脳的マネジメントでは現実とは戦えない
人は理論や正しさでは動かない生き物である
理論と実践。
抽象と具象。
そのようなことを何度かこのブログに書いてきた。
今回もまたそのような内容の話である。
僕が長年マネジメントという仕事をしてきて思うのは、また自身の失敗を振り返って感じるのは、「頭でっかちでは現実は動かない」ということである。
なぜなら、そこには人がいるから。
そして、人というのは理論や正しさだけでは動かない(どちらかというと感情的な)生き物であるから。
仕組みを作ることは重要だ。
でも、仕組みだけでは上手くいかないのも事実である。
今日はそんな趣旨のことを書いていこうと思う。
それでは始めていこう。
理想の打ち手(笑)
仕事において何らかの問題が生じており、それを改善する為に何らかの方策を取らなければならない場合、まずどのようなところから始めるのが良いだろうか?
そのような質問から本文を始めてみる。
一般的には、その問題の本質がどこにあるのかを突き止める為に、事象を観察したり、聞き取りを行ったりするだろう。
こうやって、現実という具象的なものを抽象化する。
その問題の根幹にあるエッセンスを抽出しようとする。
結果、(仮説も含めた)問題の本質が浮かび上がってくる。
さて。
次はどのような手を打つかを考えるフェーズである。
ここに難しさが生じる。
というのも、理論的に考えれば最善の打ち手であるものが、現実的にワークするかどうかというのは、また別問題であるからである。
でも、往々にして脳的なマネージャーはこの理想の打ち手を実行しようとする。
結果、組織内にそれなりの軋轢が生じることになる。
それ、通過してる?
もちろん、問題を解決する際に、それなりの軋轢が生まれるというのはそこまで珍しいことではない。
むしろ、必要な儀式(通過儀礼)ですらある。
ただ、どこかの時点ではそれが通過しているのか否かというのは点検しておいた方がいい。
理想のまま打ち手を推し進めた結果、それが上手くいっているのかどうか、成果に繋がっているのかどうか、というのは確かめた方がいい。
そうしないと、理念だけが先走り、中身のない施策が行われてしまうから。
それも、実行している部下たちが忖度を行い、悪気なく(むしろ良いことだと思って)進めてしまう可能性があるから。
間違ってはいないが、現実に即していないもの
脳的なマネジメントには欠点がない。
正しさ全開で、そこに反論の余地はない。
あまりにも正し過ぎるから。
でも、現実というのは一筋縄ではいかない。
正しいからといって、誰しもがそれに従う訳ではない。
でも、上司がそのように考え、それを心から推進している中において、真っ向から「それは間違っている」と言える部下は殆どいないし、本当のところにおいて、それは「間違ってはいない」から余計に厄介なのである。
間違ってはいないものの、現実には即していないもの。
でも、やらなければならないと言われ、魂がこもらないままやっているもの。
これで成果が上がるだろうか?
僕には甚だ疑問である。
脳的なものを身体的なものに接続させる
もちろん、この逆サイド、現実現実しているもの(だけ)をやればいい、ということではない。
具象的なものを具象的な状態のまま取り組むのは、間違っているとは言えないまでも、適切であるとは言い難い。
要はバランスの問題である。
脳的なものを身体的なものにどう接続させるか?
これが現実と戦う上で必要となるマネジメントである。
対話only?
では、どうやったら脳的なものを身体的なものに接続できるのだろうか?
僕は「対話しかない」と考えている。
現実を抽象化して、理想的な打ち手を考える。
でも、それはもしかしたら、現実に戻した時に、上手くフィットしないものかもしれない。
脳的なマネジメントはこれをこの状態のまま推し進めるから問題なのであった。
だったら、その段階において、現実と擦り合わせてみたらどうか?
「私はこのような打ち手を考えたけれど、実際のところどうなのだろうか?」
そのような対話を続けること。
これを繰り返すことが必要なのだと思う。
折衷点こそが重要なのだ、きっと。
これは「説得する」ということを意味しない。
自分が考えたことを部下に納得させることが目的なのではない。
両者が同じ地平に立って、問題に対しての対処方法を同じ立場で話し合うことが大切なのだ。
それはある種部下に抽象的な視座を持ってもらう、ということを意味する。
そして同時に、我々マネージャーも具象的な部分を加味する、ということを意味する。
この両者の折衷点を探る行為。
これがマネジメントなのではないか?
「移ろい」は悪いことではない
また、これは動的なものである。
人員構成や時代の変化、その他様々な要因によって、この折衷点の場所は変わっていく。
「正しい1点」が存在する訳ではなく、それは移ろっていくものである。
そしてそのような移ろいは悪いことではないのだ。
正しさは静的ではない(はず)
多くの人は、このような行為を「妥協だ!」と罵る。
僕にはそれが「頭でっかち」に映る。
「正しさ」とは静的なものではない(静的なものとは限らない)。
それがわかった時、脳と身体が接続し、現実を動かすマネジメントが実現できるのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネジメントにおいて難しいと思うのは、正しいことが正しいまま進むことが殆どない、ということです。
ここで、「アイツらはバカだ」と一刀両断するのは簡単です。
また、同時に難しいのは、そのような言明はある種「正しい」ということです。
たぶんあなたの言っていることは間違っていない。
僕も賛成する。
というか、むしろ称賛の拍手すら送ろう。
でも。
それでは現実は変わらない。
そこに忸怩たる想いは僕にもあります。
というか、そんな奴らと仕事なんてしたくはない。
でも。
そこからマネジメントは始まります。
妥協はダメ?
そんなことはありません。
大事なのは、妥協してでもなお、あなたが信じる正しさの方向に現実を向けていくことです。
自分を騙し、人を騙し、清も濁も併せ吞んで、現実を変えていきましょう。