キャリアプランも大事だけれど…
スペシャリストの成れの果て
仕事柄キャリアカウンセラー的なことを任されることがある。
これは部下もそうだし、若手マネージャーからの相談もある。
不透明な時代に、「これからどのようなキャリアを築いていけばいいのか?」と皆何となく不安に思っているようだ。
その気持ちはよくわかる。
でも、「考えたって仕方ないんじゃない?」というのが現在の僕の気持ちである。
少なくとも、僕はマネージャーになるというキャリアプランを全く描いていなかった。
スペシャリストとしてゴリゴリやっているはずだった。
それが今ではこのザマである。
キャリアというのはなるようにしかならない。
でもそれに備えて腕を磨いておくことはできる。
今日はそんな話をしていく。
偉くなることに価値がない時代
偉くなることに価値がない時代である。
僕は現代をそんな風に捉えている。
地位や名声よりも、その仕事が面白いかどうか。
それが仕事を選ぶ軸になりつつあるのである。
待遇は良い方がいい。そりゃそうだ。
もちろん処遇が全く関係ないとは言えない。
できるだけ給与は多い方が良いし、福利厚生は充実していて欲しいし、休暇だって取りたい。
でも、ある一定程度あれば十分ではないか?
僕はそんな風に考えることが多くなった。
キャリアは計画して達成できるのものなのか?
当たり前の話だけれど、仕事なんてものは人生の一部でしかなくて、でも重要な一部でもある訳である。
その仕事が充実しているに越したことはない。
そりゃそうである。
でも、それは計画して達成できるものなのだろうか?
僕はここが疑問である。
キャリアプラニングって独りよがりじゃね?
というのは、そこで共に働く人というのは選べないからだ。
僕は仕事において大事なことは、中身もそうだけれど、その職場にどのような人がいるか、だと思っている。
仮にやりたい仕事があるとして、そこに念願叶って進めたとして、同僚や上司がクソだったらどうしようもない。
事実、それを理由に辞めていく人達を数えきれないくらい僕は見てきた。
もう少し言うと、人だけでなく、仕事内容だって変化していく。
現在有用な仕事だって、5年もすれば陳腐化する可能性がある。
そのような時代に、キャリアを計画することに何の意味があるのだろうか?
本気で取り組まない方が…
いや、意味がないとまでは言わない。
ただ、あんまり本気で取り組まない方がいいよ、というのが僕の考え方である。
それよりも、腕を磨いておく方がよっぽど大事である。
では、腕とは何か?
これは「戦略を考える力」と「対人スキル」だ。
腕を磨こうぜ?
どんな仕事だって戦略は必要だし、人と関わらない仕事はない。
ポータブルスキルなんて横文字を使わなくていいくらい簡単な話である。
これらを磨いておけば、どんなキャリアになったとしても、何とかやっていける。
もちろん自分の描いたキャリアプランを実現する足掛かりにだってなる。
ちょっとの意識だけで
これはどんな立場の人であれ磨くことはできる。
別にマネージャーだからできないとか、プレーヤーだからできるとか、そんなことはない。
日々の仕事の中で、ちょっと意識するだけで、力をつけておくことができるのだ。
過大評価した自分を、同じくらい評価してくれる会社はない
もちろん時には立ち止まって、自分の将来のことを考えることは大事である。
でも、どちらかというと、最近の傾向として、「夢見がち」な感じが僕はするのである。
厳しい言い方にはなるけれど、大した実力もないのに、華々しいキャリアを獲得できると思っている人が多いような気がするのだ。
それはちょっと甘い。
というか、それだとどこかで挫折してしまう。
過大評価した自分を、同じくらい評価してくれる会社はない。
残念ながら。
それなら、何かの偶然によって差配された部署で、最大限力を発揮できた方がいい。
僕はそんな風に思うのだ。
神から呼ばれる(calling)
「天職」という言葉がある。
これはどちらかというと、自分目線というか、自分が心から合っていると思う仕事のことを指す言葉として使われているように思う。
でも、ここに英語圏の「calling」というイメージを追加する。
それによって「神から呼ばれる(call)」という意味が付与される。
僕はキャリアというのはこういうイメージが大事なのだと思っている。
グラノヴェッターの「弱い紐帯」の概念も合わせると、僕が考えていることが伝わると思う。
呼ばれた時にヒットを打てることの重要性
キャリアプランというのは、自分発信なのだ。
こうなったらいいな、こういう方向に進みたいな、それは大事である。
でも、それだけでは「天職」とはならない。
ダジャレみたいだけれど、まあ「転職」どまりだろう。
それよりも、日々の筋トレと素振りをしておきながら、「呼ばれた時」に、パカっとヒットを打てること。
それだけの実力を備えておくこと。
その方が大事なのだと思うのである。
客観的な実力を計測する
僕が「いい仕事」が大事だと考えているのは、このような考え方に基づくものである。
もちろん待っているだけでは何も生まれない。
時には自ら手を上げることも重要である。
ただ、何はともあれ実力がなければ、何にもならないのだ。
風呂敷を広げることは否定しない。
でも、それだけの実力があるかを自問自答しておくことはとても大事なことである。
客観的な自分の実力を冷静に分析し、力をつけておくこと。
そうすれば「いい仕事」ができる環境に行けるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
過大評価も過小評価もキャリアを考える上ではやってはいけません。
査定し、選ぶのは他者(もしかしたら神?)なのだから。
僕はそんな風に考えています。
人事を尽くして天命を待つことは、決して受動的な生き方ではない。
社内公募に応じるのは、必ずしも前向きな訳ではない。
僕らにできることは日々の筋トレと素振りです。
取り敢えず力をつけておきましょう。