努力してもどうにもならないことはある
最善を尽くすべきであるが、限界もある
マネージャーになって10年。
その間複数のチームのマネジメントを行ってきた。
そして今思う。
「結局のところ、そこにいるメンバーの質じゃね?」と。
身も蓋もない話であるが、メンバーの質が高ければ、マネジメントの難易度は下がる。
逆に、メンバーの質が低ければ、マネジメントの難易度は上がる。
このブログには色々なことを書いているけれど、そんなことは些末なことであり、大事なのは質の高いメンバーを集めることなのではないか?
そんな風に思ってしまう。
でも、これは裏を返せば、マネージャーの努力ではどうにもならないことはあるし、それを気にしても仕方がないよ(気にし過ぎないでいいよ)という励ましのメッセージにもなるように思う。
最善は尽くすべきであるが、限界もある。
今日はそんな当たり前の話だ。
それでは始めていこう。
相対的に良い方法が存在するだけ
マネジメントに関する相談を時折受ける。
その度に思うのは、そこにいるメンバーの質がどの程度かによって、取るべきマネジメントの方向性が大きく変わる、ということである。
メンバーの質が低ければ低いなりのマネジメントが、高ければ高いなりのマネジメントが求められる。
それがチグハグではいけない。
絶対解は存在せず、あくまで相対的に良いものが存在するだけである。
そして、我々マネージャーがすべきことは、そこにいるメンバーの能力を最大限引き出すべく、環境構築や制度構築を行うことである。
ここまでが努力の範囲である。
でも、この先はちょっと違う。
その努力をもってしても、どうにもならないことはある。
それを認めること。
それがマネジメントという仕事を続ける上では大事なのかなと思っている。
反省してもチームが良くなる訳ではない
でも、マネジメントが上手くいっていない時ほど、この努力とその先の区別が付けられず、必要以上に自分を責めてしまったりする。
もちろん、反省すべきところは反省すべきだし、改善すべきところは改善すべきだ。
ただ、それも程度問題であって、反省すればするほどチームが良くなる訳ではないし、それは改善も然りである。
チームの成熟度合いやそこにいるメンバー達の特徴によって、適切な手法は異なる。
そういう意味では、外野からの意見というのは参考程度に聞いておくのが良いと言えるのかもしれない。
たくさんのご意見番たちがとても素晴らしいことを言って下さるけれど、それらを全て有難く拝聴すべきかというと、そんなこともないと僕は思っている。
程々に聞き流して、目の前の状況に集中した方がいい。
失礼ではあるが、そんなことすら思ってしまうのだ。
努力とそれ以上とマネジメントと人事
何年もマネジメントという仕事をやってきて、マネジメントと人事は分けて考える必要があるのではないか、ということを思う。
というのも、チームの状況を改善する手法として、マネジメントでどうにかなる部分と、人事でしかどうにかならないことは確実にあって、それがどうにも一緒くたにされているように感じるからである。
今日の話をもう少し具体化するなら、そういうことになるのかもしれない。
努力の部分はマネジメント。
それ以上の部分は人事。
それらをどちらも担おうとするから無理が生じるのだ。
できることはある。でも、できないこともそれなりに多くある。
もちろん、これは人事的要素を完全に諦めろということを意味しない。
人事的領域においても、マネジメントにできることは確かにある。
そこでの努力は続けるべきだ。
でも、できないこともある。
それも、それなりに多くある。
それはマネジメントを仕事とする者であればしっかりと認識すべきだし、会社としてももう少し意識を向ける必要があるのではないかと思うのだ。
人事施策等の改善によって、もう少し僕たちは働き易くなるはず
人事制度を含めた会社の施策によって、個人個人のモチベーションを変えることは可能であると僕は思っている。
そして、個人個人のモチベーションの低さやデモラルのような部分が、マネジメントの困難性を助長している部分は多分にあると僕は考えている。
そのケアがなくなれば、というか、今よりも少なくなれば、マネジメントという仕事の罰ゲーム的割合は今よりも少なくなるように思う。
価値観の多様性は尊重すべきだし
僕は冷たい人間なので、その人が前向きに働くかどうかを決めるのはその人の問題であると考えてしまう。
もちろん、マネージャーとしてやるべきことはやるべきだ。
ただ、それ以上のことはそれ以上のことである。
その人の価値観があり、人生観がある。
それまでも変えなければならない、変えるべきだ、というのは傲慢ではないか?
そんな風に思うのだ。
マネージャーだけの責任? そんなことないぜ?
でも、このような話は現場において当たり前のように話される。
確かに言わんとしていることはわからなくはない。
ただ、子供ではないのだし、働く理由や意味なんてものは、自分で何とか見つけていくしかないのでは? とも思うのである。
そのような制度設計もせず、それを現場のマネージャーにだけ押し付けるのはどうにもお門違いであるように僕には思えてしまう。
背負い過ぎるなよ?
繰り返すが、最善は尽くす。
でも、できないことは確実にある。
それを必要以上に背負う必要はないのだ。
何だかまとまりのない話になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
適度な諦め。
それがマネジメントには必要です。
もちろん、最大限の努力はすべきですが、それ以上のことはそれ以上のことです。
適切に荷物を降ろしていきましょう。