう思うだろうか?

「知らんがな」と思わないだろうか?

「そんなこと言っている場合じゃないだろう?」であるとか、「いや、頑張れよ。それがお前の仕事だろ?」と思わないだろうか?

この感覚とサラリーマンである自分達は何が違うのだろうか?

プロってそういうものなのでは?

もう少し言うと、「チームの戦術に合わない」であるとか「監督の方針に不満である」であるとか、「チームメイトとうまく連携できない」というような話も、同情なり共感はするけれど、ある程度は妥協したり受け入れたりして、何とかそこに馴染めるように努力をすべきじゃないか、と思うのではないだろうか。

その上でどうしようもないのであれば、監督が代わるのを待ったり、自分が移籍したりするしかない、と思うのではないだろうか。

そうではなく、練習もサボり、腐っているような選手に対して、あなたは応援したい、と思うだろうか。

厳しいことを言っているかもしれない。

やや極端な例えかもしれない。

でも、サラリーマンだって、突き詰めていけばプロフェッショナルとして仕事をしているはずである。

ボランティア活動ではない。

対価が発生している。

せめてその分の仕事はすべきだろうし、それは自身でコントロールすべき範疇のものである。

最近の僕はそんな風に思っている。

力不足もあるけれど、限界もある

もちろんマネージャーの仕事として、チームの成果を最大化させる必要があるので、低モチベーションの部下に対しても、以前と同じように声掛けを行ったり、やる気を出させるように話をしたりすること自体は変えていない。

でも、それで変わらないのであれば、それはそこまでの話である、というように割り切れるようになった、ということなのかもしれない。

もちろん僕自身の力不足があることは否めない。

万人に対して、チアできるマネージャーも中にはいるだろう。

でも、僕には不可能である。

そういうドライさを持てるようになった、そういうことなのかもしれない。

仕事は誰かに言われてやるものなのだろうか?

以前の僕は、少し気負い過ぎていたように思う。

れができない自分に対して不甲斐なさを感じ過ぎていたように思う。

たぶんそれは間違いなのだ。

仕事は誰かに言われてやるものではない。

やる気を出せと言われて、やる気が出るものでもない。

でも自分達はプロであるというイメージを伝える努力は怠ってはならない。

それが今の僕の考えである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

サラリーマンでプロだなんて何を大袈裟な。

そう思う気持ちもよくわかります。

確かにサラリーマン(ごとき)がプロを語るなどおこがましい。

学生時代にプロのユースチームと試合をした時の、まるっきり別競技をしているような圧倒的な差(と絶望感)を「プロ」という言葉を口にする度に、僕は思い出します。

そのくらい(ユースチームですら)プロとは差がある訳です。

それでも、そんなアマチュアでも、高い意識を持っていれば、成長の速度は変わってきます。

モチベーションなどという甘ったれたことを言うのはやめて、黙々と仕事をしましょう。