中長期的な視点も必要
余裕のなさ
いつの頃からか、物事の視点が短期的になってきたように思う。
それも結構な角度で。
大事なのは自分の在任期間にどうなるかで、その後どうなろうが知ったこっちゃない、そのような態度。
それを露骨に出すかどうかは別として、多くの人の考え方がこのような方向にシフトしていったように感じている。
そこにあるのは余裕のなさなのかもしれない。
背に腹は代えられないというか、他人のことなど構っていられないというか、とにかく視点が下がり、目の前のことだけに囚われるようになった、そんな風に感じている。
そしてこのような傾向は、僕の仕事である営業の現場でもよく見られるようになってきた。
中長期的に大きく化けるものよりも、この決算期に売上として計上できるものが重要であるというような考え方。
それは必ずしも間違ってはいないけれど、それだけでは仕事は痩せ細っていくし、面白くはならない。
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
資本市場からの要請は理解できるが…
当社だけではなく、世の中の趨勢が短期志向になっているように感じている。
それは決算というか、資本市場というか、結果の求め方が短期的になってきたことが大きく関係しているのだろうとは思う。
でも、それによって、仕事の中身は小さくなり、得られる果実も小さくなった、そんなことを思う。
いつ成果になるのか?
もちろん、その決算期において結果を出すことの重要性は僕だって理解している。
ただ、あまりにもそちらの方に重心が偏り過ぎると、それはそれで問題なのではないかと思ってしまう。
大きな案件に繋がるような仕込みの動きは営業の現場においてはとても重要なのであるが、このような動きがいつの頃からか、露骨に歓迎されなくなったように感じている。
「それって、いつ成果になるの?」
そのような言動。
まだこの停滞を続ける?
僕は成果主義を標榜しているけれど、この成果というのは必ずしも短期的成果だけを意味しない、と思っている。
短期の成果も大事であるが、それだけではダメで、中長期的な大型案件も同時並行で進めていくことが大切なのである。
でも、中長期的な大型案件というのは、なかなか進捗が見えづらいのも事実で、空振りが続くなんてこともザラである。
ただ、そのような動きを許容しない限り、部下は大型案件に取り組もうとはしなくなり、結果として成果自体が瘦せ細ってしまうので、マネジメントを仕事にする者は、意識的にこういった動きを奨励する必要があると僕は考えている。
ただ、現状はそうはなっていない。
相変わらず、短期の目線ばかりである。
失われた30年をこれ以上長くしてどうするんだ?
切実に僕はそう思うのである。
成果主義とプロセス
では、部下を中長期的な大型案件に取り組ませる為にはどうしたらいいのだろうか?
これは成果主義者にはあるまじき行為かもしれないけれど、そのような行動をする者をそのプロセスをもって評価する必要があると考えている。
要は、世の中が短期目線になったのは、成果主義のせいなのである。
といっても、そこで言われる成果主義というのは僕が考えている成果主義とは微妙に異なったものではある。
でも、成果主義のそのような捉え方は、むしろ一般的ではある。
被評価期間内の成果の最大化。
そこに集中すること。
それは本来的な行為ではないものの、成果主義というものがそのように矮小化されているのは事実だろう。
それを打破する為には、プロセスでの評価を補完するしかない。
中長期的大型案件の評価は難しい
ただ、中長期的な大型案件というのは、何をもってその信憑性が高いのかそうでないのか、が判然としないものでもある。
何らかの芽が出ていればいいけれど、それ以前の段階のものをどうやって評価するのか?
見極めを行うのか?
それは結構難しい問題ではある。
となると、その進捗度によって評価するというのが現実的な落としどころなのかなと思っている。
何らかの大型案件に取り組み、それが今どの段階にあるのか、そこに到達する為にどのような行動を取ったのか、それを包括的に評価すること。
それが成果主義に中長期的な視点を組み込む方法なのだろうと考えている。
20%ルール
もちろん、評価のウエイトは成果の側に大きく傾けるべきだ。
ただ、そうは言っても、そこだけに囚われてしまうと皆が短期的な動きになってしまい、成果の極大化が妨げられてしまう。
そういう意味でも、以前書いたように、20%ルール(僕は10%くらいが適正だと考えているが)を導入し、強制的にそのようなプロセスを仕事の中に組み込んでしまう、というのは有用であると思うのだ。
成果を求めすぎると、物事は近視眼的になる。
それを打破する為に、プロセス評価も導入する。
何だか、ちょっとおかしな話であるように思える。
でも、そのような制度設計をしないと、この行き過ぎた短期志向は変えられないようにも思うのだ。
スケール
物事にはスケールが大事だ。
スケールが大きい状態で短期の成果を求めるのはいいけれど、小さいまま短期の成果を求めるのはちょっと違う。
ただ、そのような考えさえ持つ者が少なくなってしまったのが現代という時代なのかもしれない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
小粒。
小物。
それが令和という時代なのかもしれません。
大型案件や大物の不在性を僕は感じます。
でも、そんなことを感じている人はあまり多くないような気もしています。
つまらない国になってしまった。
途轍もなく偉そうですが、そんなことさえ思ってしまいます。
そんな中でも、せめて僕は大きなことを評価していきたいと思っています。
各地でのゲリラ戦をよろしくお願い致します。