言うべきことを言えない職場

UnsplashKeren Fedidaが撮影した写真

JTC(Japanese Traditional Company)

皆さんは言うべきことを言えていますか?

そんな問いかけをしたら、100人中90人くらいは「言えていないです…」と答えるのかもしれない。

それくらい(伝統的な?)日本企業においては、「言うべきことを言う」ハードルは高いものである。

でも、そこにグラデーションはあると思う。

本当にガチガチに言うべきことを言えない職場なのか、本当に必要なことはまあそれなりに言えるのか、という「程度の違い」は存在するように思う。

さて。

僕は前者寄りの職場で仕事をしている。

もう少し正確に言うなら、そのような環境の中で言うべきことを言って袋叩きに遭っている、そんな感じである。

多くの人が「それっぽい発言」でお茶を濁す中で、僕はそれなりに意見具申をしている。

そしてそれは必ずしもポジティブなことではないと捉えられている。

でも、ウチの会社はずっと低迷を続けている。

「それでいいの?」というのが今日の話である。

それでは始めていこう。

自分本位の不満ではなくても…

「言うべきことを言いながらも、敵を作らず、自分の進みたい方向に進んでいけること」

これがある程度の職階になったら求められるスキルである。

冒頭に袋叩きに遭っているという表現をした僕であるが、そんな僕ですら、できるだけ敵を作らないように、慎重にコトを進めようとしている。

それはケンカをしたところで意味はない、結局自分の進みたい方向に進めなくなるから、と思っているからである。

そういう意味であるから、不満を撒き散らしたり、気に食わないから上司に盾突いたり、というような次元で「言うべきことを言えない」と言っている訳ではないことをまずご理解頂きたい。

それはあくまでも自分本位ではなく、職場や会社を良くするためにはどうしたらいいかという目的に沿って行われているものである。

前例踏襲主義

さて。

そのような前提を踏まえても、言うべきことを言うことは難しい。

それはなぜか?

会社(日本企業?)というのは、基本的に前例踏襲で動いているからである。

今までやってこなかったことを新しくやることはない(もしくは非常にネガティブである)のが、会社という組織である。

ではなぜ前例踏襲で動くのか?

それは責任の所在が明らかになる(なってしまう)からである。

もっと言えば、その事象のみならず、他の事象もひっくるめて、責任を押し付けられるリスクが非常に高いからである。

恐怖政治下における相互監視

長い間日本企業に勤めている僕は、及第点を取ること(取り続けること)が非常に大事であるということを常日頃感じている。

これはどういうことかというと、1度でも落第点を取ると、途端に評価が激下がりするということである。

結果、失敗を極端に恐れる組織となる。

ホームランか三振かではなく、常に単打(ヒット)を狙い続ける。

でもヒットというのは狙って出せるものじゃないので、結局それが凡打となってもOKということが暗黙の了解になっているというか。

ホームランを狙おうとする者には、常に村八分の視線が注がれており、多くの人がその失敗を心待ちにしているような状況というか(また露骨に足を引っ張る場合も多い)。

このような状況では、誰も言うべきことを言おうなんて思わなくなる。

かく言う僕ですら、「抑えて抑えて、ちょっとだけ言う」くらいが関の山である。

相互監視と恐怖政治。

完全なるディストピアだ。

努力の方向性が間違っているのでは?

僕は会社を良くしたいと思っている。

そしてできればそれが日本社会を良くすることに繋がって欲しいと願っている。

それは僕個人がどうこうというような、低い視点のものではない(と僕は思っている)。

こういう風に動いたら評価されやすいとか、コスパが良いとか、そういう気持ちが全くないとは言い切れないのかもしれないけれど、殆ど0に近いというのが本当のところである。

表現が難しいけれど、どう考えても悪手というような戦略を会社が打とうとする時、それも偉い人がそれを思い付いた為にそのような方向に進んでいる場合、誰もが愛想笑いを浮かべながら本音を言えずに淡々と激務を強いられている状況に、僕はとても残念な気持ちになる。

失敗が目に見えているのに、それなりの作業負荷がかかり、でもそれを否定することもできず、必死に努力を続ける状況。

努力の方向性が間違っているのではないか?

僕はそのように感じてしまう。

黙っているのが大人の作法?

もちろん、その偉い人だって、会社のことを思ってアイディアを出しているのだとは思う。

でも、それが明らかに的外れである時、現実との乖離が大きい時、僕らはやっぱり黙っているべきなのだろうか?

言うべきことを言わず、唯々諾々とその方針に基づいて仕事をするのが、ビジネスパーソンとしてあるべき姿なのだろうか?

そうなのかもしれない。

でも、その一方で僕の勤める会社は停滞を続けている。

内向きの論理だけで一生やっていけるならそれでもいいのかもしれない。

しかしながら、現実はそんなに甘くない。

言うべきことを言えないまま、ゆっくりと座礁に向かっている会社。

そんなこと関係なく、個人単位で器用に立ち回るのが最善なのだろうか?

僕にはよくわからない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

外を見ようぜ?

僕が定期的に思うことです。

内向きの論理がずっと罷り通るなら、別に言うべきことを言わなくてもいいと思いますが、そうではないなら、それも他社に対して圧倒的に劣後しているなら、それはやっぱり考えなければならないのでは? と僕は思ってしまいます。

意見具申は批判とは異なります。

建設的な議論を行っていきましょう。