可変的マネジメントのすゝめ

UnsplashJon Tysonが撮影した写真

変わり得る可能性が内在していること

「マネジメントは動的であるべきだ」

そのように僕は考えている。

動的であるというのは、そこに可変性を具備していることを意味する。

マネジメントの方向性は変わったっていいし、むしろ変わっていくことが奨励されたっていい。

大事なのは、「変わり得る可能性を内在しているか否か」である。

これは現在のマネジメント(の大半)が静的であることに対するアンチテーゼである。

多くのマネジメントは固定的であり、そこに変化の可能性を見出せない。

決まったことを決まった通りにやることが推奨される。

また、そこにあるのは上意下達の思想である。

「マネージャーの仕事は、上からの指示命令を的確に部下に伝え、できるだけ指示命令に沿った行動を促すことである」

これだけでは完全に間違っているとは言えないと思うし、むしろ業務内容としては正しいとすら言えるかもしれない。

でも、もしそこに可変性がないなら、良い成果をもたらす可能性は低くなるだろう。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

一貫性の種類

朝令暮改。

物事が変わっていくことは、それもすぐに変わっていくことは、どちらかというとネガティブなことと捉えられがちだ。

「物事には一貫性があるべきだ」

その主張に基本的には僕は賛成である。

でも、一貫性にも種類がある。

硬直的な一貫性であれば、それが望ましいものだとは言えないことは明白だろう?

今日言いたいのはそういうことである。

一貫性と可変性

筋は通すべきだ。

でも、そこには変化の可能性があることも必要である。

この両義性を備えたものが良いマネジメントなのではないか?

最近はそのように考えている。

対話とそれによるマネジメントの変化

僕はマネジメントの基本に対話があると思っている。

対話というのは、それぞれが同じ地平に立ち、ある事柄について対等な関係で話をすることである。

もちろん、話者それぞれに価値観や考え方はあるだろうし、それをねじ伏せようとする必要はない(そういう意味では「論破」とは大きく方向性が違う)。

先程の文脈で言うなら、一貫性はその場に持ち込んでよい。

でも、だからと言って、そこに変化の可能性がないわけではない。

対話の中で、「確かに言っていることに一理あるな」と思えば、柔軟にその考えを変化させていけばいいのだ。

これが僕が考える可変的マネジメントである。

部下との対話の中で、マネジメントの方向性が変わっていくこと。

それもそれぞれのメンバーが持ち寄った価値観や考え方によって、その方向性が(ある種)左右されていくこと。

このような姿勢が、部下の能力を引き出し、成果を上げる為には必要なのである。

価値観は尊重する。でも成果では比べましょう?

ただ、これは外部から見ると、「ブレている」という感想を時に持たれることに繋がるようだ。

部下との話により、マネジメントの方向性が変わることをネガティブに捉える人も一定数存在する。

「言うことをきかせるのがマネジメントである」と、そのような人はそう考える。

僕からすれば、それも1つの価値観であり、別に否定しようとは思わない。

でも、成果という軸ではきちんと比べるべきだし、もし成果が出ないのであれば、そのような考え方を変えてもいいのではないか、とは思う。

少なくとも、感情論べき論で(それも内輪だけで)、判断すべき事項ではないように思うのだ。

可変性とリスクテイク

「良いものは取り入れればいい」

それが僕の根底にある考え方である。

書いてみると、非常に当たり前のように響く。

でも、実際問題として、これをマネジメントに適用している人はそこまで多くないような気がしている。

そこにあるのはリスク回避の思考である。

仮に良いものだと思ったとしても、そこに前例がないなら、取り入れない人が大半だ。

そういう意味では、可変性というのはリスクを取ることと言えなくもないのだろう。

気軽なピボット

マネージャーにリスクを取る覚悟があれば、チームはポジティブな方向に行く可能性が高まる。

前例にないものであったとしても、それが良いと判断できるのであれば、リスクを取り、それを実行すればいいのだ。

そのような姿勢がマネジメントを柔軟にする。

もっと言えば、良いと判断し、実際にやってみた後で、「やっぱり少し違うかも…」と感じたのであれば、素直に失敗を認め、方向転換すればいいのである。

そこに恥の意識はいらない。

気軽にピボットすればいいのだ。

アジャイルなんて普通でしょ?

でも、それが出来る人は多くない。

というのは、失敗を認めると、マネージャーとしての威厳が保てず、冒頭にも書いたように部下に言うことをきかせられなくなるのではないかと思っているからである。

そんなことはない。

プロセスを開示し、自分はこのように考えた上でこれを実行すると表明する。

実行した後でそれを検証し、仮に上手くいかなかったのであれば、その要因を分析し、素直に認める。

何も難しいことではない。

そして、それはネガティブなことではなく、むしろポジティブなことなのである。

この現代において、アジャイル的な動きを否定する人などいないだろう?

マネジメントだってそれと同じなのである。

マネジメントに可変性を。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

部下と対話を行っていると、それも定期的に行っていると、自分も部下も考え方が変わっていくことに気づきます。

というか、そのような継続性の中にこそマネジメントがあるような気がしています。

何か確固たるものではなく、ある種揺らいでいくもの。

そして、それが必ずもネガティブだとは限らないこと。

そのような可変性がマネジメントを柔軟かつ強いものにしていくように思います。

しなやかなマネジメントを行っていきましょう。