権利をどこまで尊重すべきか?

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ルールの範囲内での不平等

権利が拡大し、義務が縮小している。

そんな傾向がずっと続いている。

その中で、僕たちはマネジメントという仕事をやらなければならない。

確かにこれは罰ゲームだ。

人員が逼迫し、権利意識が向上する中で、彼(彼女)らの権利を尊重すべきだし、尊重しなければならない、というのはよくわかる。

でも、一方で、それでいいのだろうかということも考えずにはいられない。

というのも、誰かの権利を尊重すると、誰かがその分の義務を履行しなければならなくなるからだ。

そして、これがある程度均等に分配されているのであればいいのだけれど、そうではなく、ある者は頻繁に権利を行使し、ある者はその分頻繁に義務を履行しなくてはならない状況があるなら、それはやはり是正する必要があるように思う。

ただ、一方で、その権利の行使がルールを逸脱している訳ではないのも事実だ。

ルールの範囲内での不平等。

それを僕たちマネージャーはどこまで看過(是認)すべきなのだろうか?

答えは出なさそうだけれど、今日はそんな話をしていこうと思っている。

全員の権利を認めたら、職場が成り立たなくなるという問題

労働者の権利。

休暇の取得や、規定労働時間内の労働。

それは認められるべきだ。

それが大前提ではある。

でも、もし全員が同じような行動を取るのであれば、職場が成り立たなくなる。

ここに問題があるような気がしている。

状況は様々

本来であれば、全員が同じような権利を主張をしたとしても成り立つような制度設計をしなければならないのだろう。

ただ、現実はそうではない。

ある者はたくさん休暇を取得し、またある者は着実に定時退社を行う。

一方で、ある者は休暇がなかなか取得できず、残業が続いていたりもする。

短時間勤務者の穴を誰が埋めるのか?

ここには、短時間勤務者の問題も乗っかってくる。

なかなかタッチ―な話ではあるけれど、産休や育休からの復職者は時短勤務を選ぶことが多く、特に営業の仕事であれば、出社前と退勤後の顧客対応を完全に無くすことは現実的には不可能だ。

となると、その短時間勤務者の穴を誰かが埋めなければならない。

義務のボランティア化

これは短時間勤務者を非難したいから言っている訳ではない。

ただ、事実として、誰かがその仕事を請け負っているということを言いたいだけである。

それによって、図らずも義務の履行が発生している。

でもだからと言って、そこにプラスαの対価が支払われる訳ではない。

義務のボランティア化。

そこに問題があるような気がしている。

マネージャーの力がないからそうなっている?

個人的な思いとして、働き方の多様化は大賛成だ。

昭和時代のように、会社に対して極端に従順である必要はないと僕は思っている。

というか、むしろ僕は自由に働くべきだとさえ思っている。

でも、マネージャーとしてそれを差配するのは中々困難であることも事実である。

労働者の権利は尊重しなければならない。

しかし、業務は依然としてそこにある。

実態は概念まで追いついていない。

それはマネジメント不全が原因なのだろうか?

義務履行者への対価の増額

僕は「義務履行者への対価の増額」というのが現実的な解なのかなと思っている。

権利の主張に対して、僕たちが抗う術はないから(それはハラスメントだと一蹴されるだけだろう)。

でも、義務を履行する者に対して、今よりも報いることは可能であるはずだ。

その「対価」というのが、給与なのか賞与なのか、もしくは昇格なのか、それ以外のものなのか、それは判然とはしない。

ただ、何らかの対価は必要であるように思える。

それは義務のボランティア化から脱する一助になるはずだ。

好き放題を諫めるのはマネージャーの仕事なのだろうか?

もちろん、我々マネージャーは、全員が平等に権利を行使できるように目を配るべきだし、そのような職場運営をすべきであるというのは大前提だ。

そこでの議論をしたい訳ではない。

ただ、現実問題として、それは中々難しいのではないかとも思っている。

人手がどんどんと少なくなる中で、各人が権利の主張を方々で行いだしている。

結果、職場は「何でもあり」の状態に近づいている。

大きな言葉で言うなら、ある種の「モラルの崩壊」。

それをどうにかするのは、我々マネージャーの仕事なのだろうか?

僕にはよくわからない。

権利と義務は表裏一体

いつも言うことであるが、僕は正直者が馬鹿を見ることがない世界を望んでいる。

それは職場においても同様である。

権利を主張するのもOK。

でも、その裏側には黙々と義務を履行してくれる者がいることを忘れてはならないように思う。

また、それに甘えてはいけないのだと思う。

義務履行者を評価したい

権利の尊重は際限がない。

それが主張された時、僕たちに抗う術はない。

しかし、だからと言って、それだけでもない

少なくとも、僕は義務を履行する者を評価したいと思っている。

それはある意味では時代錯誤なのかもしれない。

評価は成果に基づくものであるべきだが…

「評価というのはあくまでも成果に基づいて為されるべきだ」

その主張に僕は100%賛成である。

でもさ、というのが今日の話である。

「そのような考え方は昭和への逆行を志向するものなのでは?」

そのきらいがないこともないだろう。

ただ、そんなに簡単に割り切れるものでもないような気がするのである。

予想通り答えの出ない話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

権利の主張と義務の履行。

権利主張者の方が圧倒的に優勢です。

そのバランスを取るべく、義務履行者をもう少し評価すべきなのでは?

僕が言いたいのはそういうことです。

少なくとも、チームには義務を履行する者が必要ですし、そう主張することは時代錯誤ではないような気がしています。

難しい話ではありますが、また読んで頂けたら幸いです。