公平からの卒業

UnsplashPang Yuhaoが撮影した写真

公平の尊さと馬鹿らしさ

公平にウンザリしている。

いや、確かに公平であることは望ましい

でも、公平が最優先になるとそれはそれでしんどくなる。

僕たちはいつから社会主義国に暮らすようになったんだ?

このような話をすると、平等という概念も一緒に付いてくる。

そして、平等はマズいけれど、公平は望ましいといったご意見も頂戴することになる。

平等とは、「全員に対して同じ対応をすること」である。

公平とは、「それぞれの状況に合わせて対応を変えること(結果、全員が同じ機会を確保できるようにすること)」である。

そうなのだ。

公平というのは、「どのような人も同じ機会を確保できるようにするべきだ」という思想である。

そして、僕はそれにウンザリしている。

同じ機会を確保すべきだということはわかる。

でも、同じ機会を確保すると、そこには競争が失われる。

というか、努力することが馬鹿らしくなる。

だって、それぞれの状況に合わせて対応を変えてくれるのだから(その結果、同じ景色が見られるようになるのだから)。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

格差は必要悪では?

差を付けようとすると、その差分を埋めようとする圧力を感じる。

それが最近の僕の状況である。

成果主義や実力主義を推し進めていくと、どうしたって個々人に格差は生じてしまう。

もちろん、その格差が許容可能なものであるかそうでないのかというところは注意して見ていかなければならないのは僕だってわかっている。

何もアメリカのように、極端な格差を生じさせる必要はないし、すべきでもない。

でも、それなりの格差というのは必要なのではないか?

それが例え必要悪というような性質のものだとしても。

僕はそのように考える。

公平と健全

これは僕が働いている営業という仕事においても同様である。

公平の概念というのは、例えばあるメンバーが新規顧客開拓に成功し、結果それなりの規模の顧客を担当することになった場合(他のメンバーとの顧客規模の格差が広がった場合)、その他のメンバーにその新規顧客の一部を渡したり、別の顧客をあてがうことでバランスを取ったりする、というようなことを意味する。

確かに公平だ。

でも、不健全だと僕は思う。

新規顧客開拓にはそれなりの(かなりの)体力がかかる。

そして、本人の実力やセンスが求められる。

それを経て自分の顧客が増え、チーム内でアンバランスになったとしても、それは努力の結果であり、むしろ望ましいことなのではないか?

その差分を埋めることは、その努力を否定することに繋がるのではないか?

僕はそのように思うのである。

税は言い過ぎかもしれないが…

これは資本主義社会における税の概念にも似ているかもしれない。

本人の才覚や努力(や運)によって、大きな成功を収めた者は、その分大きな税金を支払うことになる。

その税が貧しい人や不運だった人の社会保障として使われる。

もちろん、それ自体は望ましいことだし、必要なことだと思う。

でも、それが行き過ぎてしまい、成功してもその大半を税として取られ、他の人との差が殆どなくなってしまったらどうだろうか?

誰も努力などしなくなるのではないか?

確かに程度問題ではある。

ただ、あまりにも公平というものに重きを置きすぎると、社会はその活力(ダイナミズム)を失う。

そして、今僕はそのような公平が行き過ぎているように感じているのである。

正義には逆らえない

「皆同じでなければならない」

それは正義の声明であって、反論を許さない種類のものである、そのように感じる。

「不公平だ」

それに抗って、「不公平で何が悪いのか?」と発言すると、差別主義者のように扱われる。

繰り返すが、程度問題ではあると思う。

バランスが必要であることは言うまでもない。

でも、不公平さへの恐怖が強いあまり、公平さを強制的に担保してしまうことの恐ろしさについては疎かにされているように僕には思える。

正しさの思考停止

DEIもポリコレも、正し過ぎてぐうの音も出ない。

ただ、その正しさに胃もたれしてしまう感じなのだ。

というか、そのような正しさの思考停止によって、結局のところ差別的に捉えているのはそちら側なのではないか、とすら僕は思ってしまう。

何というか、公平を振りかざせば、それが罷り通るから、何でもかんでも「不公平だ!」とシュプレヒコールを上げるのがお得である、そのように考えられているように僕には思える。

金科玉条のような公平性。

それに簡単に折れてしまう現状。

「もう不公平でもよくね?」

それが僕の偽らざる本音である。

不健康では?

たくさんの働かない人たち。

権利だけを主張し、義務を負わない人たち。

その人達が主張する公平性の概念。

結果、正直者が馬鹿を見ることになる社会。

とても不健康だ。

公平の強制による不公正

でも、公平は大切な概念だろ?

公平こそが大事だろ?

まあわかるよ。

誰だって不公平よりは公平の方がいいもんな。

でも、そのような公平の強制が不公正に繋がっているのだとしたら?

格差も良くないが、公平もどうなん?

格差は良くない。

でも、公平も同じくらい良くないぜ?

変な話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

本文は強い言葉になりましたが、そこまで行かずとも、公平ばかりに重心を置きすぎるのはどうなのかなと僕は考えています。

というのも、それにより「公正さ」が失われていると思うからです。

平等も公平も大事ですが、公正さ(フェアネス)も大事です。

いつも書いていることで恐縮ですが、僕は正直者が馬鹿を見ない社会が望ましいと考えています。

まやかしの公平さに妥協せず、フェアネスを追求していきましょう。