危機感のない部下との働き方
「部下を成長させろ」なんて言葉は詭弁だ
「日本の社会人の平均勉強時間は6分、全体の95%は勉強時間が0分」(H28年度社会生活基本調査 総務省統計局)
もちろんここには「平均」の罠があって、この数字を鵜呑みにするのはちょっと違うと思うのだけれど、日々働いている実感として、勉強をしている社会人とそうでない社会人ははっきりと分かれていて、しない人はとことんしない、というのはその通りだと感じる。
チームに10人メンバーがいるなら、そのうち9人は殆ど勉強していないわけで、それが日本のデフォルトだと考えると、これはこれで結構マズいような気がする。
ただ、現実として、こういう人達とマネージャーは仕事をせざるを得ない訳で、そんな状況下でどのようにパフォーマンスを上げるか、というのは結構困難な話であるように思えてくる(「部下を成長させろ!」というのがいかに詭弁であるかがわかってもらえると思う)。
ただそうは言っても、日々仕事はある。
なので、僕なりの仕事論みたいなものを今日は書いてみようと思う。
勉強する=社畜に近づく行為
問い:なぜ多くの社会人は勉強しないのか?
答え:勉強しても無意味だから(無意味だと考えているから)
僕はこんな風に考えている。
現在の日本の社会においては、仕事というのは苦役と同義であって、そこから何らかの喜びを得ようなんてとても思えないような状況になっているような気がしている。
僕たちは時間やストレスと引き換えに金を手にしていて、その手段としてたまたま仕事がある、そんな労働観を僕たちは持っている(ような気がする)。
そんな環境下で、勉強するというのは「より社畜に近づく行為」であって、そんなことよりは、趣味や旅行に時間を使いたい、その気持ちはとてもよくわかる。
要は、単純に「仕事がつまらない」のである。
部活でもそうだったと思うけれど、楽しければ部活の時間以外でも練習をするものだと僕は思うけれど、そうでない場合に練習する訳がない。
ゲームしたり、遊びに行ったりするはずである。
仕事もそれと一緒なのだと思う。
幻想の消失
それでも以前であれば、年功賃金・終身雇用(という幻想)があって、その会社内で努力を続ければ一定の上昇が約束されていた(されていると信じていた)から、まだ勉強するインセンティブが働いていたのだと思う。
でも、現代はそれもなくなってしまった。
努力をしても報われないなら、報われない見込みが高いなら、それを続けることは割に合わない(コスパが悪い)。
そういう労働観・社会観みたいなものがこの背景にあるのだと思う。
違う種類の苦役を味わうだけ
一方で、「自身の市場価値を高めよう!」という言説もある。
付加価値を上げて、マーケットバリューを高めて、どの企業でも通用する力を身に付けよう、という考え方がある。
僕はこの考え方の方がまだ好きではあるけれど、仮に他社に転職したとしても、やることはそんなに変わらなくて、「仕事=苦役」の「違うバリエーション」を味わうだけ、というやや醒めた気持ちも同時に持っている。
表面上は多少変わるかもしれないけれど、本質は変わらない、そんなイメージを持っている。
どんなに自分を騙そうとしたって、仕事がつまらないという事実はそんなに変わらない。
苦役に向けて努力をするなんて、常人であればおかしなことであることにもっと早く気付くべきだと僕は思っている。
面白そうに働ける確率を上げているように見せる
では、本題に戻る。
そのような状況の中で、マネージャーはどのようにして危機感のない部下と働くべきなのだろうか?
この答えはとても難しいのだけれど、マネージャー自身が努力をすることで、面白そうに働ける確率を上げていることを見せる、ということになるような気がしている。
実際に面白そうに働ければ尚いい。
でも、上記したように、社会的に面白い仕事というのは殆どないから、あくまでも「可能性の提示」というところが現実的な落としどころであるように思う。
合体!
これは資格試験の勉強をするとか、セミナーに通うとか、そういう方向性とはちょっと違うような気がしている(もちろんそれだって大事なことだ)。
もう少し一般教養的な、マーシャルアーツ的なものが必要だと僕は思っている。
自分の仕事の領域に近いものを勉強することは良いことではあるけれど、ある種たこつぼ化する恐れがあって、かつ競争相手も多い。
それなら、違う領域のものを組み合わせて、ちょっと角度を変えてアプローチをしてみる。
それでニッチな領域を探る。
その方が僕は有益だと思っている。
仕事自体を面白くするために
上手く言えないけれど、「資格を取れ!」と言ってもなかなか部下には響かないけれど、「たまたま読んだこの本が面白くて、それを応用するとうちのビジネスもこんな展開になるんじゃないだろうか」ということを話す、という感じになるのかもしれない。
具体的なインセンティブ(分かり易い昇給とか、昇格とか)ではなくて、仕事自体が面白くなるような仕掛け、みたいなものが必要な時代になってきているような気がしている。
意味とか、価値観とかを満たせるような仕事を見せられるかどうか。
ちょっと青臭い話になったけれど、僕はそんな風に考えている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
人生の大部分を占める仕事を、苦役ではなくエンタメにすることはできないだろうか?
僕はそんなことを考えています。
FIRE論や副業が持て囃されるのも、この「苦役からの脱出」のイメージが強いからで、そう考えると、そもそもの「本業」を面白くすることはやっぱり難しいことなのでしょうか?
不機嫌な社会における不機嫌な仕事。
それを変える為には、僕たち自身が少しずつ機嫌を良くするしかありません。
ヴォネガットが言うように、「愛は負けても、親切は勝つ」はずです。
近くにいる人達とだけでも、機嫌よく働いていきましょう。