自分の感覚はある程度信用してもいいんじゃないか?
人付き合いが苦手な自覚はある。が…
マネジメントという仕事をやっていると、多くの人に関わることになる。
それもそれなりに濃密に。
その中には、好きな人もいるし、嫌いな人もいる。
得意な人もいるし、苦手な人もいる。
ただ、一応マネージャーという立場なので、それは表には出さず、それなりの関係性をそれぞれの人と築きながら仕事をすることを求められるし、実際にやってもいる。
でも、どうしてもその感覚が拭えないこともある。
そんな時に、「お前の感覚がおかしいのだ」と言われたりすると、「確かにオレの感覚はおかしいのかもしれないなあ」と思ってしまいがちになる。
元々僕はそこまで人と上手に関係性を築けるタイプではないし、多くの人と仲良くすることはできないという自覚もあるので、他人のそのような発言は的を射ているように思えるのだ。
ただ、である。
「本当にそうなのか?」というのが今日の話である。
長くマネジメントという仕事をやっていると、「やっぱり自分の感覚の方が正しんじゃね?」という場面が増えてきたので、それを文章にしていこうと思う。
それでは始めていこう。
人を見る目
上司に阿るのが上手な人。
それを見抜けない上司。
このような構図を僕はマネジメントという仕事を重ねる中で、何度も見ることになった。
その度に、「お前の方が間違っている」という指摘や糾弾を食らってきた。
そして、「まあそうだよな。オレは感覚ズレてるし…」と思い、反省をしてきた。
でも、そこから数年が経ち、そのような人たちの悪事が色々と露見するようになると、手のひら返しというか、「やっぱりおかしいと思っていたんだよ」と言い出す人が出てきて、僕は「何だかなあ…」という気持ちになる。
僕は自分が人とはズレているという自覚はあるけれど、人の本質を見抜く目は持っていると思っていて、でも事あるごとに「いやいや、あの人は良い人だよ」ということを言われてきたので、「自分では本質を見抜いていると思っているけれど、節穴なのかなあ」とこの数年自分自身に対して疑いの目を持ってきた。
しかしながら、僕の方が正しかったようだ。
一方、あれだけ僕のことを糾弾してきた人たちは、何事もなかったかのように、「お前の言った通りだな!」と悪びれもせず僕に言ってきたりもするので、「どういう情緒だよ…」と僕は更に呆れることになる。
そのような一連の人間関係の面倒くささを浴びまくってきた僕が思うのは、「自分の感覚はある程度信用してもいいのではないか」というある種当たり前の結論である。
もちろん、謙虚である必要はある。
ただ、他人の目だって大したことはないよね、とも思っていいような気もしている。
マネージャーは人間的に成熟すべき(そりゃそうだ)
「苦手な人が苦手であるのは、自分自身に問題があるからだ」
「マネージャーたるもの、そのような苦手な人でも上手に付き合えるように、人間的に成熟しなければならない」
そのような考え方を僕はずっと持ちながら、マネジメントという仕事をやってきた。
それは必要な心構えではあるとは思う。
でも、あまり囚われ過ぎなくてもいいのではないか、とも最近は思うのだ。
苦手な人が苦手であるのは、もちろん僕自身に問題があることは承知しながらも、その苦手な人にも問題があるので、苦手だと感じるのではないか?
そしてそのように苦手だと感じる僕が異常者であることは間違いないけれど、その苦手な人だってきっと異常者(もしくは異常な要素を持った人)なのでは?
となると、そのような異常者と上手に付き合えるようになるのがマネージャーに求められることであるというのは、ちょっと酷なのでは?
というか、苦手な人を苦手だと感じる自分自身をそこまで責めなくてもいいのでは?
そんな風に最近は考えている。
過去の僕に向けて
繰り返すが、努力はすべきである。
人間関係を良好にすべく、最善を尽くす必要があることは変わらない。
でも、ダメなものはダメだし、その理由が必ずしも自分にある訳ではないこともある。
そういう割り切りを持って、人と接していくことが大事である。
ある種の人にとっては当たり前とも言えるこのようなことを、僕は過去のマネージャーに成りたての頃の自分に言ってあげたい気持ちになっている。
それくらい僕は自分が不甲斐ないからダメなのだ、と思って仕事をしてきた。
でも、きっと、そんなこともないのだ。
別に「オレの方が正しかっただろ!」と息巻くような気持ちまではないけれど、肩を叩きながら、「悪かったよ」とか「オレが間違ってたよ」くらいは言って欲しいなとは思っている。
そして、それは自分自身に向けて、僕自身も思っている。
変な人と良好な関係性を築けなくても、おかしくはない
マネージャーは人を見る目が必要な仕事である。
でも、たくさんの人たちと接していくと、それも苦手な人や嫌いな人がその割合の多くを占めていると、やっぱり自分は間違っているのではないか、と不安になることもあると思う。
ただ、何年もマネージャーという仕事をやってきた僕が思うのは、そんなこともないよ、ということである。
変な人は世の中にたくさんいる。
もちろん会社にもたくさんいる。
そのような変な人と良好な関係性を築けない自分は、別におかしくはない。
むしろ正常であるとすら言える。
そして、それは別に開き直りではないのだ、きっと。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
オープンとクローズ。
ある程度の開放性(オープンマインド)はマネージャーには必要です。
でも、それ以上のことはそこまで必要ではないのではないか?
今僕はそんなことを考えています。
万人に受けることは無理。
そんなの当たり前のことなのに、僕はそうなるべきだ、そうならなければならないと自制(自省)しながら仕事をしてきました。
いやいや、元からそういう人間じゃないでしょ(笑)。
そのようなツッコミを僕は自らに向けられるようになったことで、だいぶ仕事がし易くなりました。
もちろん、過剰にクローズすることなく、開放性を保つ必要があることは大前提です。
ただ、あまり無理をしなくてもいいのでは?
ある種の人に嫌われることは、別の人からの好意に繋がることもあります。
程々の開放性と共に、仕事をしていきましょう。