吸い取る人と与える人
メンバーに力を与えられるかどうか
会うと疲れる人と、元気が出る人がいる。
エネルギーを吸われる人と、エネルギーを貰える人がいる。
そしてそれはマネージャーの資質を見極める上で結構重要なことのような気がしている。
マネジメントにおいて大事なことはメンバーに力を与えることだ。
そういう意味では、力を与えられるならどんな方法だって構わない。
マネージャーによってやり方は異なるだろうし、むしろ異なっていいのだと思う。
目的が叶うのであれば。
でも、目的を叶えようとしてやったことが、裏目に出る人もいる。
そしてそれはその内容だけでなく、その人そのものの性質が関係しているのではないか?
そんなことを思ったので、それを今日は文章にしてみるつもりである。
話が通じないとエネルギーを吸われる
会うとエネルギーを吸われる人。
その理由を僕なりに分析してみると、「話が通じない」ことが関係しているように思う。
そして「話が通じない」ということは、相手が自分の話を聞こうと思っていない、ということを意味する。
こちらが熱を持って理を説いたところで、何も響かない人。
響かせようと思っていない人。
対話には変化の余白が必要
そう。
対話というのは、その場で起こる相互作用によって、双方が(多少なりとも)変化していくことを目的として行われる(べき)ものである。
それぞれがある種の流動体であるというか、変化の余白を残しておくというか。
少なくとも、カッチカチの固体であってはいけない。
自分なりの考えや価値観は保持しながらも、何か面白いアイディアやイメージがその場に生じたのであれば、それを受け入れる素地を持っていること。
双方がそのような状態を持ち込むこと。
それが対話には重要である。
変化の可能性がないなら、話をする意味はない
でも、エネルギーを吸い取る人というのは、そのような変化の余白を持っていない。
というか、望ましくないとすら思っている。
そしてそれは表面的な態度とは異なることがある。
如何に「あなたの話を聞いていますよ」という態度を取ったところで、その話がその人に変化を及ぼす可能性がないなら(感じられないなら)、その話をする意味はなくなってしまう。
でも、この種の人はそれがわからない。
「話を聞くことそれ自体が意味がある」と思っているかのように。
可能性の芽を封じる人、伸ばす人
もちろん、話をすることそれ自体に意味がない訳ではない。
でも、そこに何らかの(変化の)可能性がないなら、その話はただの話としてそこに残置されることになる。
可能性のない話をすることに喜びを覚える人はいない(少ない)だろう。
一方、自分は何とも思っていないこと、そこに価値を見出していないことに対して、可能性を見つけてくれる人がいる。
それを面白がってくれる人がいる。
他愛のない話だと思っていることが、実はその人独自の切り口であって、でもそのままの状態で社会に出してもピンと来ない可能性が高い状態であるもの、それを適切に抽出し、誰もが理解できるように「社会化」することができる人。
それが与える人の特徴である。
可能性の芽を封じる人と、そこから伸ばす人。
それが吸い取る人と与える人を見極める重要な観点である、と僕は思っている。
チーム全体の体温を上げる
これはマネジメントにおいても応用できる。
マネジメントの目的は部下にやる気を出してもらい、成果を出すことである。
もちろんメンバー達が有能で、自己効用感が高く、放っておいても前向きに仕事をしてくれるなら、マネジメントなんていらない。
でも、多くの部下というのはそうではない。
こちらが必死になっていても我関せず、能力も低く、モチベーションもない、そんな部下ばかりである。
その中でマネージャーは成果を上げなければならない。
そして取れる手段は限られている(何かといえばすぐにハラスメントだと糾弾される時代だ)。
そういう状況において、チーム全体の体温を上げるというイメージを持つことはとても重要なことである。
部下にエネルギーを与える
何か具体的・個別的に指導をする、ということよりも、それぞれの体温を0.5度くらい上げるような感じ。
それによって、チームの動きが活性化するような感覚。
自律型組織・自走する組織、その種のチームはこれができているのである。
マネージャーが部下の動きを指示するのではない(それはマイクロマネジメントに繋がるから)。
ただ勝手に、でも適切に、部下が動くようになる為に、部下にエネルギーを与えること。
そしてそれは必ずしも陽キャである必要はない。
自らが変化する可能性を残しておくこと
上記したように、部下がそもそも持っているアイディアを膨らませたり、面白がったり、角を削ったりすることで、そこに社会性を持たせていくことが重要なのだ。
そしてその為には、マネージャー自身に余白が必要となる。
自分が変化する可能性を残しておくこと。
いつまでも未完成でいること。
不完全なものを完全に近づける時にエネルギーは生まれる
マネージャーは完成していなければならない、と思っている人はとても多い。
全てに応えられなければならない、そう囚われている人ばかりだ。
そんなことはない。
いいのだ、不完全で。
できないことをできないと言えること。
わからないことはわからないと言えること。
でも、投げやりでないこと。
部下との対話によって、その不完全なものが、完全に近づく過程。
それがマネジメントの醍醐味だ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
個人的には今回の話は良く書けたと思っています。
マネジメントとは部下にエネルギーを与えることである。
部下にエネルギーを与える為には、話が通じる人だと思ってもらう必要がある。
話が通じる人だと思ってもらう為には、変化の余白を持っていること(不完全であること)が必要である。
だから、不完全でいい。
それが僕が言いたかったことです。
不完全なものを完全に近づけていこうとするときに、仕事というのは面白くなります。
与える人(不完全な人)であり続けましょう。