ストレートとカーブ

UnsplashJose Moralesが撮影した写真

カウントが整えば良くね?

速球派から技巧派へ

歳を取ると速い球が投げられなくなるからなのかわからないけれど、最近の僕はストレートよりもカーブを投げることが増えてきたように思う。

というか、「カウントが整えばそれでいいでしょ?」そんな感じなのだ。

大事なことはストライクを取ることで、その為の球種は何だっていい。

以前の僕なら、一球一球にそれこそ力を注いでいたけれど、最近は良い意味で力が抜けているというか、球速や球威を気にかけなくなってきていて、それがマネジメントにとっても良い成果をもたらしているように思っている。

もう少し付け加えるなら、それがストライクゾーンに入っていなくても、打者が空振りしてくれる(引っ掛けてアウトになる)ならそれでいいんじゃない? そんな風に考えている。

何も速球でゴリ押すだけが野球ではない。

もちろん、今だって投げようと思えばそれなりの速度の球を投げられるとは思うし、それでカウントもアウトも取れるような気がするけれど、意味がないというか、不必要だと感じるのである。

今日はそんな心境の変化みたいなものを書いていこうと思う。

それでは始めていこう。

やり方よりも成果を

大事なのは成果だ。

それはこのブログを立ち上げた当初から僕が主張していることでもある。

そして、今日の話に置き換えるなら、成果が上がるなら、そちらの方向に向かうなら、どんなルートを辿ったとしてもいいのではないか、ということになる。

それは多くの人がやり方に拘る、それも異常な拘りを見せることに対する違和感から生じているものでもある。

もっと言えば、そんなにもやり方には拘るくせに、その効果検証はあまりせず、やったらやりっぱなし、ということへのアンチテーゼとも言える。

同じフォーム。同じ速い球。

マネジメントに関しても同様である。

多くの人はフォームに異常な拘りを見せる。

それも強い球・速い球を投げる為のフォームに。

それを人にアドバイスしたり、強制しようともする。

「ああ、ダメだそのフォームじゃ! もっと腕を真っすぐ上から振り下ろさないと。あと、投げ終わった後のフォロースルーも意識が足りないな。もっと地面に指が付くくらいまで腕を振らないと」

とか、何とか。

僕は正直何でもいいと最近は考えている。

下手投げだろうが、横投げだろうが、ましてや投げたボールが山なりだろうが、ストライクが取れたり、アウトが取れるなら、それでいいんじゃない? そんな感じなのである。

別に皆が同じようなフォームで、同じような速い球を投げる必要はない。

というか、それを強制(矯正?)する必要はない。

そんな風に思うのである。

緩いカーブ

僕はいつの頃からか、緩いカーブを投げられるようになった。

意識していた訳ではないけれど、緩急というか、「外す」ことも大事だよなと思ってから、自然とそのような球を投げるようになった。

それは打者に対しての意味合いもあるし、自分自身に対しての意味合いもある。

緩いカーブを投げることで、視野が広がるというか、その場を客観的に見られるようになるのだ。

これは第三者化(俯瞰化)ということにも繋がる。

そこで緩いカーブを投げることで、この場にガチで臨んでいる訳ではない、視野狭窄になっている訳ではない、ということを示せる、そんな効用を感じている。

速くない速球(笑)

「勝ち方」は確かに大事である。

その内容の是非は問われるべきだ、と僕だって思う。

でも、あまりにもチームの状況が悪かったり、選手の質が揃っていないとするなら、そんなことは言っていられない。

取り敢えず何でもいいから勝つことが重要となる。

しかし、多くの人は「勝ち方」に異常なまでの拘りを見せる(先程書いたフォームのように)。

ましてや、他人の「勝ち方」にケチを付けたりもする。

速いストレートを投げて、三振三振また三振であれば、確かに気持ちよいだろう。

でも、現実はそんなに甘くない。

もっと言えば、その「自称速球」はそこまで速くもない。

だったら、変化球も投げたら?

それが勝つことに効果的なのであれば、取り入れてみたら?

そんなことを思うのである。

願望込みの理想ほど厄介なものはない

理想と現実。

どちらも大事だ。

そしてそのバランスも。

でも、そこに「願望」が入ってくるとややこしくなるから注意が必要である。

「願望」というフィルターを通して物事を見ると、理想も現実も違ったものになってしまうから。

また、理想というのはややこしいものでもある。

圧があるというか、鬱陶しいというか、それなりの想いが含まれている分、相手にとっての力が生じる。

それがすんなり受け入れられればいいのだけれど、そうでなければ反発を招いてしまう。

そして反発を招くのは本意ではないはずなのに、それをゴリ押ししてみたり、その理想を受け入れられない相手を批判してみたりする。

うーん。

やりたいのは理想を叶えることだろう?

その為にはストレートだけではなく、カーブを投げることだって重要なのではないか?

直線的に向かえなくても、迂回的になったとしても、理想に近づくことが大事なのではないか?

僕はそのように思うのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

目的と手段。

理想と現実。

そのバランス。

そんなことを考えながら、僕はマネジメントという仕事をやっています。

そして、最近は目的と理想が優位過ぎて、それを少し手段と現実に是正した方がいいのではないか、と思っています。

緩いカーブが投げられるようになると、マネジメントという仕事はとても楽になります。

気勢を削いでいきましょう。