金太郎飴を作ってもしょうがなくね?
均質化した営業マンなんている?
若手の均質化。
そんなことを思う。
みな纏まりは良いけれど、突出したところがない。
ソツがないが、面白みもない。
これはいつ頃から始まったのだろうか?
もしくは当社だけの問題なのだろうか?
いつの頃からか、入社してくる若手の雰囲気が大きく変わったように思う。
それは僕が所属している営業という領域においても同様である。
営業という分野には、かつては色々なタイプの人間がいて、それはそれは本当に大変な状態であった。
特に若手なんてものは、まだ社会に揉まれていないし血気盛んでもあるので、それが大勢いると、本当に動物園のような状態であった。
それが今や。
とても静かである。
ただ、それって本当に良いことなのだろうか、というのが今日の話である。
金太郎飴のような、同じ顔をした営業マンが増えることに価値があるのだろうか?
ましてやこれからのAI時代に?
それでは始めていこう。
人間と話すことに価値がある時代
僕は「人間と話す」という価値が上がる時代がもうそこまで来ている(既に来ている?)と思っている。
大抵の業務はAI(もしくはbot)が行うようになるだろうし、それは営業という世界においても同様であろう。
機械の方が正確であるし、余計な感情の波も立たず、時間だって短縮できる。
僕も大抵の話はAIにやって貰った方がいいかなと思っているクチである。
ただ、ある程度のサービス、それこそ高級と言われるようなサービスにおいては、「人との対話」が求められるだろうと思うし、それは今以上に価値が上がるだろうと思っている。
もちろん、AI技術が発展を遂げ、我々がAIと話をしても人間と話をするような感覚に陥る状態になればそうではなくなるのかもしれないが、それまでは「やっぱり機械と話をしている」という感覚は残るだろうし、「人にサービスして欲しい」というニーズは消えないだろう。
となると、僕たちが生き残る為にはAIを越えるような営業ができなければならない訳だ。
感情労働の発展形
では、AIを越えるような営業とはどういうことを指すのだろうか?
僕はこれを「感情労働の発展形」だと捉えている。
感情労働とは、顧客の精神を特別な状態に導く為に、自分の感情を誘発または抑圧することを職務にする、精神と感情の協調が必要となる労働のことである。
これが出来るか出来ないかで、営業マン(ウーマン)の価値は変わってくる。
ニーズの「満たし方」が重要
もちろん、それは現在だって同様である。
営業をセールスもしくはRPGのサブクエストのように捉えている人は多いけれど、それは一面では正しいが、それだけではないというのが僕の考えである。
「あるニーズを解決する(満たす)」のはもちろん、営業という業務の核となるものではある。
でも、もう少し先には(というかその周りには)、それを「どのように満たすか」という項目がある。
そして、全体の印象を決めるのはどちらかというとその「どのように満たすか」という部分であることが多い。
付加価値の高いサービスとは?
これはホテルなどを想像して貰うとよくわかると思う。
素晴らしい客室やレストラン、フロントでの適切な対応、それらが備わっているのは高級ホテルにおいては当然のことである。
ただ、それでは差異は生じない。
どこの高級ホテルだって、その部分は外さないから。
そこから付加価値を生む為には、「ちょっとした配慮」によって「顧客の感情に触れる」ことが必要となる。
それは何も特別なことでなくていい。
顧客が気持ちよく過ごせるよう、ちょっとした気遣いを行うこと、それがそのホテル全体の印象を大きく良化させる。
予定調和と意外性
それは日本的な表現をするなら「おもてなし」に近いものと言えるかもしれない。
もちろん、AIによって、「この場面ではこう」「あの場面ではああ」というような場合分けがなされ、適切な出力がなされる、ということをは今後起こり得るだろう。
でも、それはある種「予定調和的」でもある。
それでは顧客体験を(大きく)向上させるのは難しい。
そこに求められるのは「意外性」なのだ。
そして、必ずしもそれが「フォーマル」や「ラグジュアル」に為される必要はない。
カジュアルに、何の気なしに行われることに意味があったりもするのである。
そういうことができる人がこれからの時代には求められるのだ。
だから、マニュアル人間というか、「Aというニーズがあった場合にはBと答えるのが正解!」と考えるような若手をたくさん作っても仕方がないのだと僕は思っている。
確かに大外しはしないだろう。
でも、それはAIに任せてしまえばいいのだ。
僕たち人間に必要なのは、それを越えることなのである。
AIの模倣を凌駕するような何かを
ちょっとした冗談や軽口のようなもの。
それだって、顧客の感情を大きく動かすことがある。
もちろん、AIはそれを模倣し続けるだろう。
そして、僕たち以上に上手にそれをやってのけるのかもしれない。
でも、その時にはそうじゃないやり方がまたその隙間に生まれるはずだ。
そのようないたちごっこをできる人を僕たちは育てていくべきなのではないか?
僕はそんなことを考えている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「コンサル会社の営業マンの提案はAIに似ている」
「でも勝敗を分けるのはそこじゃないんだよな」
僕が思うのはそんなことです。
素晴らしい提案というのは、予定調和的・予測可能なものを越えるものです。
その為には「お行儀の良さ」を抜ける必要があります。
概念自体への懐疑。
それができる人がたぶんこれからの時代には求められます。
感じの良い対話ならChatGPTで十分です。
それを陵駕する異質さを身に付けていきましょう。