評価能力を評価する仕組みがいるような気がするのだけれど…

UnsplashRiccardo Annandaleが撮影した写真

概念論ではあるけれど

今日は考えてはいるものの、まだ結論が出ていない事柄について話をしていこうと考えている。

それは「評価能力を評価する仕組み」が必要なのではないか、ということである。

マネジメントという仕事を10年以上続けて思うのは、評価の重要性である。

そして、その重要性に対する現状の乖離である。

もちろん、現状においても決しておざなりに評価している訳ではなく、その時点でのベストを尽くしているとは思う(そう思いたい)。

ただ僕が思うのは、それに加えて長期的な時間軸が必要なのではないかということである。

そこで評価された被評価者が、その後どのような歩みをしたのか、それも含めて評価者の評価に取り入れていくべきなのではないかと考えている。

これは考えるだけで、かなり複雑かつ曖昧なものになりそうな懸念があるのは事実だ。

でも、そのような概念を取り入れないことには、「評価者の評価能力をどのように図るか」ということができないのではないかとも思っている。

フワッとした話になりそうなことを前提に、以下書いていこうと考えている。

それでは始めていこう。

100%の納得は難しいが…

評価への納得度。

メンバーのモチベーションを高める為にはこれが欠かせない。

もちろん、全員が全員、評価に100%納得するということは起こり得ないだろう。

でも、現状よりは改善する余地があるのではないか?

そして、その為には、評価者の評価能力を適切に評価し、それを高めていく必要があるのではないか?

僕はそのように考えている。

近視眼的評価

ここにある問題意識は、評価の時間軸の短さについてである。

近視眼的とまでは言わないものの、評価における射程が短く、その人がその後どうなったのかということは、現状評価者の評価には含まれていない。

まあ確かに、それを評価制度に織り込むことは困難を極めるだろう。

でも、少なくともそのような概念だけでも入れ込む必要があるのではないか?

そんなことを思う。

人を見る目

というのも、それは「人を見抜く力」と言い換えることができると思うからである。

評価能力というのは、何も人事評価的な能力のことだけを指すわけではない

その人がどのような人物なのか、どうなっていく可能性が高いのか、そのあたりも含めた「人を見る目」がそこには絶対的に必要となる。

でも、昨今の評価制度というのは、与えられた(もしくは自ら課題設定した)目標を如何に高いレベルでクリアしたかということに力点が置かれ過ぎているように感じる。

大局観の欠如

これも確かに必要なことではある。

ただ、そこに「人物評」というか、「大局観」というか、そういうものが欠如しているようにも思うのだ。

そして、それが欠如していることが被評価者の行動を近視眼的にし、更にその傾向が強まっていく(ループしていく)ことに繋がっているような気がしている。

ループ(鏡像関係)

そこには被評価者の評価者に対する「侮り」がある。

「これくらいやっておけばいいんでしょ?」であるとか「こういうことしか評価しないんでしょ?」というような考え方。

わかり易く、説明可能なものだけを評価し、また評価されるような行動を取ること。

この鏡像のようなもの

そこから抜け出すためには、やっぱり評価能力を評価するような仕組みがいるような気がするのだ。

時系列的を見ていくこと

では、評価能力を評価する為にはどうしたらいいのだろうか?

先述したように、時系列的なデータを蓄積していくというのは1つのアプローチ方法ではあるだろう。

でも、それではその人が評価能力があるかどうかがわかるのは遠い未来になってしまう。

即効性という意味ではどうも乏しそうだ。

さて、どうしたらいいのだろうか?

評価能力の評価という評価項目

非常に曖昧な物言いにはなってしまうが、評価制度に対する考え方を改めるしかないのではないか、と僕は思っている。

KPIのような定量指標だけではなく、その人の本質をどのように捉えるかということも評価に組み込むこと。

特にマネージャーのような、評価することを仕事としている者に対しては、「評価能力の評価」という項目を取り入れることが1歩目なのではないかと僕は考えている(少なくとも当社においては、そのような評価項目は存在していない)。

そして、その評価をするにあたっては、複数人の目を入れることも大事であると思っている。

評価への信頼を

「人物評」というのは、どうしても「好み(好き嫌い)」に流れがちになる。

でも、評価能力の評価を、この「好き嫌い」でやってしまっては元も子もない。

好き嫌いを超えて、本当に人を見る目があるかどうかをきちんと評価する必要がある。

もちろん、ここには「評価する者を評価する」という階層構造が存在していて、上位者の評価能力が必要なのは言うまでもないが、それに加えて、「評価への信頼」というものが絶対的に不可欠であると言える。

上記したように、下位者の侮りが行動を歪めてしまうから。

結局概念論

「評価者の評価能力を評価する仕組み」があれば、少しだけそれを是正することができるような気がしているのだ。

宣言どおり、曖昧な話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

評価への信頼性の欠如と、AIへの近接。

サイバー・メトリクス。

時に僕はそのような誘惑に駆られます。

あらゆる行動をデータ化し、可視化したら、公平な評価が実現できるのではないか?

そのような思想。

でも、そう思った刹那、それは違うのではないかとも思います。

たぶん人間の評価というものはそういうものではない。

では、どういうものなのか?

1つの観念は本文にも書いた「人を見る目」です。

それは松下幸之助が言った「運の良さ」みたいなものかもしれません。

それはきっとデータ化できないはずだから。

というか、それすらもデータ化できるのか?

僕にはよくわかりません。

少なくとも現状の評価制度を変えることで、マネジメントという仕事はもう少しやり易くなるはずです。

出来る範囲で最善を尽くしていきましょう。