隙を見せる

UnsplashWladislaw Peljuchnoが撮影した写真

隙を見せれば、メンバーの肩の力も抜ける

おじさんになってきて良いことの1つに、隙を見せることに抵抗がなくなってきたことがある。

上手に受け身が取れるようになってきたというか。

若い頃は「仕事ができないこと=恥ずかしいこと」と考えていたけれど、それなりに経験を積んできた今は「ま、できないものはできないよね」といい感じに開き直れるようになってきたのである。

マネージャーと言えど、あらゆる分野でエキスパートである必要はないし(というかそんなことは不可能だ)、得意分野を活かしてチームに貢献すればいい、そういう割り切った考え方ができるようになってきた。

上手に隙を見せること。

それができれば、メンバー達の肩の力も抜け、チームの雰囲気が良くなっていく。

自分の得意分野で貢献すればいいのだ、ということが、実感として伝わるようになる。

今日はそんな話である。

イジられてますか?

あなたは部下に面と向かってイジられることがありますか?

そんな質問から本文を始めてみる。

これができているマネージャーは、高い成果を持続的に上げられるチームを作ることができる、そう言ったら言い過ぎだろうか?

そんなこともないのではないか、というのが僕の感想である。

マネージャーがイジられているかどうか、というのは、チームの健康状態を測る1つのバロメーターである、とさえ言える。

というのも、よくあるワンマン型チーム(独裁制、強権制、パワハラ系など言葉は何でもいい)では、マネージャーをイジるなんてことは、それも面と向かってイジるなんてことはあってはならないことだからだ。

独裁国家みたいに

これは独裁国家みたいなものをイメージしてもらえばよくわかると思う。

国民が独裁者を面と向かってイジッたとしたら、簡単に投獄され、処刑されるだろう。

独裁型チームもそれと似たようなものである。

戦々恐々、怖くてそんなことできるはずもない。

そんなチームが高い成果を「持続的に」上げることは不可能なのだ。

独裁型チームは成果が上がるが…

以前にも書いたことがあると思うけれど、短期間に高い成果を上げる為には、独裁型チームが一番手っ取り早い方法である。

強いリーダーシップを発揮して、徹底的に部下を縛っていくマネジメントスタイルは、緊急事態など、本当にどうしようもない時には有効な方法であるとも言える。

でも、それを長く続けることはできない。

期間が長くなればなるほど、部下のメンタルは不調となり、離脱者が増えていく。

もちろん、それでもいい、というチームはある(というか、会社もある)。

ただ、僕は全く共感できないし、単純に成果という尺度で考えても、僕のやり方の方が優れていると思っている(超短期は別として)。

適材適所という概念を、実感として伝える

さて、本題に戻る。

イジられることに抵抗があるマネージャーは多い。

特に若い頃はよりその傾向が強い

自分のことを振り返っても、若い頃というのは、どうにもプライドが邪魔をして、弱みを晒すことに抵抗があったように思う。

ましてや、その弱みを部下にイジられるだなんて。

でも、これが上手にできるようになると、チームの雰囲気は格段に良くなるし、成果も飛躍的に向上するようになる。

それはなぜか?

適材適所という概念が、実感を持ってメンバーに伝わるからではないか、というのが僕の仮説である。

能力のレーダーチャート

どうにも日本企業においては、「能力の平均値が高い方が望まれる」ような気がしている。

レーダーチャートの形が綺麗であることが望ましいという考え方が大勢であるように感じている。

もちろん、どの能力もバランスが良いというのは1つの特徴ではある。

でも、裏を返せば1つの特徴でしかない。

「何でも平均的にできる」というのは、「何をやっても平均点しか出せない」ということと同義で、チームの中でどこを担ってもらうのかが明確になりづらいというデメリットもある(もちろん何をやってもらっても安心、というメリットもある)。

それがレーダーチャートの形が歪であれば、その尖った部分をやってもらえばいいよね、ということが簡単にチームの中で共有されるようになるのだ。

マネージャーだってスーパーではない

これはマネージャーもその例外ではない。

もちろん全ての能力が高いに越したことはない。

でも、残念ながら、現代の高い競争環境において、全ての能力が高いなんてことは起こりえない(スーパーマンは別だ)。

それなら、自分の強みはこれである、弱みはこれである、ということをメンバーに知ってもらっておいた方が良い。

その方が上手に使ってもらえるようになるのだ。

異質性の包摂

そしてそれはメンバーの安心感にも繋がっていく。

あらゆることができなくても、1部分でも得意なことがあれば、チームに貢献することができるのだという感覚。

心理的安全性、という言葉は最近使われ過ぎて陳腐化してしまっているように思うけれど、「私はそこにいていいのだ」という感覚は、どの組織においても(たぶん人生においても)必要なことだと僕は思う。

そしてその「私はそこにいてもいいのだ」という感覚が、「自分はスペシャルではないけれど、それでもそこにいていいのだ」というものであるなら、チームは異質性を包含できるようになる。

それこそが僕が考えるダイバーシティである。

マネージャーだって異物で構わない

マネージャーだって異物で構わない。

それを部下にもわかってもらっていた方が、僕だって心理的に安心して仕事ができるようになるから。

肩ひじ張らず、適度にイジられていきましょう。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

上手に隙を見せると、メンバーも隙を見せてくれるようになります。

隙が見えれば、適材適所もわかります。

あとはその力を伸ばすようにしていけばいいだけです。

これを全部の能力を伸ばそうとするから無理が生じるのです。

もちろん努力することは否定しませんが、適度に間抜けな部分がある方が、かえってチームの成果は上がるような気がしています。

適度に力を抜いていきましょう。