上手くいっていない人たちが評価する仕組みへの違和感
停滞続きの現状
日本経済は停滞を続けている。
その中で僕が務めている会社は更に停滞を続けている。
かつてライバルと言われていた会社はその中でも成長を続け、こちらからライバルと言ってはおこがましいくらいの差が付いてしまったのが現在地点である。
でも、社内では成長に向けた何か新しいことが行われている訳でもなく、同じような経営陣が同じような話をし、同じような停滞が続いている。
もちろん、彼(彼女)らは、勇ましいことを言ってはいる。
常に「改革」や「変革」といった成長に向けた取り組みを行っており、当社は力強く成長を続けているのだ!という主張。
その結果、どんどんと離れていく背中。
経営が上手くいっていないのでは?
僕はそんなことを思ってしまう。
そして、そのような人たちが人事評価を行っている。
結果、似たような人たちが経営権を握り、停滞が継続する。
そろそろそこを直視しなければならないのではないか?
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
失われた30年
似たような人材の再生産。
その結果訪れる停滞の継続。
そんなことを思う。
これは当社に限らず、日本社会全体にも言えることなのかもしれない。
既得権益とまでは言わずとも、自分たちと似たような人たちを評価することによって、同じ種類の人間が中枢に居座り、結果停滞が続いている状況。
もちろん、こんなことは世の常というか、日本に限らずとも世界中で見られる現象なのかもしれない。
でも、もう少し危機感というか、現実的な視点というか、そのようなものがあるような気がするのだ。
残念ながら、日本には(そして当社には)それがない。
結果としての失われた30年。
「それでいいの?」と僕は思う。
自己修正の有無
僕は成果主義を標榜している。
そこには成果を評価することによる自浄作用というか、自己修正フィードバックが内在していると思っていて、そのようなチェック機能によって、物事の状態が客観的にわかり、自然と新陳代謝が行われていくのではないか、という考えがある。
もちろん、物事には良い面と悪い面があり、成果主義にも問題は多分にあるだろう。
でも、大事なことはそこで対話が行われるような環境があり、そこで自己修復が行われていくことだと僕は考えている。
間違いは誰にでもあることだし、それは組織だって同様だ。
ただ、自己修正が可能であれば、少しずつかもしれないけれど、物事は改善していくはずだ。
それが科学なのではないか?
僕はそのように思う。
客観的な視点
もちろん、科学にも間違いは存在する。
過去、そのような間違えた科学によって、たくさんの不幸が生まれたことも事実である。
でも、科学はその間違いを認め得るような環境がある。
査読のような、たくさんの専門家たちの目線が入り、時間と共にその間違いが炙り出されるような仕組みが内在されている(まあAI査読などが近年問題になってはいるが…)。
それこそが大事だと思うのだ。
自己修正フィードバック機構はどこに?
翻って、当社(と日本社会)。
そのような自己修正フィードバック機構は存在するだろうか?
僕にはこれがよくわからない。
不明確な現在地
もちろん、経営が間違えるということは大いにあり得るだろう。
それによって時に会社が停滞してしまう、そのような事態は起こり得るし、別におかしなことではない。
でも、自浄作用というか、自己修復プログラムのようなものがあれば、自然と間違いは修正されて行き、徐々に良い方向に向かって行くはずなのである。
そこには当然ながら、査読的な評価システムが必要となる。
事実を事実として直視するというか、客観的な評価基準を基に判断するというか、そのような外部の専門的な視点がある。
それによって正確な現在地がわかる。
というか、正確な現在地がわからなければ、次に進むべき方向性などわからないはずである。
でも、そのようなことが行われているようには僕には思えない。
間違えた人たちが間違えた人を評価し、間違えた経営が継続される。
それを変える術を僕たちは持たない。
そこに大きな問題があるような気がしている。
閉じた系と開いた系
フィードバック・ループ。
それが閉じた系で行われているのか、開いた系で行われているのかによって、自己修復プロセスは大きく変わっていく。
閉じた系で行われるフィードバック・ループは、全体主義や排外主義に繋がり得る。
自分と違う意見を持つ者を排除していくことで、権力の安定化を図る。
それは古今東西どこでも見られる現象である。
でも、その末路は誰だって知っているだろう?
フィルターバブルとエコーチェンバー。
人事評価だって、そのような傾向があるのではないか?
そこに適応していくことは本当に正しいことなのだろうか?
僕にはよくわからない。
厳しい自己評価を
一回自分の通信簿を付けてみようぜ?
その評価を自分だけでなく、外部の他者にもお願いしてみようぜ?
これは別に間違ったことを糾弾したい訳じゃないんだ。
ただ、厳しい現実に向き合って欲しいだけなんだ。
それだけで未来は変わっていくし、変わっていく可能性を持つことができるから。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
自己修正フィードバックの不存在。
それが日本社会のガンなのかなと考えています。
これはわかり易く言い換えるなら、「カイゼンがないこと」ということなのかもしれません。
成果を直視せず、「我々は成功を続けている!」と絶叫するのは、戦中の正にソレです。
成果と向き合い、客観的な立ち位置を見定めていきましょう。