蔑まれないマネジメント

諦めたらそこで試合終了
我ながら凄いタイトルである。
でも、実際に蔑まれているマネージャーはたくさんいる。
そして、その理由は結構妥当であったりもする。
蔑まれるべくして蔑まれているというか。
表現が難しいのだけれど、管理職が罰ゲームと言われる環境の中では、蔑まれないように仕事をする方がもしかしたら難しいのかもしれないと思う時がある。
というのも、そのような罰ゲーム的環境に対して「投げてしまう」と、もう後は坂を転げ落ちる一方であるからである。
確かに投げ出したくなる気持ちはわかる。
ただ、それだけはやってはいけないのでは?
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
利己的でなければOK
マネージャーは利己的ではいけない。
そんなことを思う。
これは「利他的であるべきだ」ということを直接的には意味しない。
とりあえず「利己的でなければいい」のである。
割に合わないことばかりだけど…
でも、仕事に対してコスパを突き詰めていくと、マネジメントという仕事は明らかに割に合わないし、どんどんと利己的に仕事をするようになってしまう。
「なぜこんなことをオレがやらなければならないのか?」
そう思うことが多すぎて、それらを1つずつ精査し、切り捨てていくと、どんどんと仕事は極小化していく。
そこには不可抗力的な側面が確かにある。
それくらいマネージャーという仕事には罰ゲーム的な要素が含まれているから。
でも、そのような自分本位の仕事のやり方を続けていくと、段々と周囲から蔑まれるようになってしまう。
他人に厳しい社会
この「批判」は、ある種理不尽だなとは思う。
もちろん、そこから先にどんどんと進んでいってしまって、「もうオレ関係ないもんね」と開き直ってしまっているなら別だけれど、そうではなく、自分を守る為に仕事を切り離さざるを得ない人にまでこれを言うのは酷だなと僕は思う。
でも、自分には極端に甘く、他者には極端に厳しいのが現代社会である。
ちょっとでも自分の範囲外の仕事を増やしてしまうと、蔑まれる対象になってしまう。
「それでも構わない!」というのも1つの道である。
そして、そういう人もたくさんいる。
ただ、僕は嫌だし、そのように感じる人に向けて、以下もう少し詳しく書いていく。
マゾゲーという神ゲー
罰ゲーム的環境の中で、自律的(自立的)にマネジメントという仕事をしていくのは至難の業である。
自分を(文字通り)律しながら、「これってオレの仕事じゃないよな…」と呟きながら、それでも大義を持って仕事をしているのは、ある種マゾゲーですらある。
そして、周囲の環境も鑑みると、多くの人が仕事をできるだけ自分から切り離していく中で、そのような態度を貫くというのは、神の領域というか、仙人の振る舞いであるのではないかと、錯覚しそうになるのも事実だ。
でも、僕はそれを続けている。
それはただの自己満足に過ぎないと言えばその通りだろう。
「悦に入っているだけ」
そのような批判があるのも承知である。
ただ、では「投げてしまう」ようなやり方ができるのかと自分に問うなら、僕にはそれは不可能であるとも思う。
ただマゾなだけ?
損な役回りだなとは思う。
コスパを考えるなら、激低だなとは感じる。
でも、僕は「そうなってしまった自己像」に耐えられそうもない。
ただそれだけの為に、僕は罰ゲーム的仕事を続けている。
ああそうか。
僕はただのマゾヒストだったのかもしれない。
So What?
いや、でも、たぶん僕だけではないはずだ。
そのようなプライドというか、矜持というか、そういうものを持ちながら働いている人は必ずいるはずである。
それらは一文にもならない。
何の価値もない。
コスパは最悪である。
「だからどうした?」
僕はそのように返したいと思う。
蔑まれたくないことがモチベ
はっきり言って、馬鹿らしくなることばかりである。
そして、そのような考え方の傾向は独りよがりになりがちな性質を帯びていることも自覚している。
蔑まれないマネジメントというタイトルを掲げながら、周囲を一番蔑んでいるのは実は僕なのだから。
「ああはなりたくないな」
それだけが僕が今のようなスタイルを貫いている原動力である。
なんと後ろ向きなモチベーション!
蔑まれたくないと願うことが蔑まれることを招く?
というか、そのような仕事のやり方がもしかしたら現代においては蔑みの対象になってすらいるのかもしれない。
「なんであんなに頑張っちゃってんの?」
蔑まれないマネジメントを志向することによって、結果的に蔑まれるマネジメント。
とても寓話的な帰結。
でも、それでもいい。
僕はそのように思う。
価値観の問題ではあるが…
全ては価値観の問題だ。
「でも、仕事に限らず、何だってそうだろう?」と僕は思う。
そして、ご多分に漏れず、今日の話もその1つに過ぎない。
もう少しだけ抗ってみるつもり
管理職を罰ゲーム的環境にしない為には、仕事の範囲を狭めていく必要がある。
そもそもの問題はそこにあるとは思う。
ただ、どうにもそのような流れは変えられそうにない。
そして、そこに抗っていたって、いつしか流されてしまうのは明白ですらある。
ただ、もう少しだけ僕は抗ってみようと思うのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
どっちに行っても袋小路。
それがマネジメントという仕事です。
そして、ここには蔑まれるという状態が含まれています。
辛いことばかりですが、何とか頑張っていきましょう。