研修以外の方法はないのだろうか?

UnsplashMarija Zaricが撮影した写真

高いカネと低い効果

何かと言えば、研修・研修。

そのことにウンザリとしている。

理想と現実が乖離しており、何かを身に付けなければならない時、最善の方法は研修なのだろうか?

もちろん、これ以外の方法がない、ということは簡単に想像し得る。

会社側が取れる方法は他になさそう、それも理解できる。

でも、外部企業に(たぶん)高いカネを払ってまでやることなのだろうか?

僕には甚だ疑問である。

そして、この問題は部下を効果的に育成する為にはどうしたらいいのだろうか、という考えに繋がっていく。

部下育成に悩むマネージャーは多い。

また、そこに絶対的な解がある訳でもなさそうだ。

今日はそんな研修以外の育成手法について書いていこうと思っている。

それでは始めていこう。

研修が為になったことってある?

座学。

リアルかリモートかという差はあれど、会社における「育成」となると、(OJTを除けば)大抵は座学による研修が中心である。

もちろん、座学と言っても、その中に能動性を埋め込むことで積極的な参加を促すという形はよくある。

でも、僕自身もそうであるが、その効果を感じたことはあまりない。

しかしながら、この形はずっと続いている。

費用対効果を考えれば、明らかにマイナスであるはずなのに、昔から変わらないままだ。

教育のテンプレ

「いやいや、そんなこと言ったら、学校教育だって同じでは?」

そんな声が聞こえてくる。

確かにそうなのだ。

1人の教師がいて、たくさんの生徒がいる。

生徒は教師の話を聞き、ノートを取る。

これが教育というものである。

そのような考え方。

まあ、きっと間違ってはいないのだろう。

でも、学校教育と社会人の研修はちょっと違うような気がしている。

学校教育との違い

というのは、社会人の研修においては、実際的な業務がすぐそこにあって、それを習得することが目的であるのに対し、学校教育は必ずしもそうではないからである。

学校教育においては、実際にその科目を学ぶだけでなく、「脳を作る」ということもその中には含まれているような気がする。

ましてや、そもそもの時間軸が違う。

そこから考えると、社会人の研修というのはもう少し改善の余地があるように思う。

OJTが最適。でも…

ここまでOJTの議論を意図的に避けて話を進めてきた。

そうなのだ。

「社会人が新しいことを学ぶにはOJTが最適(というかこれ以外にない)」というのはたぶん事実だろう。

でも、僕が懸念しているのは、「教えられる人が近くにいればいいけれど、そうでない場合にはこれは実現不可能である」ということだ。

職場内において、ある程度の人数がその業務に精通しているのであれば構わない。

その人たちがそうでない人たちを教えればいいだろう。

ただそうでない場合教えられる人がそもそも少ない(もしくはいない)が、その業務を早急に習得しなければならない場合(例えば新しい分野の仕事やニッチな分野の仕事)、OJTというのは現実的に不可能である。

その場合どうしたらいいのだろうか?

やってみるしかない

ここで自分のことを振り返る。

僕は若手時代誰もやっていなかった領域の業務をやることになった。

職場には知見があまりなく、研修なんてものも当然なかった。

となると、自分でとりあえずやってみるしかないのである。

幸運なことに、社内にはその分野に精通した人がいて、その人とやり取りをしながら体当たりで仕事を進めていった、それが実態である。

でも、そのような七転八倒を経て、僕は段々とその分野の仕事についての勘所がわかるようになっていった。

それを敷衍すると(一般化していいのか疑問は残るが)、なんだかんだ言っても実務をやってみるしかないのではないか、ということに行き着いてしまう。

コスパの低さ

そういう意味においては、研修というのは、その実務の助走というか序奏というか、「この仕事はこういうものですよ」という概略を知る上では、一部有用だと言えるのかもしれない。

何もないまっさらな状態ではなく、多少なりとも知識がある方が仕事が進めやすい、それは事実だろう。

ただ、あまりにも費用対効果が悪いような気もする。

となると、同じような仕事をする人がその環境で教え合うというのが現実的なところであるような気がする。

コミュニティが現実的な解?

これはプログラミング界隈におけるウェブ・コミュニティみたいなイメージだ。

ネットにも載っていないことであっても、同じようなことを経験している者同士が話をすれば、往々にして解決に繋がることがある。

皆同じような悩みを抱えながらやっているので話も早いし、そのコミュニティ自体のスキルも上がっていく。

となると、社内においても疑似的にそのようなコミュニティを立ち上げることが効果的な部下育成の端緒となるのではないか?

1対多数の研修はもういらないのでは?

もちろん、完全に誰の知見もない分野となるとそれは難しいのかもしれないけれど、少数でもそのような人材がいるなら、その人たちを中心としたコミュニティを立ち上げ、その中でやり取りを続けていく。

それが現実的な解なのかなと思っている。

少なくとも、1対多数の研修というのは時代遅れな気がするのだけれど、どうなのだろうか。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

結局のところ、喫緊性と好奇心の問題では?

そんなことを考えてしまうことがあります。

好奇心があれば、自ずと学ぶ人は学んでいきます。

喫緊性があれば、学ばざるを得ません。

それだけのことでは?

というか、そういう人をもう少しポジティブに遇するべきでは?

平等の思想から脱し、伸びようとする人を伸ばしていきましょう。