仕事への向き合い方への違和感
世を憂うおじさん
今日はおじさんによるおじさんめいた話だ。
というのも、仕事に対する向き合い方について何だかモヤモヤしていて、それを書かずにはいられなかったからである。
僕自身がワーカホリック気味なのは置いておいても、昨今の仕事に対する熱量の低さについて僕は疑問を感じている。
それこそ「我が国は大丈夫なのか?」なんて維新の頃の武士のような気持ちを抱いてしまっている(維新の頃の武士がそのような気持ちだったかどうか僕は知らない)。
昇進とか昇格とかそういうものを考えずとも、仕事が楽しいか否かというのはこれから職業人人生を続けていく上で大事な要素であると僕は考えている。
もちろん、ベースとしての仕事は楽しくはない。
でも、そこに何とか楽しみを見つけようと努力することは大事なのではないかと僕は思う。
残念ながら、仕事の楽しさは所与のものではない。
自分で何とか見つけていくしかないものだ(それはそれで問題だとは思うが)。
それなのに、仕事は仕事として、それをハナから諦めてやり過ごす時間として受け止めている感覚が僕にはよくわからない。
確かにそのような態度は、自分への失望感を幾分か緩和してくれるものではあると思う。
斜めに構えることで、ダメージを最小限に抑えたい、その気持ちはわからなくはない。
でもさ、というのが今日の話である。
それでは始めていこう。
賢しらな態度
「仕事とはそこにあるもので、それに対して気持ちを込めようなんてことは考えもしない」
そんな態度の人が増えたように思う(特に若手に)。
これはハナから諦めた態度である。
仕事というのものに希望を抱くなんてことが虚しいことで、そんなことを懸命にやろうとしている意味がわからない、それをひしひしと感じる。
それはある種正しい態度なのかもしれない。
無駄なことに意識を注ぐことほど意味のないことはないから。
でも、そのような賢しらな態度は、一方で限界を規定しているようにも僕には思えてしまう。
気持ちも考え方もよくわかる。
でも、それではつまらないのでは?
そんな風に思ってしまうのだ。
ワークライフバランス?
「仕事はその内実として楽しいものである」
それは考え方として楽観的過ぎると僕は思う。
「仕事はどちらかというと苦役サイドのものであって、楽しさなんてものは自分で無理やり探していくしかない」
それが僕の基本的なスタンスではある。
でも、だからと言って、ハナから諦めてしまうのもどうなのかとも思ってしまう。
「給料を得るためにやむなくやるものだ」
「その時間だけ耐えて、余暇を自由に謳歌することが大事だ」
まあ言わんとしていることはわからなくはない。
でも、それだけだと味気ない。
というか、折角なら人生の大半の時間を消費する仕事というものをもう少し楽しむべく努力をした方がいいのでは?
そんなことすら(お節介ながら)思ってしまうのだ。
そのコスパは何のため?
上手く言えないけれど、いつの頃からか、仕事が所与のものであると考える人が増えたように思う。
「仕事というのはタスクであって、それを如何に早く効率的に仕上げるかが最重要である」
そのような考え方。
これは言ってみればコスパ思想である。
できるだけ短時間に、最大限のパフォーマンスを上げること。
それ自体はぐうの音も出ないくらい正しい意見である。
でも、コスパ思想には楽しさ(fun)が内蔵されていないように僕は思う。
いや、確かに仕事に楽しさなんていらないのかもしれない。
そんなことを考えている間に、効率的に物事を仕上げた方がいい、その考え方もわからなくはない。
ただ、それでいいのだろうかと僕は思う。
というか、「じゃあ効率って何のためなんだい?」とは思ってしまう。
高い成果を上げた方が楽しいし、楽しい方が高い成果が上がる
結局のところ、ここでも僕は成果主義者なのだなと思ってしまう。
僕は高い成果を上げることが重要であると思っている。
そして高い成果を上げる為には、仕事自体を楽しんでしまうことが手っ取り早いと思ってしまっている。
もちろん、その仕事自体が楽しければそれに越したことはない。
その中で大いに楽しみながら高い成果を上げればいい。
でも、往々にして仕事というものはそこまで楽しいものではない。
どちらかと言えば苦役に近いものである。
となると、そのような苦役をどのように楽しく捉えるかというのが大事になる訳だ。
社畜順応性
これは「社畜になれ」ということを意味しない。
でも、多くの人はこのような態度を社畜順応性のように捉えるようだ。
わからなくはない。
でも、そのような二者択一性とはちょっと違うんだよなと僕は思う。
社畜ではない楽しみ方
少なくとも僕は社畜とはかなり遠いサイドにいる(いたい)人間であると自負している。
といっても、遠くから眺めれば同じなのかもしれない。
でもたとえそうであったとしても、そこには明確な違いがあると僕は主張したい。
仕事は楽しむべきだ。
例えそれが無理やりであっても。
というか、楽しみを見つけられなければ、成果だって凡庸なものに留まってしまう。
そうだろう?
僕はそのように思う。
でも、そのように考える者はそこまで多くないようにも思うのだ。
何だかまとまりのない話になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
スポーツをする意味とは何か?
健康増進とか減量とか、それっぽい理由もあると思うのですが、それ自体が楽しいことも重要なのではないかと僕は考えています。
仕事も似たようなものではないのでしょうか?
仕事をする意味もそれぞれあるとは思うのですが、それ自体が楽しくなければ、長続きもしませんし、高い成果を上げることもできません。
それを敷衍していくと、「人生とは何か?」みたいな話にもなってきます。
僕は道中を楽しむことが重要だと考えているのですが、目的を最優先に捉える人が多いようで、ここにも僕は違和感を覚えてしまいます。
社畜とかやりがい搾取とかそういう話ではなく、何とか仕事を楽しむ方法を見つけていきましょう。