対話はすることに意味がある(中身はどうでもいい?)
対話の中身は覚えていない
突然ですが、質問です。
最近誰かと対話しましたか?
その内容を覚えていますか?
「何となく概略は…」というのが、僕の場合の答えである。
正直、詳細は殆ど覚えていない。
でも、そこにあった雰囲気というか、空気感というか、少なくともそれがポジティブであったことは覚えている。
対話してよかったな、という感想というか。
そして、そのことを思い返し、結局のところ対話というのは「する」ことに意味があって、中身はある種そこまで重要ではないのではないか、と感じたので、今回はそれを文章にしてみようと思う。
意味がわからないかもしれないけれど、とりあえず始めていこう。
ぐちゃぐちゃと話をしている
「課長は暇そうでいい」
これが僕がマネジメントにおいて重要だと思っていることの1つである。
ただ、本当に暇な訳ではない。
あくまでも、暇そう、というのが大事である。
そして、自分の仕事を振り返り、何に時間を使っているのかということを考えると、結構対話に使っているのである。
部下とも、上司とも、同僚とも、後輩とも、それなりの時間、ぐちゃぐちゃと話をしている。
それも顔を突き合わせていたり、電話だったり、手法や場面は様々である(リモートは殆どない)。
それこそ気が付けば1時間、2時間(下手をすればそれ以上)話していることもある。
「カフェか!」と自分でも突っ込みを入れたくなるくらい、ただひたすら話をしている。
ただの浪費?
傍から見れば、それはどう見ても「仕事」には見えないだろう。
でも、これが結構重要だと僕は思うのだ。
そして、今回はその内容についての話でもある。
だから、その内容(そこで交わされた中身)を思い返してみたのだけれど、冒頭にも書いたように大して覚えていない。
そして、覚えていた内容も、何か重要なことを話していたとは思えないくらいのモノである。
となると、僕はただ駄弁って時間を浪費しているだけなのか?
いや、そんなことはない。
そう思ったので、今回はそれを文章化している訳である。
なぜ人は人と話をするのか?
人が人と話をする意味。
ここでやや高尚というか、哲学的な問いをしてみる。
なぜ人は人と話をするのか?
パッと思いつくのは、そこで何らかの情報を伝え合う為、という回答である。
確かに情報を伝え合う為に僕たちは話をする。
でも、その話すという行為自体に既に目的が含まれているような気もしている。
そしてその話すという行為自体の「快」だけではなく(話すのがただ気持ちいいということだけではなく)、話をしたという事実が残ったこと、そこにポジティブなものが生じたというイメージ、が大事なのではないか、と最近は思っている。
これは裏返せば、中身はそこまで重要ではない、とも言えるのではないか。
あまり意気込む必要はないのでは?
もちろん、ポジティブなイメージが残ったという感想は、ある程度対話において中身のある話が行われたから生じるのであって、全く中身のない話ではいけない、というのは事実だろう。
でも、そのコンテンツというか、内容が、高度であったり、意味のあるものでなければならない、というような縛りもないのではないだろうか。
そして、仮にそうであったとしても、冒頭の僕のように、結果として何も覚えていないのであれば、そこまで対話の内容に対して意気込む必要はないのではないか、と思ったのである。
ザックリとしたイメージが結構大事なのでは?
僕はマネージャーになってから、本当にたくさんの人と、結構な長尺で話をしている。
それこそ累計対話時間みたいなものを計測すれば、物凄い時間になっているはずだ。
では、それが無駄だったのか?
もしくは、逆にとても有用だったのか?
と考えると、中身よりも、話をした事実それ自体に意味があるように思えるのである。
そして、ありがたいことに、僕と話をしたいと思ってくれる人がそれなりに多くいる。
でも、当の本人はその中身をあまり覚えていない。
また、話の相手もきっと覚えていないだろう。
ただ、そうであっても、また僕と話をしたいと思ってくれる。
この繰り返し。
「何か有意義な時間だったな(何話したかは忘れたけど)」というような、ザックリとしたイメージ。
それが対話の意味なのだろう。
抑揚のない対話
残念ながら、誰かと話をして、パッとひらめくとか、膝を打つとか、そんなことはあまり起こらない。
ただただ地平線上を、同じくらいのトーンで歩いていくだけである。
そこには盛り上がりも、クライマックスもない。
イントロもサビもない。
平坦な話。
そこに何か意味があるのか?
大した意味はないだろう。
でも、もしそこに無理やりにでも意味を探そうとするなら、対話それ自体を行ったこと、行い続けていることに意味があると僕は思うのである。
肩肘張る必要はない
たくさんのマネジメントにおける問題。
それはすごく大雑把に言うなら、対話の絶対量が足りないことから生じている。
僕にはそう思えることがある。
何も1on1だとか、コーチングだとか、肩肘張らなくてもいい。
ただ、下らないことを、下らなく話すこと。
それをひたすらに続けること。
それでずいぶんと仕事はし易くなるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「マネジメントにおいてまず何をやったらいいですか?」と問われるなら、「部下と1対1で話す時間を強制的に作ること」と答えるでしょう。
色々なことを試してみて、僕はこれが一番効果的だと思っています。
もちろん、費用対効果というか、コストパフォーマンスで考えるなら、部下と長尺で対話をすることはあまり良いことだとは思われません。
でも、これがなければ、僕がやりたいような仕事ができないというのも事実です。
部下との対話はチームのベースの体温を上げることに役立ちます。
大変ですが、続けていきましょう。