初任給が軒並み上がりそうで羨ましいぜ
ようやくデフレ脱却?
今春の賃上げについて景気の良い話が新聞紙面等に踊っている。
中でも、初任給についてはその伸びが非常に大きそうだ。
まるでセリのように、各社がその数値を競っている。
これは望ましい傾向だと思う。
数十年に及ぶデフレからの脱却が現実的なものとなり、日本もようやく本格的なインフレ期に突入しそうである。
もちろん、インフレ率の上昇に耐えうるほどの賃上げかどうか(実質賃金の上昇であるか否か)という議論はあるとは思うけれど、それが名目的な賃金上昇に過ぎなかったとしても、その値が伸びていくことは景気の伸長には効果が多少はあるはずだ。
ただ、同時にこれはマネージャーにとって難しい問題が1つ増えることも意味する。
果たして新人の賃金(初任給)はその仕事の対価に見合っているのか、という疑問が生まれるから。
もっと言えば、権利と義務のバランスにおいて、また権利の側に天秤が傾く可能性があるから。
意味が分からないかもしれないけれど、今日はそんな話をしていこうと思っている。
それでは始めていこう。
いい人材にはカネがかかる
初任給が上がること。
各社が優秀な学生を取るためにそれを競うこと。
それはとても良いことであると僕は思っている。
むしろなんで今までそれをやってこなかったのだろうかと思うくらいに。
「優秀な人材を確保する為にはそれなりの処遇が必要で、その為にはそれなりの人件費を払う必要がある」
こんなことは当たり前の話である。
でも、ちょっと前までは当たり前ではなかった。
企業は社員をいかにして安く雇うか、それを競っていたのである。
きっかけや理由はどうあれ
もちろん、ここには人口動態が大きく関係しているだろう。
労働人口が減り、各社人手不足問題が顕在化する中で、物価が上昇し、賃金を上昇させざるを得なくなった、それは事実だろう。
また、そこには政治的な要因も関係してはいるだろう。
当時「官製春闘」と言われたように、デフレ脱却に向け、やや人為的にこの賃上げの波が開始されたことは周知のとおりである。
でも、たとえそうであっても、この動きは日本経済にとって望ましい方向であると僕は思う。
というのも、企業は値上げするだけの価値があるものを提供する必要に迫られるし、労働者側もどの企業に勤めるかを(以前に比べれば)選べるようになるからである。
良い企業と悪い企業がはっきりと分かれていくはず
これは裏を返せば、価値のないものしか提供できない企業は値上げを受け入れて貰えないし、値上げを受け入れて貰えなければ利益率は下がるし(結果として高い賃金も捻出できないし)、良い人材も集められないことを意味する。
結果として、良い企業は益々良くなるし、悪い企業は益々悪くなる(もしくは市場から退場させられる)。
こうやって市場が有効に機能するようになる。
良いものが評価され、そうでないものが駆逐される。
そして、それはきっとマネジメントにおいても同様である。
人材のデフレ化
僕は昔から成果主義が必要だと主張している。
もちろん、成果主義には問題も多い。
ただ、今までの評価制度と比べた場合、まだマシなのではないかと思っている。
というのも、経済におけるデフレと同じように、人材におけるデフレがこの何十年も続いていたように思うからである。
働いても働かなくても給料が変わらない状況。
権利だけを主張して、義務を履行しなくても黙認される状況。
それを変える為には、成果主義が必要なのである。
人材のインフレ化
でも、従前の成果主義はデフレ環境下での成果主義であって、それは「コストカット」的な意味合いが非常に強く、問題が大きかった。
ただ、現在は違う。
インフレ下である。
企業が成果を伸ばすために、成果を出せる社員を厚遇することができるようになったのが現在の環境である。
そういう意味では、人材のインフレ化が進んでいるとも言える。
雇った後が大事
そこで冒頭の初任給の話である。
繰り返すが、初任給が上がることは非常に望ましいことである。
でも、そこには当然ながら「成果を生むこと」が期待される。
もちろん、成果を生むための人材を取る為に、高い給与を出す必要がある、それは事実である。
ただ、大事なのはその後である。
その社員が、高い初任給に見合うだけの成果を出せるようにしなければならない。
今までのように、新人を大事に大事に育てることだけでなく、きちんと成果を求めていくことが必要になるのである。
いい仕事をする人に真っ当な対価を
権利だけを主張し、義務を履行しない大勢の社員と同じにならないよう、成果に焦点を当てて、評価をしていく必要があると僕は思っている。
そして、成果主義をきちんと機能させた結果として、その高い給与を失うリスクが高まり、皆がいい仕事をする方向に進むことを期待している。
大事なことは、真っ当な仕事をしているものが真っ当な評価を得、そこに真っ当な対価が支払われることである。
そういう意味においても、この賃金上昇の波は望ましいことである。
処遇を下げることは難しくても、上げることはそこまで難しくないだろうし、その結果、それなりの格差が生じることは仕方ないことだと受け入れられるはずだから。
そして、我々マネージャーもそれに見合うだけの仕事をしなければならないのは言うまでもない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
格差と平等と公平性。
そのような議論の中で、エセ平等に偏り過ぎているのが今の日本であるような気がしています。
僕が望むのは、正直者が馬鹿を見ることなく、まともに働いている人にまともな対価が支払われることです。
もちろん、そこにはそれなりの厳しさが伴うはずです。
でも、その方が健全なのでは?
僕はそのように考えています。
いい仕事をし、高い報酬(処遇)を得ていきましょう。