育てようとしなくていい

UnsplashSarah Dorweilerが撮影した写真

部下は育てるもの?

部下育成に悩むマネージャーは多い。

僕もよく部下育成について相談を受ける。

その際に思うのは、「育てよう」とし過ぎなのではないか、ということである。

これはニュアンスが難しいのだけれど、部下というのは「育てるもの」ではなく、「勝手に育つもの」であって、その成長に寄与するような環境構築や課題設定までが我々マネージャーの仕事である(その先は部下の問題)、と僕は考えている。

だから、「育てよう」というのはそもそものアプローチ方法が違うというか、「育てよう」とし過ぎているからこそ部下が育たないのではないかとすら思ってしまう。

もう少しきちんとした書き方をするなら、「関与の度合い」を適切に保つことが部下育成には重要であり、その意味において、多くのマネージャー達は関与し過ぎであるというのが僕の意見である。

何だか言いたいことは全て言ってしまったような気もするけれど、とりあえず始めていこう。

部下に仕事をさせる

部下育成で大事なことは何か?

それは部下自身に仕事をさせるということである。

成長というのは仕事を通して為されるものであり、その為には部下自身に仕事をさせなければならない。

まあ書いてみれば当たり前のことだ。

でも、これができているマネージャーはそんなに多くないのではないかと僕は思っている。

先回りし過ぎない

僕からすれば、多くのマネージャーは部下自身に仕事をさせていない。

そこで起こるであろう失敗や、トラブルの類などの芽を事前に摘んでしまいがちだ。

もちろん、事前にアドバイスはすべきだと思う。

ただ、あまりにも先回りし過ぎると、部下が失敗する機会も奪うことになってしまう。

そうなのだ。

成長には自分自身で成し遂げたという感覚が重要であり、その為にはどうしたって失敗が付きまとってくる。

「育てよう」という意識には、これを減じてしまうリスクがある。

僕はそのように思うのだ。

飢餓感も大事

表現を変えるなら、植物の育成みたいな例えが良いかもしれない。

適切なタイミングで水をあげたり、肥料をやったり、虫除けをしたり、そのようなことを多くのマネージャーは「育成」だと捉えがちだ。

もちろん、これが不要だとは言わない。

でも、「やり過ぎでは?」というのが僕の感覚である。

もう少し水に対する飢えがあってもいいし、肥料が不足している感覚があってもいいし、何なら二三枚葉っぱが齧られてしまったっていい。

それらが適切に不足することによって、糖度の高い果実が生まれることだってある。

そんな風に思うのだ。

もう少し任せてみては?

これは「放任する」ということを直接的には意味しないけれど、ただイメージとしてはもう少し放任してもいいのではないか、というのが僕からのアドバイスである。

また、違う角度から言うのであれば、事前のフォローよりも事後のフォローに力点を置いた方がいいということかもしれない。

まずやらせてみること。

そして、そこで失敗が起きれば、全力でフォローを行うこと。

この辺の塩梅が部下育成には重要であるような気がするのだ。

部下の特徴を把握する

そして、その為には部下それぞれの特徴を把握しておく必要がある。

十把一絡げにやるのではなく、それぞれの部下に合わせた適切なフォロータイミングがある。

それを見ることが何よりも部下育成には重要なのだ。

コミュニケーションを取り続ける

では、そのタイミングを見極めるにはどうしたらいいのか?

コミュニケーションを取り続ける、というのがその回答である。

僕は1on1を推奨するけれど、やり方はどうだっていい。

その部下がどのようなことに悩みがちなのか現状どんなことに行き詰まっているのか、それを定期的に把握し続けること。

その中でアドバイスをし、部下に実践させること。

それは「育てよう」というものとはちょっと違う角度の話であると僕は思う。

仕事は仕事

少なくとも、僕には部下を「育てよう」という感覚はあまりない。

やや不適切な表現にはなるが、仕事はあくまでも仕事であり、それをやらせるのがマネージャーの仕事である(育成は主目的ではなく、副産物である)と僕は考えている。

経験が浅かろうが、能力が低かろうが、仕事は仕事としてやら(せ)なければならない。

対価がそこに発生している以上、部下には仕事をさせなければならないのである。

これを変に手加減するから、部下が育たないのではないか?

部下をプロと見做す

大事なことは、(繰り返しになるが)部下自身に仕事をさせることである。

それは言ってみれば、部下を一人前(プロ)と見做すという行為である。

厳しい言い方にはなるが、「育てよう」という意識は部下を子供扱いすることと同義であり、そのような意識で部下に接している以上、部下が成長することはない。

もちろん、任せる仕事の難易度はその部下に合わせて選別すべきではある。

でも、任せた以上は仕事の成果を単純に求めていけばいいのだ。

そこに「育成」という概念は不要だ。

それなりの難易度の仕事を経ていけば、部下というのは勝手に育っていく。

というか、育たなければそういう評価になる、それだけの話である。

それをごちゃ混ぜにするから、部下が育たたないのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「そうは言っても、仕事を任せられないレベルの部下がいるから困ってしまうんですよね…」

そんな声が聞こえてくるような気がします。

そして、僕自身もその声の意味はよくわかります。

ただ、10年ほどマネジメントをやってきた僕が思うのは、それはどちらかというと「人事の問題」であって、そのようなレベルの部下に対してはそれなりの処遇に下げることで対処するしかないと考えています。

だからこそ僕は成果主義を主張している訳です。

会社は学校ではないですし、仕事は部活やボランティアではありません。

対価が発生している以上、それに見合わない成果しか出せない者はそのように遇するしかありません。

厳しい言い方にはなりますが、育成と成果を分けて捉えていきましょう。