心ある人と仕事したいぜ
人に合わせるのは得意だ。でも…
長年営業という仕事をしてきて、その間のそれなりの期間マネージャーという立場にあって、僕が身に付けたスキルは「心ある人の見分け方」である。
というか、大抵の人はある程度の期間社会人として働いていれば身に付けられるものだと思うので、そんなに大層なものではないし、偉そうに言うほどのものでもない。
今回言いたかったのは、そんな僕が歳を重ねていく中で感じたことについてである。
営業も、マネージャーも、ある程度相手に合わせなければならない仕事である。
もちろん自分という軸をブラしてはいけないのだけれど、そうは言っても相手が心地良くいられるように対応するというのがベースとなる。
それは体に染みついてしまっているものであるので、ある程度無理せずにできるものではあるけれど、それなりに疲れるものでもある。
ましてや、その相手がどうにもこうにも合わなかったり、いけ好かなかったりすると、そのダメージは大きなものになる。
普段はそこから目を背け、大丈夫と自分に言い聞かせながら仕事をしているのだけれど、そのような精神的蓄積疲労は温泉に行ってもサウナに行っても抜けることはなく、どんどんと自分の体を蝕んでいく。
合わない人に合わせることは得意ではある。
でも、合わせなくても合ってしまう人と仕事をしたいなとも思う。
今日はそんな話である。
僕は友達も気の合う人も少ない
初対面なのにそんな気がしない。
そういうことが時々起こる。
そして、そのような人との関係性を長く保っている。
僕は偏屈な人間なので、友達も少ないし、会社でも合う人は殆どいない。
またそれは今に始まったことでもない。
学生時代から、もっと言えば幼少期からずっとそうだった。
だから、それに対しては「そういうものだよね」という感情を持っている。
でも、そんな僕であっても、年に1回くらいは心ある人と出会うことがある。
そして、なぜかそういう人に僕は気に入られる。
その度にとても不思議な気持ちになる。
心ある人が選ぶ人
「心ある人は心があるので、万人に好かれるはずだ」という言明はたぶん正しい。
ただ、その逆は真ではない。
心ある人が好きな人はまた別の話なのだ。
心ある人が万人を好きな訳ではない。
そこに僕が選ばれることがある。
不思議なことだ。
こんな性格の捻れた僕が、なぜその好意の対象になるのか?
よくわからないままだ。
でも、ありがたいことに、そのような関係性の輪の中に入れて貰って、僕はそこで何とか生き永らえている。
そして、冒頭に書いたようなことを思う。
合わせなくても合ってしまう人と仕事がしたいな、と。
(不遜だけれど)ずっと手加減をしているような感覚
これは何も会社の人だけではない。
お客さま、関係会社、競合他社、その他諸々の人達。
特に何の調節をしなくても、勝手に波長が合ってしまう人たち。
僕は相手に合わせて無意識に言葉の種類を変え、トーンを変え、リズムを変えてしまうクセがある。
相手にとって心地良いと思われる話し方に自動的にチューニングをしてしまう。
それは別に無理をしている訳ではなくて、職業病みたいなものだ。
自分が客として買い物に行ったり、美容室に行ったり、レストランに行ったりした際にもそのような対応をしてしまう。
そして、そこにストレスを感じている訳でもない。
その方が楽だから、ただそうしているだけなのだ。
ただ、同時に、そこには不全感みたいなものは残る。
不遜ではあるけれど、「手加減をしている」というような、微妙なフラストレーションが残る。
それを解き放ちたい衝動に襲われることがある。
僕は心ある人に連絡を取り、なんてことないことを酒を飲みながら話す。
他愛のない会話。
それが仕事においてもできたらいいのにな。
そんなことを最近は考えている。
FIREへの憧れの変化
FIREへの憧れは、僕の中では、そのような人に囲まれた状態で仕事をしたい、というものに変換しつつある。
以前にも書いたように、僕は仕事自体が嫌いではないし、どちらかと言えばワーカホリック的な人間であるので、経済的自由を手にしたとしても、何らかの形で働いていきたいと思っている。
ただ、働く環境は選びたいなとは思うのだ。
そして、「勤め人」という立場ではたぶんそれは実現できないであろうことも。
働く相手を選びたい
漠然と考えているのは、スモールビジネスを立ち上げて、仕事を選びながら細々と働く、ということである。
「嫌なことはやらない」
「別に食うに困る訳でもないし」
そのようなことを、意地を張る訳でもなく、自然と言えるような状態を今は目指している。
もちろん、働くということはそんなに楽なことではない。
夢見がちな学生のような展望を描いている訳ではない。
ただ、今よりはもう少し働く相手を選びたいな、とは思うのだ。
働き方のシフト
マネジメントという仕事をして、人間というのは本当に嫌らしい生き物だよな、ということをたくさん味わってきた。
そういうことに適応することに、そして上手にできてしまう時があることに、だんだんと疲れてきてしまった。
だからと言って、すぐに辞められるほどのカネがある訳でもないし、もう少しこの仕事を続けていくとは思う。
でも、心ある人との仕事へ、徐々にシフトしていきたいとは思っている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
今回の話は一言で言うなら「中年の危機」ということなのかもしれません。
誰しもきっとそのように仕事に対して思うようになる。
そして僕もその例外ではなかった、それだけのことなのでしょう。
ただ、ありがたいことに、というか幸運に恵まれて、僕はそれなりの数の心ある人に好かれ、その人たちと比較的良好な関係性を築けたことを振り返ると、自分の仕事のやり方はまあ悪くなかったんじゃないか? と思えるようになっています。
辛いことが続きますし、嫌なことばかりが起こりますが、僕はそのような人に支えられ(もう既に亡くなってしまった人も含め)、何とか今日も仕事に行くことができています。
そしてそのような人たちに少しでも恩返しができるよう、僕はこれからも誠実に仕事をしていこうと思っています。
これを読んで下さっている方もきっとそのような仲間の1人なのでしょう。
いつの日か楽しく酒でも飲みたいものです。
どうかご自愛ください。