「ぽい」とか「風」とかやめようぜ?
チームの雰囲気が今一つなら、そのマネジメント方法は間違っているのかもしれない
今日の話はタイトルの通りで、「○○っぽい」とか「○○風」といったことは、マネジメントをやる上ではやめた方が良い、なぜなら部下にそれは見抜かれるし、結果チームの体温が上がってこないから(むしろ下がるから)である、ということが結論となる。
以上。
…。
流石にそれでは面白くないので(書いても面白くないか…)、(特に初任の)マネージャーがやってしまいがちな失敗例などを書いていこうと思う。
もしそれが自分に当てはまるとするなら、そのマネジメント手法には転換が求められるかもしれない。
部下の反応がイマイチ、チームの雰囲気が今一つ、そんなことを感じている方には参考になるとは思う。
それでは始めていこう。
お茶を濁す。受け流す。
マネージャー、特にミドルマネージャーは、組織と個人の間に立つことが多い。
組織の言うこともわかるし、個人の言うこともわかる。
そんな時、どちらにも良い顔をしたくなるのが人間というものである。
上から降りてきた指示に対して、(テキトーに)お茶を濁す。
下から上がってきた意見に対して、(テキトーに)受け流す。
結果、それっぽい施策をやる(続ける)ことになる。
隠すな。完全であると装うな。
やや誇張して言っている部分はあるにせよ、多くのマネージャーはこのように仕事をしているものだと僕は思っている。
それは決して間違っているとは言えない。
何から何まで、組織の言うことも個人の言うことも叶えるのは不可能だし、全部にぶつかるのは子供じみているし、結果としてある程度はどれも中途半端になってしまうのはやむを得ないものである。
ただ、それを隠してはいけない。
さもそれが完全であるかのように装うのは良くない。
それが今日の結論である。
「下手に」建前を言う
このニュアンスは分かりづらいかもしれない。
マネージャーという仕事は、建前が本音よりも多くなる仕事であるから。
そして、建前は建前としてある程度行わなければならない仕事であるから。
本音だけでは組織では生き残れない。
でも、建前ばかりだと、部下からはそっぽを向かれてしまう。
だから、上手に建前を言うのだ。
というか、下手に建前を言うのだ。
それが建前であることを部下が見抜けるように、マネージャーの本音は別のところにあることがわかるように、建前を言うのがミソである。
ガチではないことを理解してもらえるような関係性を
そしてできれば、これは部下にだけわかることが望ましい(上司にはわからないことが望ましい)。
決してどちらに対しても及第点を取れるような、「それっぽい」話し方はしないことだ。
もっと言えば、及第点を取れるようなそれっぽい話をする際には、それがそれっぽい話であることを部下が理解できるような関係性を事前に構築しておくことが重要なのである。
決して「ガチ」ではないことがわかるような関係性というか。
意味がわからないかもしれないので、もう少し詳しく書いていく。
本音っぽい建前
本音っぽく装うことは、マネジメントにおいて必ずしも効果的とは限らない。
これを建前を使う時には心がけておくべきだ。
もちろん時と場合によることは言うまでもない。
でも、あまりにも上手に本音っぽく建前を言えるようになっているなら、それはもしかしたらやり過ぎかもしれない。
部下というのはそこまで利口ではないから。
でも、嗅覚は鋭いから。
それっぽい言葉の累積はチームの体温を下げる
もしかしたらあの人はガチでそう言っているのかもしれない、という部下からの疑いは、その後のマネージャーの言葉の信憑性を落とすことになる。
その累積がマネージャーの言葉の浸透度の低下を招き、チームの体温を下げていく。
もしあなたのチームが熱を失っているのなら、そのことをまず疑ってみるといい。
あなたを含めた上司の言葉が、きちんと部下に届いているかどうか。
もっと言えば、「ぽい」言葉や「風」の言葉が、ガチなものとして流布していないかどうか。
敗北主義が敗北を呼び込む?
繰り返すが、「ぽい」言葉や「風」の言葉をなくせ、と言っている訳ではない。
会社という組織で働く上では、建前は絶対に必要だし、何が何でも廃絶しなければならないというようなラディカルな思想は僕にはない。
でも、それはきちんと建前として通用していることは必要だと思う。
特に日本組織においては。
いつも言うことだけれど、軟弱なことを言うと、それが軟弱さを呼び込むから負けるのだ、という観念が日本組織には当たり前のように通底しているように僕は感じている。
だから、建前に対して、半端な態度で臨むと(ガチじゃないと)、それが原因でうまく行かないのだ、と言ってくる輩が必ず現れる。
結果として、多くの人たちは、建前をガチっぽく言うことになる(糾弾されたくないから)。
だから、それを全くやるな、とまでは言えない。
やらないに越したことはないけれど、日本の組織で働く上では、必要悪というか、まあやらなければならない場面もあるだろう。
でも、それをやる時にはトレードオフが発生していることは意識しておいた方が良い。
部下からのあなたの言葉に対する信頼度が下がることは自覚しておいた方が良い。
それでもやるならそれも結構。
ただその環境で成果を上げるのは難しいとは思うけれど。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
精神主義よりも成果主義を。
プロセスよりも結果を。
何かをやる時の「気持ち」や「精神状態」なんて、成果を出しているなら関係なくね?
それっぽさで装うのもうやめませんか?
僕はダサい日本の現状についてそう思っています。
その施策が上手くいなかないのは、気持ちの問題ではなく、その施策自体がイケてないから。
それだけ。
そんな当たり前のことが、当たり前に通る社会を僕は望んでいます。
もっと言うなら、そこに参画する人達の気持ちがアガる仕掛けも用意しておくのが企画者の仕事だろう?
それを受け手に任せるのもイケてないし、ましてやその受け手がイケてないと糾弾するなんて、自分が無能だと言っているだけだろう?
僕はそんなことをいつも思います(だから僕は嫌われるのでしょう)。
建前が必要なのはわかっています。
でも、その建前に自らが飲み込まれたら終わり。
そんな危機を持って、建前を使っていきましょう。