べき論と老害の境目ってどこだ?

UnsplashBeth Macdonaldが撮影した写真

老害にならない為に

タイトルのようなことをこのところ考えている。

というのも、自分が老害と言われるような年齢に差し掛かってきたからである。

そして、実際に仕事をしていても、「この人の言っていることって間違ってはいないけれど、ちょっと老害臭いなあ…」と思う時があるからである。

人の振り見て我が振り直せ。

そんなことを思う。

でも、一方で、若者に迎合するのもまた違うとも思っている。

少なくとも、彼(彼女)らの行動には問題点が多々ある。

それを指摘することは、老害に直結する訳ではなさそうだ。

となると、あるべき論と老害の境目を狙っていくのが僕のこれからの行動軸になっていくはずである。

今日はそんな話だ。

それでは始めていこう。

おまいう状態

結論から言うと、「話者の問題なのでは?」ということを思う。

同じことを言ったとしても、すんなり受け止めて貰える人そうでない人がいる。

これはべき論とか老害とかそういうことに限らず、何にでも当てはまることだ。

要は「おまいう状態」にならなければいいだけである。

あれ?

答えが出てしまったような気がする。

でも、流石にこれだけだと折角書き始めた意味がないので、ではおまいう状態にならないようにするためにはどうしたらいいのか、ということを以下書いていこうと思う。

そこにもしかしたら「境目」があるかもしれないから。

言行一致は大事だが…

さて。

おまいう状態とはどういう状態か?

これは「お前が言うな」を省略したネットスラングで、言動と行動が一致していない人、それを言う資格がない人に対するツッコミの言葉である。

ということは、結局のところ、言行一致をさせるということが大事であるといういつもの話に舞い戻ってくることになる。

ただ、では言行一致していれば老害にならないかと言われると、そうでもないような気がしてきた。

言行一致していても、老害になる人はいる。

となると、老害にならないようにする為には、おまいう状態(言行一致ではない人)にならないだけではなく、何か別の要素が必要になってくるということを意味する訳だ。

べき論の老害性

また、ここまで書いてきて思うのは、べき論というのもまた老害的要素を含むのではないか、ということである。

もしかしたら問いの立て方がおかしかったのかもしれない。

べき論というのはどちらかというとネガティブな要素を含む言葉であり、そこには老害との親和性があるような気がしてきた。

ただ一方で、「こうあるべきである」という理想形の要素(ポジティブな要素)を含むのも事実だろうと思うので、本稿では後者の意味で捉えながら読んで頂けるとありがたいと考えている。

価値観が固定化していないこと

さて。

本題に戻る。

何か別の要素が必要になるのではないか、という話であった。

それは「話を聞く」ということなのではないか、ということを思う。

また、アップデートすることなのではないか、ということを思う。

要は、価値観が固定化していないこと(流動化していること)が大事なように思うのだ。

可変性

「自分からのメッセージにより、相手が変わり得る可能性を感じられるなら、その人は老害認定されない」

それがべき論と老害の境目であるように思う。

でも、価値観が固定化されており、自分が話をしたとしても没交渉に終わることが明白であるなら、その人は老害とされる。

そこで話されることが如何に正しくても、老害となってしまう。

キーワードは可変性だ。

普段から言行一致している人であるが、可変性も備えていること。

これが老害とは程遠い人なのではないか?

となると、老害にならない為には、一貫性と柔軟性の両方が求められるという、まあ当たり前の話になってくる訳だ。

でも、歳を重ねてくると、これを担保するのが難しいのも事実である。

おじさん(おばさん)達を見ていると、これができない人ばかりであるから。

絶妙なバランス

頑固過ぎてもいけないし、コロコロ変わり過ぎてもいけない。

自己を持っていながらも、開放性もなくてはならない。

大義はあるものの、理想論過ぎてもいけない。

そのような絶妙なバランス。

それを追求していくことが僕のこれからの仕事になるのだろう。

ストイック性はプレッシャーを与える

言うべきことを言いながらも煙たがられないというのは、かなり難しいことである。

それはどうしたって上から目線的な要素を帯びる。

ある種のストイックさは、他者を委縮させ、プレッシャーを与える。

でも、だからと言って、ふにゃふにゃし過ぎていてもいけない。

独りよがりになってはいけないけれど、迎合するのもまた違う。

原点回帰

「結局は人間性」

このブログの初期に僕が痛感したことが、ここでもまた顔を出してくる。

「この人に言われるなら仕方がないよな」

そう思えるような仕事をしていくこと。

そのような原点回帰。

まあ当然と言えば当然の帰着。

それを地道にやっていくしかないように思う。

ナロウな隘路

たくさんの老害たちだって、なりたくてなっている訳ではないことは痛いくらいよくわかる。

でも、たぶん、普通に働いているだけでは、どうしたって老害認定されてしまう。

そうならない為に、狭い通路を選んで進んで行くしかないのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

遠慮しながらも、言うべきことは言わなければならない。

でも、ちょっと間違えたら、老害認定されたり、パワハラ認定される時代。

生きづらい世の中。

でも、不可能でもないのでは?

そんなことを思います。

狭い通路。

もしかしたら行き止まり。

ただ、そこを進むしかないとも感じています。

適切に嫌われていきましょう。